282 失われた種族(6)
(作者註)
今回まで、回想シーンありです。
「イーラ、プシュケー!」
プシュケーの名が出たためヨルムは反射的に称名したが、すぐにサンサルスに詫びた。
「ああ、お話を遮ってすみませんでした」
サンサルスは笑顔で首を振った。
「良いのです。おまえは本当に熱心な信徒に育ってくれましたね。でも、わたしはそうではありませんでした」
ヨルムは驚愕のあまり、声も出せずにサンサルスの顔を見つめている。
サンサルスは笑顔のまま片目を瞑って見せた。
「ここから先の話は、おまえの胸の中だけに留めてくださいね。一般の兄弟姉妹たちに知られると、動揺するかもしれませんから……」
妖精族には信仰があるはずだとサンジェルマヌスに言われ、サンサルスは驚いた。
「確かに両親からプシュケーの教えは伝えられましたが、とても信仰という程のものではありません。より良く生きていくための智慧のようなもので、体系化されたものでもないですし」
サンジェルマヌスは笑って頷いた。
「わかっておるさ。それを、おまえさんの手でちゃんとした信仰体系を作り、教団を創設するんじゃ」
サンサルスは激しく頭を振った。
「無理です。教えを乞うべき両親も既に亡く、経典も何もありませんよ」
「それを、おまえさんが作るのさ。無論、必要な資料などは幾らでも提供しよう。幸い、わしの本屋には大抵の書物は揃っておる。わしの知る限りの知識も授けよう」
サンサルスは、押し止めるように両手を振った。
「ですが、わたしなどに、そのような大それたことが。おお、そうだ。先程別の種族も信仰を持っていると言われたではありませぬか。そちらに勧めてください」
サンジェルマヌスは顔を顰めた。
「主知族のことか? きゃつらの信仰する魔道神は人間を救いはせぬ。文字どおりの魔神じゃよ。それに、ごく少数の神官にしか開示されない密教なのじゃ。民衆に支持されるような教えではない」
サンサルスは猶も抵抗した。
「そもそも、何故教団でなければならないのですか? わたしにそのつもりはありませんが、例えば、新たな国を創るとか、方法は他にもあるのではないですか?」
サンジェルマヌスは、少し悲しげな顔になった。
「あやつの二の舞になって欲しくないからさ。国はどうしても国境を作る。中原全体が一つの国になったとて、その境目では争いが起きよう。しかるに、信仰は国境を越えて拡がるであろう。これが、わしの願いじゃ」
サンサルスは、深く長い息を吐いた。
「わかりました。わたしにできるかどうかはわかりませんが、やってみましょう」
サンジェルマヌスは立ち上がり、サンサルスの両手を握った。
「おお、そうか! ありがとう、ありがとう!」
驚きを超え、感動すら覚えているらしく、ヨルムは涙ぐんでいた。
しかし、サンサルス自身は、やや冷めたような顔で、遠くを見ている。
「わたしがもっと早くに教団を興していたなら、或いは、もっと寿命が長かったらと、悔やまれてなりません。教団の兄弟姉妹は今や二十万人となりましたが、未だ中原に平和を齎すには至っておりません」
ヨルムは泣きながら頭を下げた。
「申し訳ございません!」
「おお、おまえたちのせいではありませんよ。顔を上げてください。わたしの願いを次の世代に引き継ぐのが、おまえたちの役目なのです。よろしくお願いしますよ」
「ははあっ!」
平伏しようとするヨルムに差し出した手を、サンサルスは、ふと止めた。
ハッとしたように、開いたままの窓に目をやる。
窓の外をヒラヒラと飛びながら、灰色のコウモリが入って来るところであった。
ノスフェルはサンサルスの目の前でクルリと宙返りすると、銀髪の美熟女となった。
カルス聖王の母ドーラの姿である。
ドーラは皮肉めいた笑みを浮かべながら、サンサルスとヨルムの姿を眺めている。
「おやおや、麗しき師弟愛じゃのう」
既に面識のあるヨルムが、畏まって挨拶を述べた。
「これはドーラさま、一別以来でございます。改めてご紹介いたします。こちらにおわすのが」
皆迄言わせず、ドーラは鼻で笑った。
「かの高名な教主サンサルスであろう。ふむ。わたしも他人のことは言えぬが、随分年寄りじゃな」
色をなして言い返そうとするヨルムを、サンサルスは軽く手で抑えた。
「お初にお目にかかります。プシュケー教団のサンサルスにございます。此度は遠路ご足労いただき、真にありがとうございます。年齢のことは、たった今、自分でも嘆いていたところです。至らぬ点が多々ありましょうが、何卒、高齢に免じてお許しください」
「ふん、殊勝なことを言うではないか。多少漏れ聞こえたが、サンジェルマヌスの知り合いとはな。まあ、あのじいさんのお気に入りなら、悪巧みはするまい。しかし、予め断っておくが、今回のことは、あくまでもバロード聖王家内の問題じゃぞ。それにサイカが絡んでややこしくなっただけのこと。また、おまえの立場はウルスラの単なる友人。出過ぎた真似はせぬことよ、のう?」
サンサルスは、凄みのある笑顔になった。
「わかっておりますとも。但し、プシュケーの教えでは、朋友のためなら生命も惜しむな、と言われおります。わたしもその覚悟にございまする」




