268 仲介者
バロードの聖王宮を訪れたプシュケー教団のヨルム青年は、一人きりであった。
正式な国家の使者でもないため、本来なら門前払いとなってもおかしくはない。
しかし、すぐに聖王カルスの執務室に通された。
室内には、カルス本人と母ドーラの二人のみで、護衛も秘書官もいない。
カルスは執務用の机に座っており、その横にドーラが立っている。
型通りの挨拶をしようとしたヨルムを、カルスが止めた。
「儀礼などよい。用件を申せ」
ヨルムは気圧される風もなく、表情には余裕すらある。
「お初にお目にかかります聖王陛下。わたくしは、プシュケー教団のヨルムと申します。教主サンサルス猊下のお手伝いをさせていただいておる者です。この度、ウルスラ王女殿下よりご依頼を受け、サンサルス猊下が仲介の労をとられることとなりました。何分、宜しくお願い申し上げます」
カルスは意地の悪い笑い方をした。
「ほう。仲介? 高が宗教団体の長が、二千年の歴史を持つわが聖王国に、何の仲介をしようとほざくのだ?」
ヨルムが何か言う前に、初めからそういう段取りが決まっていたかのように、ドーラが息子を窘めた。
「これこれ、そう威丈高に言うものではない。可愛い孫娘のご友人ではないかえ」
カルスは皮肉な笑みを浮かべた。
「おふくろどのはお優しい。仕方あるまい。話だけは聞いてやろう」
ヨルムは、二人の芝居臭いやり取りなど全くに気にせず、笑顔のまま話し始めた。
この度、商人の都サイカに対し、新バロード聖王国軍一万が包囲戦を仕掛けられた経緯につきましては、当方の与り知らぬことにございます。
但し、われらにとって掛け替えのないお二方、即ち、ウルスラ王女殿下とクジュケ元参与閣下につきましては、是非ともお生命を救うべしと、兄弟姉妹、一般に言うところの信徒四万名にて参戦致しました。
結果は、ご存知のとおりにございます。
しかし、われらの危惧しますのは、第二第三の包囲戦が企てられるのではないか、ということにございます。
そこで、この戦を本当の意味で終わらせるべく、和平のための会談の席を設けた方がよろしいかと考えます。
場所につきましては、当方の信徒が多数を占める自由都市ダナムが、距離的にも中間地点にあたり、相応しかろうと存じます。
勿論、われらは仲介者に徹し、中立を保つことをお約束致します。
ご参加は少人数のみとし、互いに軍勢はお連れにならぬようにお願いします。
たとえ会談が物別れとなったとしましても、武力の行使はお控えください。
その場合は、再度の話し合いを重ねましょう。
如何でございますか。
会談をお受けいただけますか?
聞き終わったカルスの顔は、先程までの冷笑が消え、忿怒の形相に変わっていた。
「戯けたことを申すな! 唯でさえ無礼千万な申し出と思うておったに、そちらの息のかかった自由都市に少人数で出て来いとは、最早勘弁ならぬ! 余が自らその首を刎ねてやる! そこに跪け!」
傍らの護身用の剣を取って立ち上がるカルスを、またしても、ドーラが止めた。
「まあまあ、落ち着きなされ。仮にも聖王と呼ばれる御身の穢れとなりますぞ。それに、この者は一向に怯えておらぬようです。聞けば、プシュケー教団の者は死を怖れぬとか。威しても無駄でしょう」
カルスも本気ではなかったらしく、すぐに座った。
カルスが威し役、ドーラが宥め役と決まっているようだ。
ドーラは、改めてヨルムの方に向き直った。
「さてさて、会談の話はわかりました。まあ、わたしが一人で行ってもよい。わたし一人でも、一万の軍勢に匹敵すると思うが、それでもよいか?」
ヨルムはごく普通の会話をするように、何の気負いもなく、「はい」と頷いた。
ドーラも笑顔であったが、その底に、何か恐ろしい影のようなものが揺らめいている。
「ところで、一つ聞いてもよいかの?」
ヨルムは平静を保ったまま「何なりと」と答えた。
「うむ。そちは随分と若く見えるが、本当の年齢は、幾つかな?」
ヨルムの笑顔が固まった。
それでも、声は猶落ち着いていた。
「これは内緒にしていただきたいのですが」
「おお、無論。ここだけの話ぞよ」
ヨルムはニッと笑って答えた。
「今年で二十四になりました」
ドーラの顔に、ピリピリと癇癪の気配が現れたが、すぐにスッと消えた。
「面白い若者じゃな。良かろう。追って会談の日時を知らせよ。わたしが一人で行くと、ウルスラに伝えるがよい」
「はっ、有り難き幸せにございまする」
「そちは一人で帰れるかの? 誰かに送らせても良いぞ?」
ヨルムは、屈託のない笑顔を見せた。
「ご心配なく。わたくしは常に神と共にあります。と、言いたいところですが、実際には、バロードの国内にも数千名の兄弟姉妹がおり、徐々に増えております。中原全体では、凡そ二十万人。決して孤独ではありませぬ。それでは、失礼いたします」
ヨルムが去った後、激昂するかと思われた二人は、互いに見交わしてニヤリと笑った。
「おふくろどの、これでよろしかったでしょうか?」
「ああ。よくぞ演じてくれましたな。和平はこちらも望むところ。少なくとも、ウルスラたちがガルマニア帝国側に付くことだけは防がねばなりません。あの皇子を、何とかして引き離さねば。チャドスにひと働きしてもらいましょう」
ドーラはその場で宙返りすると、灰色のコウモリとなって飛び去った。




