286 和平会談(4)
和平会談の当日、バロード聖王国の代表として出席しているドーラは、前触れもなく立会人が来ると告げた。
その言葉どおり、会場にガルマニア帝国皇帝名代と称して、宰相チャドスの遠縁に当たるチャダイ将軍が現れたのである。
チャダイは大声で名乗りを上げると、案内も待たず、ドーラ側お付きの席の真ん中に、鎧も脱がないままドカリと座った。
その体毛の薄いのっぺりした顔は全くの無表情で、われ関せずとばかりに、細い目で天井を見上げている。
明らかに、ここに来たのが不本意であるようだ。
調停役のサンサルスは、この世のものとも思えぬような美しい顔をやや曇らせ、煙るような淡い紫の瞳でチャダイの無礼極まりない振る舞いを見ていたが、フッと表情を緩めてドーラに向き直った。
「今回は、あくまでもバロード聖王家の者同士としてウルスラ殿下と話し合うと仰ったのは、確かドーラさまだったと記憶しておりますが?」
ドーラは鼻で笑った。
「本来、中間に立つべきおまえの軸足が随分とウルスラ側に偏っておるから、均衡を保つため、ゲルカッツェ陛下におねだり、あ、いや、お願いして代理人を出してもろうたのよ。尤も、人選はチャドス宰相にお願いした故、多少難があるようじゃが」
自分のことを言われても、チャダイは知らん顔をしていた。
ドーラは、僅かの間に若き皇帝ゲルカッツェの心を完全に掴み、外交を動かす程の影響力を持ったようである。
尤も、自分たちにはガルマニア帝国の後ろ盾があると匂わせたかったのであろうが、却ってチャドスとの不協和音が露になってしまっている。
それを見て取ったのか、サンサルスはチャダイのことにはもう触れず、「それでは始めることにいたしましょう」と宣言した。
「最初に、今回の会談を呼び掛けたウルスラ殿下より、趣旨のご説明をお願い申し上げます」
ウルスラは、ゴクリと唾を飲んで話し始めた。
お祖母さま、いえ、ドーラさま。
この度は、話し合いに応じてくださり、ありがとうございます。
さて、最初にわたしの立場を明確にしておきたいと思います。
ドーラさまは聖王家内部の問題とお考えのようですが、わたしはそうは考えておりません。
確かにわたしはバロードの王女ですが、商人の都サイカを中心とする『自由都市同盟』の設立に関わった一人でもあります。
今回は、その仲間たちの代表として来ているつもりです。
サイカの包囲戦の名目は、わたしとタロスの引き渡しでした。
でも、実態は違うと思います。
あからさまに云えば、『自由都市同盟』潰しです。
そのこと自体は、バロードの中原統一戦略の一環としてなされたものとして、賛成はできませんが理解はしているつもりです。
しかし、力によって潰そうとされれば、どんなに小さな自由都市でも必死で抵抗するでしょう。
それでは、お互いの損失です。
寧ろ今回のことを教訓として、バロードと『自由都市同盟』が互いに尊重しあう、良好な関係を築きたいのです。
共存共栄こそが、わたしの望みでございます。
ドーラさま、お願いです。これ以上争うことは止め、和平の約束を結びませんか?
ドーラは顔を顰め、「笑止千万!」と断じると、捲し立てるように反論した。
誰に入れ智慧されたか知らんが、何を勘違いしておるのか。
聖王陛下も、さぞやお嘆きであろう。
抑々、かの裏切り者カルボン卿に国を奪われて、カルス陛下の偉業が志半ばで頓挫してしまったものの、本来なら今頃とっくに中原の西半分はバロードの傘下にあったはず。
そして、そこに控えておるチャダイ将軍の属するガルマニア帝国と共に手を携え、相互に不可侵の条約を締結して中原を二等分して支配する予定であったのだ。
それがカルス陛下の不在を良いことに、庶子のニノフは機動軍五千を自らの私兵として連れ去り、今またおまえに唆されて、一万の兵が反政府勢力『自由の風』に寝返った。
これ以上の親不孝があろうか!
おまえはこれを和平交渉と思っておるかもしれんが、バロード聖王家の考えは違う。
わたしはおまえに陛下のご裁断を伝えに来ただけじゃ。
即ち、ニノフ、ウルス両王子の王位継承権は剥奪し、永久国外追放とする。
勿論、その女性形であるニーナ、ウルスラも同様じゃ。
また、両王子が不当に奪った一万五千の兵には、即刻帰国することを命じ、帰国後直ちに軍法会議にかける。
以上、異存はあるまいな?
蒼褪めて言葉もないウルスラの代わりに、傍聴しているツイムが声を上げた。
「それじゃあ、お世継ぎがいなくなりますぜ!」
だが、ドーラはそちらを見向きもせずに、「黙れ、下郎!」と吐き捨てた。
「お世継ぎなら、おまえ如きに心配されずとも、ちゃんとおられるわい。まあ、まだお生まれではないがのう」
青い顔のまま、ウルスラが「どういう意味ですの?」と尋ねる。
ドーラは勝ち誇ったように答えた。
「正式な発表はまだじゃが、おまえにはもう言ってもよかろう。カルス陛下は新しい后をお迎えになる。シトラ族の族長の娘、レナという者よ。既に陛下の子を授かっておるぞ。間もなく生まれて来るそのお子が、新しき世継ぎよ」
誰一人声も出せず静まり返った会場で、フフッと微かな笑い声が漏れた。
サンサルスである。
「それは真におめでとうございまする。ところで、わたしからドーラさまに、一つお尋ねしたきことがございますが、よろしいでしょうか?」
ドーラの顔に嘲るような笑みが浮かんだ。
「ほう。構わぬぞえ。何じゃ?」
サンサルスは、極めて平静な顔で質問した。
「予てより不思議に思っていたのですが、バロードにはドーラさまのように大きな力を持ったお方がいらっしゃるのに、何故普通の人間に過ぎないカルボン卿の謀叛が、まんまと成功したのでしょうか?」




