276 因縁の相手
和平会談が行われる自由都市ダナムへ向かうウルスとツイムの前に、馬に乗った数名の人相の悪い男たちが立ち塞がった。
着ているものや武器に統一性がなく、どうやら誰かから奪い取ったもののようだ。
ウルスは、その中心にいる男に見覚えがあり、思わず声を上げたのである。
その男の頬には、遠くからでも目立つ大きな刀創があったのだ。
しかし、ウルスがその男とどこで出会ったのか思い出す前に、男の方から話しかけてきた。
但し、その視線が向かう相手はウルスではなく、ツイムの方であった。
「おやおや。ここで逢ったが百年目ってのは、こういうことなんだな、海賊『ラカム水軍』の若造。そう、確かツイムとか言ったな」
ツイムは皮肉な笑みを浮かべた。
「ほう。よく覚えていたな。それより、あんたのその恰好は何だ? カリオテで如何様博奕を仕切ってたリゲスの兄貴が、今じゃ落魄れて追い剝ぎ稼業かい?」
因みに、ロックがすすんで身内の恥を言うはずもなく、リゲスがロックの従兄であることは、ツイムは知らないままである。
追い剝ぎ呼ばわりに、リゲスの浅黒い顔が怒りで赤黒く変わった。
「黙れ! こっちにも色々事情があるんだ。裏目裏目で獲物に逃げられ、マオール人にでっかい借りができちまったからな。何でもやって、稼がなきゃならねえんだ。だが、今はそんなことはどうでもいい。今日こそは、この頬の刀創の落とし前を、キッチリとつけさせてもらう!」
「ふん! それは、こっちの科白さ。如何様を見破ったおれを襲って、逆に、返り討ちに遭ったのを忘れたか。今度こそ、傷痕が残るだけじゃ、すませないぜ!」
大きな声でリゲスに言い返した後、ツイムは小声でウルスに囁いた。
「逃げますので、確り掴まっていてください」
ウルスは黙って頷く。
ツイムは剣を抜き、「行くぜ!」と馬に蹴りを入れて前方に突進すると見せかけ、リゲスの目前で馬首を廻らして、真横に逃げた。
「させるかよ!」
リゲスも剣を抜き放ち、ツイムの背中から斬りつけようと、横殴りに振るってくる。
その刹那、ツイムの前に乗っているウルスが首だけ後ろに捻じ向けると、顔を上下させて素早くウルスラに変わり、掌を突き出した。
それを目にしたリゲスは、スカンポ河での記憶が蘇ったらしく、「あっ! あの時の」と声を上げたが、次の瞬間には見えない波動をモロに受け、仰向けに落馬した。
仲間たちも、リゲスを放っておく訳にもいかず、その場に立ち止まる。
その間にも、ツイムの馬は全速力で前に駆けて行く。
「振り切れそう?」
心配そうに聞くウルスラに、ツイムも「たぶん」としか答えられなかった。
向こうの方が人数が多い上に、ウルスラを抱えている不利は否めない。
ツイムが振り返ると、既にリゲスは再び馬に乗り、猛然と追って来ている。
「くそっ!」
ツイムは進行方向を変えようか迷いつつ前を向いたが、「あっ」と息を呑んだ。
前方から溢れるように大勢の人間が現れたのだ。
皆、手に手に鍬や鋤などを持っている。
地元の農民らしい。
先頭に立った壮年の男が叫んだ。
「ウルスラさま! お逃げください! 狼藉者は、わしら兄弟姉妹にお任せくだされ! イーラ、プシュケー!」
密かに二人の様子を見ていたプシュケー教団の信徒が、仲間を呼んだのであろう。
かれらがリゲスたちを防ぐ間に、早く逃げよということのようだ。
ウルスラよりも、ツイムの決断の方が早かった。
「忝い! 後は頼む!」
速度を上げる馬の上で、ウルスラは心配そうに「いいの?」とツイムに尋ねた。
ツイムも馬に鞭を当てながら、答えた。
「恐らく大丈夫です。何しろ多勢に無勢。リゲスも進んで自滅する程の阿呆ではないでしょう。とっとと逃げるはずです」
「そうね。でも、今思い出したけど、あの男には一度攫われかけたのよ。ほら、スカンポ河の早船で、ツイムに黙って甲板に出た時よ」
「おお、そうでしたか。ウルスラさまに吹き飛ばされて河に落ち、必死で対岸まで泳いだとは聞きましたが、あれがリゲスの仕業だったとは。そうとわかっていれば、もっと早めに退治してやったものを」
残念がるツイムに、ウルスラは「ごめんなさいね」と謝った。
「ああ、いや、こちらこそ、過去の因縁がここで降りかかるとは、思ってもみませんでした。おお、そうだ。申し訳ありませんが、安全のため、ウルスさまに戻っていただけますか?」
ウルスラは少し悔しそうに「わかったわ」と応えて、顔を上下させる。
瞳の色がコバルトブルーに戻った。
「ありがとうございます、ウルスさま。もう間もなく、ダナムが見えて来る頃ですよ」
そのダナムでは、漸く教主サンサルスが、幌付きの馬車で到着したところであった。
出迎えたヨルム青年は心配そうな顔で、サンサルスが馬車を降りて来るのを、只管待った。
事前にヨルムが指導して、住民たちには普段と変わらぬ生活をさせていたが、さすがに街中が静まり返っている。
ヨルムは、ふと空を見上げた。
ベルギス大山脈の麓にある聖地シンガリアに比べると、ずっと日射しが強い。
ヨルムの顔を不安な表情が過った。
と、幌の出入口に垂らされていた薄い幕が、スーッと左右に開いた。
それだけで、周囲に何とも言えない好い香りが漂う。
数名の係の者が手早く作業して、幌の出入口の下に移動式の階段が固定された。
それでも、まだ、サンサルスは出て来ない。
さすがにヨルムも声を掛けるべきかと迷い始めた時、幌の中から声が聞こえた。




