266 揺れる帝国
古来、どのような王朝にも後宮というものがあった。
ガルマニア帝国も例外ではない。
実際、ゲール皇帝の三人の息子たちは、皆母が違う。
長男ゲーリッヒの母は、野人とも蔑称される森の民の娘。
次男ゲルカッツェの母は、ガルマニアでは珍しい古い貴族の娘。
そして、三男ゲルヌの母は、武人の娘であった。
その母たちの性格をそのままに、三兄弟は互いに全くと云っていい程似ていなかった。
その中でも次男ゲルカッツェは、父と同じ筋肉質な体型の他の二人と違い、ゲールの息子とは思えぬような肥満した身体をしており、武芸には全然興味を示さなかった。
唯一の趣味は食べることで、分けても甘い菓子を好んだ。
やや縮れた赤毛で、これだけは父譲りの美しい顔立ちをしているが、全くと云っていいほど覇気がない。
成人は過ぎている年齢なのだが、甘えた子供のような目をしている。
ところが、そんな若者が皇帝に即位して、別の愉しみを覚えた。
美姫を侍らせることである。
手配をしたのは、勿論、宰相のチャドスであった。
母国のマオール帝国から、選りすぐりの美女たちを呼び寄せたのだ。
未だに奴隷貿易の悪習のある暗黒帝国マオールのこと、連れて来られたのはマオール人ばかりではない。
ゲルカッツェの好みが不明なため、出身国も民族も体型も異なる十数名の美女軍団が用意されたのである。
ゲルカッツェはすぐに夢中になった。
最初の内こそ後宮に限られていたのが、どこへ行くにも美女軍団を同行させるようになった。
不思議なことに、特定の誰かを寵愛する風ではなく、全員を平等に扱った。
大勢からチヤホヤされるのが、何より嬉しいらしい。
美女に対しては博愛主義のゲルカッツェが、臣下に対しては極端な選り好みをした。
少しでも自分に逆らう者、小言をいう者、媚びない者を徹底して排除するのである。
ところが、その意味では最も嫌いなはずの人物がいつも傍らにいた。
宰相のチャドスである。
今日もチャドスが政策上の意見を具申に来たのだが、玉座のゲルカッツェはそっぽを向き、美女軍団とのお喋りを止めそうにない。
苛立ったチャドスは、細い目をいっぱいに見開いて、パーンと手を鳴らした。
「さあ、おまえたち、皇帝陛下のお側から離れるのだ! これから陛下と大事な話をせねばならん!」
本来の雇い主であるチャドスには逆らえず、美女軍団はそそくさと立ち去った。
これ見よがしに頬を膨らませているゲルカッツェに、チャドスは一切忖度せずに話し始めた。
陛下、これから申し上げるのは、帝国の未来を左右する大事なことです。
心してお聞きください。
まず、廃太子となったご長男、ゲーリッヒさまの件。
最近になって、益々怪しい動きをしております。
森の民を使って、屡々国境沿いにちょっかいを掛けています。
あのような野人など、怖るるに足りませんが、真の目的は別にあるはず。
各方面で戦っている将軍たちとも、密かに連絡を取っている気配がございます。
この際、後顧の憂いを断つべく、討伐の軍を差し向けるべきかと存じます。
理由でございますか?
理由など、幾らでも作れます。
次に、弟君ゲルヌ殿下の件。
漸く行方がわかりました。
商人の都サイカでございます。
なんと驚くべきことに、サイカを包囲したバロード軍との戦いの指揮を執り、これを撃破したというのです。
まだ噂の段階ですから、俄かには信じられませぬが、気の早い者たちは、ゲール皇帝の再来と騒いでおりまする。
こちらも早めに手を打たねば、陛下が霞んで、あ、いや、陛下のご威光に傷が付きます。
さて、ここからが本題でございます。
先程申し上げましたように、バロードは、ああ、正式には新バロード聖王国と名乗っているようですが、一都市に過ぎぬサイカに戦いを挑み、あろうことか、アッサリ負けてしまったのです。
対外的な威信の低下は、避けられませぬ。
かのシャルム渓谷の奇蹟的な勝利によって、富国ではあっても弱兵との汚名を返上し、更に蛮族軍と鉄の巨人が加わって、わが帝国と比肩し得る強国となったはずが、元の弱国に戻ったのではないかとの、もっぱらの評判です。
今こそ、バロードを叩く絶好の機会です。
対外戦となれば、国内の不平不満も鎮まりましょう。
陛下、何卒ご決断を!
ゲルカッツェの返事は一言だけであった。
「いやだ!」
体毛が薄く、つるりとしたチャドスの肌が、怒りで真っ赤になった。
「陛下! 何度も申し上げておるように、陛下自らが動く必要はありません。実際の戦争は、兵士たちがやるのです」
だが、美女軍団と引き離されたことに余程腹が立ったのか、ゲルカッツェも引き下がらなかった。
「嘘つき! ブロシウスを攻めた時も、結局、ぼくが大剣で斬らされたじゃないか! 魔道師に手伝わせたんだろうけど、斬った瞬間のことは鮮明に覚えてる! お陰で、今でも悪夢に魘されるんだぞ! もう、操り人形は沢山だ!」
チャドスの顔色が、スーッと白くなった。
「失礼を申し上げました。バロード攻めの件、再検討いたしまする」
態度を豹変させたチャドスに、普通なら不安を感じるところだろうが、ゲルカッツェは満足そうに「わかればいいんだ。早く美女たちを戻してよ」と笑った。
「畏まりました、陛下」
慇懃に頭を下げて退室したチャドスは、天井に向かって囁いた。
「おるか?」
姿は見えないが、「はっ!」と返事が聞こえた。
「うむ。そろそろ潮時だ。例のものを、手配せよ」
「御意!」




