285 和平会談(3)
ちゃっかり自分も山羊の乳を飲みながら、サンジェルマヌスは、死んだはずのアルゴドラスが何故現代に甦ったのかを、サンサルスに淡々と説明した。
「まあ、そういう訳で、わしは初恋の相手であるアルゴドーラの現在の姿であるドーラに追われる身となったんじゃ。こうして態々二人が部屋に入るのを待ち、潜時術で時の狭間で会わねば、忽ちドーラに捕まってしまったじゃろう。その結果、『アルゴドラスの聖剣』を奪われては、何のための苦労かわからんわい」
ウルスラは少し不安そうに周囲を見て、「時の狭間なら、大丈夫なのですか?」と尋ねた。
「うむ。前回潜時術を破られたのは、『アルゴドーラの魔剣』の力じゃ。聖剣の力で生み出されたもの故、聖剣によって消滅させることができた。よって、少なくとも、時の狭間にいる限りは安全じゃ。尤も、いつまでもここにいれば、わしの寿命の方が尽きてしまう。話が終われば、通常の時の流れに戻り、また姿を晦ますしかない」
サンサルスは、考えながら長くサラサラした銀髪を指でかき上げた。
「その魔剣のことですが、使う者の倫理観を損なったとしても、魔剣自体が消滅すれば、倫理観も自然に回復するということはないのでしょうか?」
「いや。一度壊れたものは、独りでに元の状態には戻らない。外から強く働きかけない限りはな。これは不変の法則じゃ。アルゴドラスは、かつて聖王と呼ばれたとはいえ、今は魔王よ。心して掛からねば、生命に関わるぞ」
サンサルスはチラリとウルスラの顔を見た。それに気づいたウルスラは、確りした表情で応えた。
「固より覚悟の上でございます。今は万難を排して和平を取り決めるべき時。お祖母さまが何と仰るかはわかりませんが、わたしは一歩も退きません」
サンジェルマヌスは自分の孫を見るように顔を綻ばせ、「好き哉、好き哉」と喜んだが、すぐに表情を引き締めた。
「和平の詳細については、王女の判断に任せる。然は然り乍ら、ドーラの真の目的は聖剣を取り戻すこと。会場で潜時術を使えぬようにしたのは、逆に、わしが助けたくなるような状況に王女を追い込むつもりであろう。わしを誘き出すためにな。サンサルスよ、王女を護り切れるか?」
サンサルスはパッと椅子を降りて片膝をついた。
「はっ。わが生命に代えましても。それに、ヨルムを同席させるつもりです」
「おお、そうか。ならば安心じゃ」
サンジェルマヌスはウルスラに向き直った。
「王女よ。聞いてのとおり、今回わしは助けてやれぬ。聖剣を護らねばならんからな。じゃが、心配することはないぞ。サンサルスは信用の置ける男じゃ。但し、ドーラの言葉には気をつけよ。言霊縛りを掛けられる虞がある。かの軍師ブロシウスは、まんまと罠に嵌り、身を滅ぼした。心せよ」
ウルスラは、限りなく灰色に近い薄いブルーの瞳を潤ませている。
「はい。悲しいことですが、油断はいたしませぬ」
サンジェルマヌスは笑顔で「うむ」と頷き、サンサルスに「頼むぞ」と告げると、パチンと指を鳴らした。
「あっ、もう少しお話が」
サンサルスが呼び掛けた時には、既にサンジェルマヌスの姿はなく、ただ、飲みかけの山羊の乳が入ったカップから立ち昇る湯気が、ゆらゆらと揺れていた。
そして、愈々和平会談の当日となった。
広い会場の真ん中に一段高い演台が設えてあり、その上に向かい合わせに、ゆったりした椅子が二脚置いてある。
椅子は決して豪華なものではないが、それでも革張りの大きなもので、その一つにはウルスラ用に高さを調節するための補助椅子が乗せられている。
ウルスラは、既にその椅子の前に立っていた。
服装は、若い女性用の白い略式礼装のドレスで、決して華美なものではない。
調停役のサンサルスはステージの横に立っており、その横には腰掛けるだけの小さな椅子が置いてある。
そのステージから少し離れた位置の両側に、それぞれのお付きが傍聴するための席が十席ずつ用意されているが、ウルスラ側にはツイムとヨルムの二人のみ、ドーラの側には誰もいない。
ツイムは苦笑して「なんだか、スースーするな」と独り言のようにいった。
実際、開け放たれた窓からは、やや冷たい風が入って来ている。
と、その風に運ばれて来たように、ヒラヒラと灰色のコウモリが姿を見せた。
ノスフェルは中に入るとクルリと宙返りして、ドーラの姿になった。
いつものゆったりした長衣ではなく、複雑な刺繍が施されたドレスに、宝石を散りばめた冠を着けている。
それでも、王族用の正装ではない。
「待たせたのう」
ドーラは妖艶な微笑みを浮かべると、スーッと空中を飛んでステージに上がり、ウルスラの向かい側の椅子に座った。
「粗末な椅子だが、まあ、我慢しよう。さあ、おまえも掛けるがいい、わが孫娘ウルスラよ。おお、そうじゃ、そろそろこちらの立会人が着く頃じゃのう」
すると、入口の方でガチャガチャと甲冑の擦れる音がし、ぬっと若い男が入って来た。
体毛が薄く、のっぺりした顔をしており、目が細い。
その細い目で会場内をグルリと見回すと、場違いに大きな声で名乗りを上げた。
「ガルマニア帝国皇帝ゲルカッツェ陛下名代にして宰相チャドスが縁者、チャダイ将軍である!」




