277 失われた種族(1)
和平会談の舞台となる自由都市ダナムに、教主サンサルスが乗った馬車が到着した。
馬車の幌の出入口に垂らされた幕が開き、その下に移動式の階段が固定される。
それでもなかなか出て来ないサンサルスに、ヨルム青年も少し不安を覚え始めた頃、幌の中から声がした。
「大儀であった」
声そのものは、ヨルムよりも若々しい。
いっそ、少年のようだと言ってもいいくらいである。
ヨルムは「ははあーっ!」と畏まった。
サンサルスは殆ど体重がないかのように、足音も立てずに、スッと幌の出入口から姿を現した。
女のような長くサラサラした銀髪をしており、その髪から出ている耳の先が少し尖っている。
顔を見ても、全く年齢の見当がつかない。
ただ、この世のものとも思えぬような美しい顔をしている。
瞳の色は煙るような淡い紫であった。
その目に焼き付けるかのように、ダナムの景色をじっと眺めている。
「ここは変わりませんねえ。ああ、勿論、好い意味ですよ」
近くに控えていた街の長老が、「有り難きお言葉!」と泣くように叫んだ。
長老の顔を目にして、サンサルスの口元が綻ぶ。
「おお、そちはペローか。息災で何より」
ペローと呼ばれた老人は、感激の余り声を上げて泣き出した。
思いの外元気そうなサンサルスの様子にヨルムもホッとしたようで、「どうぞこちらへ」と先に立って案内する。
会談の会場となる集会所に着くと、中央の多目的広間の中に入った。
「ほう。随分広い会場ですね。双方とも、出席者は一人か二人程度と聞きましたが」
訝るサンサルスに、ヨルムは恐縮して答えた。
「はっ。実は、バロード側からの強い要望がありまして。ダナムで一番広い会場で、できれば窓を開けたままにして置いて欲しいと」
サンサルスは少し首を傾げていたが、「おお、そういうことですか」と頷いた。
「そういうこと、とは、何でございましょう?」
ヨルムに尋ねられ、サンサルスは苦笑した。
「懐かしくて、思わず声が出てしまったようですね」
ヨルムは不思議そうな顔をした。
「今、懐かしい、と仰いましたか?」
「はい。教団設立の頃、良く相談していた相手の方を思い出したのです。その方は、長命族の長老で、時の狭間に潜る術をお使いになるのです」
「おお、そのお方とは、若しや大魔道師サンジェルマヌス伯爵でございますか?」
「ええ。サンジェルマヌスさまお得意の潜時術は、ほぼ無敵なのですが、唯一の弱点は、密閉された場所でなければ使えない、ということです。先程のバロード側からの要求を聞けば、その対策としか思えませんね」
「バロードとサンジェルマヌス伯との間に何かあった、ということでしょうか?」
サンサルスはホホホと声を上げて笑った。
「そう畳み掛けられても、ハッキリしたことはわかりませんよ。全ては推測です。それでよければ、参考までに昔の事を話しますが」
ヨルムは跪くようにして、首を垂れた。
「是非とも、お願い致します」
わたしがサンジェルマヌスさまと親しくさせていただいていたのは、もう五百年以上前、教団設立など考えてもいなかった頃です。
わたしは早くに両親を亡くし、自分が普通の人間ではないことは知りながら、なるべく目立たぬよう諸国を放浪して、ひっそりと五百年生きていました。
その当時、中原は既にいつ果てるとも知れぬ戦乱の最中で、どこへ行ってもわたしの力を利用しようとする者がおりました。
争いに巻き込まれたくなかったわたしは、沿海諸国の小国ダフィネに身を寄せることにしたのです。
ダフィネは小国ながら、豊かな漁場に恵まれて人々の暮らし向きも悪くなく、しかも、風光明媚な良いところでした。
わたしは自分に残された後の五百年を、そこで過ごそうとさえ考えていたのです。
そんな時でした。
わたしは街を歩いている途中に見つけた古い書店に、何故か心惹かれたのです。
その店は、塔を模した尖った屋根のある建物でした。
全体に煉瓦造りで、随分煤けて黒ずんでいます。
入口の扉も、いつ掃除したのかわからぬ程、木枠に埃が溜まっておりました。
扉をちょっと引いてみると、鍵はかかっていません。
扉を開くと、耳を塞ぎたくなるような音で蝶番が軋みました。
その音が聞こえたのでしょう。
薄暗い店の奥から「どなたじゃな?」という、しゃがれた老人の声がしました。
わたしは、どんな本が置いてあるのか興味を持ったのだと伝えました。
ギイッと椅子を鳴らして立ち上がる気配がし、コツ、コツという音がこちらに近づいて来ました。
奥から現れたのは、枯れ枝のように痩せ細った老人でした。
脚が不自由らしく、杖を突いています。
高齢のため髪も眉も真っ白でしたが、瞳は黒く、地元の人間のようでした。
ただ、わたしにもある程度の霊視の力がありますので、その老人が普通の人間ではないことだけは、すぐにわかりました。
老人はわたしを見て、微笑みながら、こう言ったのです。
「上がるがいい。久しぶりに妖精族に逢ったわい。お互い失われた種族同士ではないか。わしも話がしてみたい」
それが、わたしとサンジェルマヌスさまの出会いでした。




