291 誘拐(2)
普段から商人の都サイカの顔役として、姉御肌の気風の好さで街を取り仕切っているライナは、滅多なことでは人前で動揺を見せない。
それが、男衆にゲルヌ皇子が誘拐されたと聞かされた瞬間、珍しく激昂した。
「おまえたちが付いてて、何やってんだい! 草の根を掻き分けてでも捜してきな!」
「へいっ!」
弾かれたように飛び出して行く男衆たちを目で追いながら、ライナの怒りの表情は、すぐに不安と悲しみに取って代わられた。
「あんな幼い子が、大人顔負けに頑張ってくれてたのに、こんなことになるなんて……」
少し遅れて戻ったギータがライナの様子に気づき、小さな身体でピョンと跳んで傍に寄った。
「話は外で聞いた。わしも心配でたまらんが、とにかく、今は情報を得ることが最優先じゃ。その捕まえた男というのを尋問しようではないか」
「あ、ああ、そうだね」
ライナも少し落ち着きを取り戻し、二人でその男がいる部屋に向かった。
サイカは都市としての性格上、外来者が多く、当然不審者や犯罪者が入り込み易いため、そういう者たちを留置する建物は別にあるのだが、今回は場合が場合だけにライナの屋敷の一室が使われた。
狭い部屋に木の椅子が一脚置かれ、そこに小太りの男が厳重に縛り上げられて座らされていた。
男は魔道師のマントに似たものを羽織っているが、ずっと丈が長く、足元まで覆っている。
ライナは見張り役の男衆に暫く外すように告げて部屋の扉を閉め、ギータと二人で男の前に立った。
「あんたら何者だい?」
明らかにライナの声が聞こえているのに、男は返事をしなかった。
きつく口を閉じたままだ。
その顔をジッと見ていたギータが、「ほう」と声を上げた。
「おぬし、南人じゃな?」
男はハッとしてギータの皺だらけの顔を見たが、すぐに目を逸らした。
ギータは素知らぬ顔で話を続けた。
「中原で一般に知られておるマオール人は北人で、色白で体毛が薄く、目が細い。それに比べ、南人は色が浅黒く、体毛もやや濃くて、目も丸みを帯びている。風俗習慣も異なり、元々別の国であったそうだ。今は北人の天下で、南人は虐げられていると云うが、本当かね?」
思わず頷いてしまった男は、慌てて横を向いた。
手応えがあったと見て、ギータは普通に喋り続けた。ライナもギータに任せて黙って聞いている。
今の中原がそうであるように、昔はマオールも多くの小さな国に分かれていたそうじゃ。
民族的には南北でかなり違っており、ある程度統一された時期も、南北別々であったという。
それが、北人の皇帝によって全土が統一され、南人への圧迫が始まった。
才能があり、それなりの努力をしても南人は出世できず、様々な差別を受けているらしい。
戦場においても、南人はいつも危険な最前線に立たされ、退却する際には殿に置いていかれる。
おぬしもそうなのではないか?
男の目からホロリと涙が一粒零れた。
しかし、猶も口は閉じたままである。
ギータは構わずに続けた。
わしは情報屋であるから、おぬしの風体が東方魔道師のものであることはわかる。
わしの知識では、中原の魔道師と違い、魔道を使う際には帽子を被っていなければならないらしいのう。
勝手な真似をさせぬため、そのように条件付けて訓練を積ませるそうではないか。
すると、帽子を脱がされた途端、魔道が使えなくなる。
正に暗黒帝国マオールならではのやり方じゃな。
それに、信賞必罰が厳しく、失敗を許さないという。
おぬし、どうする?
小太りの男は目を閉じて、「殺せ」と告げた。
だが、細かく身体が震えている。
「ふむ。それもいいかもしれんな。のう、ライナ?」
ライナも心得て、「ああ、男衆の剣術の稽古にちょうど良い」と態と聞こえるように答えた。
男は驚いたようにパッと目を開け、慌ててまた閉じた。
「こ、殺せ! 一思いに」
ギータはニヤリと笑った。
「ほう。一思いにという言葉が、痛くないように、と聞こえたが、そうはいくまいのう。ライナが男衆に剣術の稽古をさせるつもりのようだが、みんな下手くそでのう」
男はまた目を開いて、またすぐ閉じた。
「脅しても、無駄だあ。何も喋らねえ」
「おお、よいぞ。喋る必要などない。ただ、わしの話を聞いて欲しいだけじゃ。おぬしらの誘拐した皇子のことじゃ。僅か十歳で親を殺され、国を追放された。それでも懸命に生きようと、このサイカで頑張っておった。その健気な子供を、おぬしらはどうするつもりなのだ?」
男は思わず、「殺しはしねえだ」と答えた。
「では、どうして攫った?」
「それは、新しい傀儡にして」
男は、ハッとして口を閉じた。
ギータは気づかぬフリで「ゲルカッツェがおるではないか?」と畳み掛けた。
「いや、それはそうだけんど」
「成程。わしも少し耳にしたことがある。ゲルカッツェの我儘が酷く、周囲が手を焼いているとな。しかし、ゲルヌは別の意味で扱いづらいぞ」
「だから、それは阿芙蓉を吸わせて」
ギータの顔色が変わった。
「何! 麻薬ではないか!」
「そ、それはそうだけんど、中毒にならねえ程度に」
最前のライナ以上に、ギータは怒った。
「阿呆! 子供に何という非道なことをする! 許さん! わしを今すぐゲルヌのいる場所に連れて行け! 帝都のゲオグストか!」
「あ、うんにゃ、ゲオグストは遠いから、エイサに」
男は思わず答えてしまい、焦って口を押えたが遅かった。
ギータは怒りを忘れて、頷いている。
「そうか。最近マオロンと姉妹都市になったと聞いたが、エイサか。成程。協力に感謝する」
「いや、協力するつもりは」
ギータは、クリッとした目で男を睨んだ。
「するのだ。ゲルヌを助けるには、おぬしの力が必要だ。悪いようにはせぬ。約束しよう。おぬし、名は何という?」
男はゴクリと唾を飲んで、諦めたように答えた。
「シャンロウ」
「では、シャンロウ。知っている限りのことを、わしらに教えてくれ」
シャンロウは力なく頷いた。
横で聞いていたライナは少しホッとした顔になったが、「で、どうやって助ける?」とギータに尋ねた。
ギータは即答した。
「こんなことを頼める相手は、この中原に一人しかおらんよ」
ライナも愁眉を開いた。
「ああ、そうだね。あの人、ゾイアしかいないね」




