290 誘拐(1)
話は少し遡る。
包囲戦の終了直後から、ゲルヌ皇子は、残っているサイカの傭兵部隊を編成し直すと共に、見込みがありそうな人材を百人長や千人長に抜擢した。
中でも力を入れたのは工兵部隊で、一般市民からも公募して、自由都市の傭兵部隊としては異例の二百人隊とした。
包囲戦で、都市としてのサイカの守備力の弱さを痛感したからである。
今後の計画として、城壁の外には空濠を掘り、内側には物見櫓を建て、城壁の上部にグルリと矢狭間を作るべき、という提案もした。
勿論、実際に行うのは大人たちだが、その都度助言を求められるため、ゲルヌも多忙を極めた。
それでも、一般市民の生活を立て直す役目のライナやギータよりはマシで、和平会談へ向かうウルスラとツイムを見送ることぐらいはできた。
その翌日のことである。
ゲルヌは、宿舎にしているライナの屋敷から、傭兵部隊本部の建物へ行く途中、異様な風体の男たちを見かけた。
一見、魔道師のマントに似たものを羽織っているが、ずっと丈が長く、足元まで覆っている。
マントにフードは付いておらず、その代わり、鍔広の黒い帽子を頭に乗せていた。
皆、一様に体毛が薄く、目が細い。
マオール人であろう。
包囲戦が終わってから、通商は直ぐに再開し、様々な地域から商人が集まって来ているが、マオール人は珍しい。
しかも、どう見ても商人には見えない。
ゲルヌは警戒しつつも、真昼間の目抜き通りで通行人も大勢いるため、そのまま通り過ぎようとした。
が、男たちは人混みをすり抜け、ゲルヌを取り囲んだ。
不思議なことに、他の通行人は男たちに全く気づいた様子がない。
ゲルヌは小声で「余にしか見えていないのか」と呟いた。
男たちに完全に囲まれ、ゲルヌは立ち止まらざるを得なかった。
同時に、先程まで風に靡いていたゲルヌのサラサラした赤い髪が、ピタリと動かなくなっている。
完全に結界を張られたようだ。
「魔道師か?」
ゲルヌは問い掛けたが、男たちは黙っている。
「マオール人のようだが、チャドス宰相の手の者か?」
重ねて尋ねても、返事がない。
或いは、言葉が理解できないのかもしれないと思い、ゲルヌは知っているマオール語で、何者かと、聞いてみた。
が、男たちは下品な笑い声を漏らした。
代表格であるらしい真ん中に立っている長身の男が、苦笑混じりで口を開いた。
「やはり、われわれの姿が見えるのだな。ああ、それから、別に中原の言葉がわからない訳ではないぞ、皇子。無駄なことは喋らぬのが、マオール人の流儀でな」
「ほう。余と喋るのは無駄か?」
「そうさ。狩りの獲物には、声を立てさせないのがマオールのやり方なのだ!」
ゲルヌを捕まえようと、長身の男が一歩前に出る。
と、その頭の黒い帽子の鍔の前半分が、スパッと切れた。
ゲルヌが斬ったのだろうが、あまりに速過ぎて、剣の動きが見えない。
「声は出さずとも、護身用の細剣ぐらいは振るえるぞ。まあ、亡き父上のように大剣を自在に扱うのは無理だがな」
反撃されるとは予想していなかったらしく、男たちの気に乱れが生じた。
隠形が揺らぎ、男たちの姿が見え始めて通行人が騒つき出した。
「何だ、こいつら?」
「お、ゲルヌ殿下が、変なやつらに囲まれてるぞ」
「大変だ!」
「誰か傭兵を呼んで来い!」
男たちの異様な姿に怖れて、遠巻きにして叫んでいる。
長身の男は舌打ちして斬られた帽子を投げ捨て、隣の小太りの男から帽子を取り上げると、その男をゲルヌの方へ蹴り飛ばした。
「ええっ?」
蹴られた男は、自分の身に何が起きたのかもわからぬようだ。
ゲルヌはサッと身を躱して、よろめいて来る小太りの男を避けたが、その隙をつかれ、周りの男たちに捉まえられた。
「くそっ、放せ!」
長身の男は、ゲルヌの手からレイピアを取り上げた。
「そうは行かぬ。皇子を連れて戻らねば、われわれの首が飛ぶ。隠形が効けば、気づかれずに連れ去れると思ったが、已むを得まい。多少手荒に扱うことになるが、自分の血筋を恨め!」
言い様、長身の男はゲルヌの腹に拳で当身を入れた。
「うっ!」
ゲルヌが気を失って崩れ落ちるところを、他の男たちが抱え上げた。
長身の男は、ゲルヌの癖のない直毛の赤い髪から覗いている耳の先を見た。
よく見なければわからぬぐらい僅かだが、先が尖っている。
「世話の焼ける坊やよ。なまじ母方に妖精族の血が混じっておらねば、愚かな異母兄のように幸福であったろうに」
長身の男は独り言ちると、仲間に「跳ぶぞ!」と告げた。
ゲルヌを連れて男たちは跳躍した。
但し、帽子を奪われ、蹴り飛ばされた小太りの男一人を残して。
「そんな、ひどいだよ」
愚痴る小太りの男のところへ、漸く傭兵部隊が駆けつけて来た。
傭兵たちに取り押さえられた小太りの男は、ライナの屋敷に引き立てられた。
その間、抵抗らしい抵抗もしなかった。
仲間に裏切られた精神的打撃なのか、或いは帽子を失ったためなのか、魔道が使えないようである。
小太りの男は、屋敷に着くと厳重に縛り上げられたが、何を訊かれても不貞腐れたように喋らない。
そこへ、市内を見回っていたライナとギータが戻って来た。




