267 南海の波涛
沿海諸国は、アルアリ大湿原とスーサス山脈によって中原から隔てられているため、千年の争乱に巻き込まれることもなく、独自の発展を遂げていた。
唯一の悩みの種は、沿岸の多島海に巣くう海賊たちで、それもマリシ将軍の勧めで連合警備船団が創設されてからは、脅威ではなくなっていた。
その状況が変わったのは、暗黒帝国マオールと繋がる東廻り航路の開発であった。
開発とは云うものの、沿海諸国による正式な航路ではなく、主体は海賊による密貿易である。
貴金属は言うに及ばず、近年は奴隷貿易も増えている。
当然、沿海諸国側も取り締まりを強化しているのだが、マオールの後ろ盾を得て、海賊たちも軍備を強化しつつあった。
そのような中、ガルマニア帝国と同盟を結んだマオールの艦隊が、最初は四隻、つい最近は十隻以上来航し、その度に小国の集まりに過ぎない沿海諸国は動揺した。
そのマオールの手先であるはずの海賊たちが、沿海諸国の盟主の位置にあるカリオテと、手を結びたいというのである。
大公宮に呼び出され、謁見の間でスーラ大公からそう告げられたツイムの次兄ファイムは、不信を露わにした。
「恐らく、罠にございます。うかうかと話に乗るべきではありませぬ」
人の好さそうなスーラ大公は、気弱な微笑みを浮かべ小さく頷いた。
「余もそうだとは思う。しかし、どうしても話がしたいと海賊の代表と名乗る者が来ておるのだ。すまぬが、ファイム提督の目で、相手の真意を確かめてくれぬか?」
ファイムは迷うことなく即答した。
「わかりました。わたしがその者と話しましょう」
「おお、そうか。では、ここで話すがよい」
別室でと考えていたらしいファイムは「あ、お待ちを」と言いかけたが、スーラ大公が「通してよいぞ!」と告げる方が早かった。
奥で待たされていたらしい相手は、すぐに謁見の間に入って来た。
どんな厳つい海賊が出て来るのかと身構えていたファイムは、唖然として相手を見つめた。
海賊の代表は若い女であったのである。
日に焼けた浅黒い顔をしており、長い黒髪を後ろで一つに縛っている。
「どうしたのさ。海賊の首領が若い娘じゃいけないのかい?」
言われたファイムは「あ、いや、そんなことは」と、最初から気を呑まれている。
「じゃあ、いいんだね。あたいはミラ。『ラカム水軍』を率いてる」
『ラカム水軍』と聞いてファイムの顔色が変わった。最大勢力の海賊で、残虐非道なことで知られている。
「そうか。『ラカム水軍』とは何度か戦ったことがあるが、まさかこのような」
ミラは鼻で笑った。
「若い娘とは思わなかった、ってかい? 多分、あんたが戦ったっていうのは、あたいの親父のラカムだろう。もうとっくに引退したよ」
「成程。ああ、そうだ、まだ名乗ってさえおらなんだな。わたしはファイム。カリオテ海軍の提督だ」
ミラは微妙に表情を変えた。
「へえ。なんとなく似てると思ったら、ツイム兄ちゃんの兄貴か」
「おお、そうか。ツイムが若い頃、道を踏み外して悪い仲間に入っていたことがあるが、どの海賊かは教えてくれなかった。わたしが攻撃を躊躇わないようにと、変な意地を張ってな。その時、好きな娘がいると言っていたが」
ミラは耳まで赤くなった。
「馬鹿なこと言わないでおくれ! 年齢が合わないだろう。あたいはそのころ八つだよ。さあさあ、そんなことはどうでもいいんだ。あたいの話を聞く気はあんのかい?」
「うむ。そうであった。われわれと同盟したいとは、どういう風の吹き回しなのだ?」
ミラは表情を変え、一つ深く息を吸うと、話し始めた。
あたいたちは先祖代々の海賊さ。
悪いことは散々やってきたし、そのことに言い訳はしないよ。
でも、絶対やらなかったことが、一つだけあった。それが奴隷貿易さ。
あんた、今、意外そうな顔をしたね。
あたいらが奴隷貿易をやってると思ってたんだろう?
違うよ!
あれは、現役を引退した阿呆な親父がやってたのさ。
もう、あたいが止めさせたけどね。
ところが、それじゃ困ると、マオールのやつらが圧を掛けてくるようになった。
勿論、あたいは首を縦に振らなかったよ。
それで諦めたのかと思っていたけど、その代わりに陸路ガルム大森林を通って、沿海諸国に属さない小さな港町を使うようになった。
それまで止めさせる程あたいらはお人好しじゃないから、放って置いたのさ。
そしたら、奴隷貿易以外の密貿易も全て、そちらの経路にすると宣言してきやがった。
お陰で、あたいらが分捕ってきた金品は、一旦その港町に陸揚げしなきゃならなくなった。
しかも、法外な税金を掛けられてね。
それだけなら、まだ我慢できた。
東廻り航路で取引きしてた分を、昔のように西廻り航路に振り替えれば、まあ、なんとか凌げるからね。
驚いたことに、マオールのやつらは、その西廻り航路にも課税すると言ってきたんだ。
通行税だとさ。
ふざけるな!
あ、ごめん。怒りがぶり返してきたんだ。
あいつらは海賊の上前を撥ねる極悪なんだ。
こっちが弱いと見ると嵩にかかってくる。
まあ、悪いけど、あんたらも大して強くはないだろうけど、放っときゃどっちも潰される。
どうだい、あたいらと手を組まねえかい?
ファイムは苦笑しながら、スーラ大公の顔を見た。
大公も、あまりに明け透けなミラの言い方に、笑ってしまっていた。
笑いながら、頷いている。
ファイムは、ちょっと表情を引き締めて、宣言した。
「よかろう。今日を以て、われらは仲間だ。但し、カリオテ大公国だけでは意味がない。沿海諸国全体を纏める必要がある。おまえも、『ラカム水軍』以外の海賊を説得してくれ。われらの海を、われらの手で護るのだ!」
「ああ、任しときな! あたいらの海は、あたいらで護ろう!」
その頃、バロードの聖王宮に使者が訪れていた。
プシュケー教団の詰襟制服の青年、ヨルムである。




