260 サイカ包囲戦(28)
サイカの中央部に戻って来たゾイアから告げられた言葉に、ウルスラは戸惑った。
「わたしの、出番?」
「そうだ。クジュケから少しは聞いていたが、プシュケー教団と縁ができたそうだな。そのせいだろう、数万人の援軍が来ている。われの予想以上に早く、戦いの決着がつきそうだ。最早これ以上血を流す必要はない。そして、バロード軍にそれを話すのは、ウルスラ王女の役目だと思うぞ」
ウルスラは、年相応の少女の顔で俯いた。
「そうよね。でも、何を話したらいいのか、わからない」
ゾイアは、先程まで敵を震え上がらせていた獣人将軍とは思えぬような、優しい笑顔を見せた。
「思っているままを話せばよい。大丈夫、それでわかってもらえるはずだ」
ウルスラは夢から醒めたように、ゾイアを見た。
「わかったわ。わたしが話します」
「うむ。好い面構えになったな。では、われと一緒に飛んで行こう」
横で話を聞いていたクジュケが心配そうに、「ちょっとお待ちください」とウルスラに声を掛けた。
「殿下のお声では皆に聞こえますまい。わたくしとて魔道師の端くれ、このようなものを持っております」
クジュケが懐から取り出したのは、細い針金の先に丸い紙を貼ったものであった。
「この紙の部分に口を近づけて声を出すと、音が何倍にも拡大します。どうぞ、お持ちください」
かくして、城壁の外でプシュケー教団と対峙するバロード軍五千名の頭上に、鳥人形態のゾイアに抱えられたウルスラ王女の姿が現われたのである。
その、ある種神話めいた姿に、五千名が静まり返った。
対するプシュケー教団も、それを見守る。
ウルスラは、クジュケから渡された拡声器のようなものを口元に寄せ、話し始めた。
バロード軍のみなさん、わたしはウルスラです。
みなさんがよくご存知の、ウルス王子の姉です。
わたしたち姉弟のことは、もう隠す必要もなくなりましたので、ハッキリ申し上げておきます。
わたしたちの身体は一つですが、心は別々です。
それが両性族と呼ばれる存在であることは、最近知ったばかりです。
でも、今は、わたしたちのことはそれぐらいにしておきますね。
話さなければならないことがあります。
それは、わたしたちの父、カルス王のことです。
かつて、わたしたちは父を尊敬しておりました。
滅びかけていたバロードを再興し、王国にも善政を敷いていました。
家族にも優しく、わたしたちも幸せでした。
そこに、突如カルボン卿の謀叛が起きたのです。
わたしたちは、タロスのお陰でなんとか逃げ延びることができたのですが、母は殺され、父も死んだものと思っておりました。
その父が生きているらしいと知ったのはある不思議な体験によってでした。
でも、わたしは信じることができませんでした。
派手な仮面を被り、中原とは異なる衣装を身に纏った父は、なんと蛮族の帝王となっていたのです。
当然、何か事情があると思い、仮面に隠されても父の本性は変わらないものと思っていました。
ところが、その後、蛮族と野盗の連合軍としてバロードに攻めて来た父は、復讐の鬼そのものでした。
鉄の巨人で首都バロンの市街を焼き払い、当時の共和国政府を倒すと、すぐに粛清を始めたのです。
少しでもカルボンの謀叛に関わった者は処刑され、その家族は投獄されました。
王政を復活した後は、北方から連れて来た蛮族に特権を与え、かれらがどのような乱暴狼藉を働いても咎めず、それどころか、次第に国家の上層部は殆ど蛮族によって占められるようになりました。
今やバロードは完全に異民族に支配されています。
そして、それに阿るガネス将軍のような人物が出世しているのです。
そのため、一般の国民は、重税と圧政に苦しんでいます。
わたしは今、父の子であるのが恥ずかしい。
国民に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
わたしは、これ以上、バロードの現状を放置することはできません。
ですが、ご覧のように、今のわたしは何の力もない、僅か十歳の子供です。
どうかみなさん、これ以上、無益な侵略戦争に加担することは止め、わたしに力を貸してはもらえませんか?
バロードを、元の平和で希望に満ちた国に戻すのを、手伝ってくれませんか?
水を打ったように静まっていた五千人の中から、誰かの「王女と共に!」という声が聞こえた。
それを聞いた別の者が、「王女と共に!」と叫んだ。
次々と木霊するように、同じ声が上がった。
「王女と共に!」
「王女と共に!」
「王女と共に!」
ウルスラは、「ありがとう、みなさん!」と応え、声を拡大する道具を外して、自分を抱えているゾイアに尋ねた。
「これで、よかったかしら?」
「上出来だ。しかし、王女よ、難しいのは、ここからだぞ」
「そうね。やるべきことは、後二つ。ゾイア、先ずはプシュケー教団のところに飛んでくれない?」
「心得た」
四万人のプシュケー教団の信者たちの頭上に来ると、ウルスラは再び拡声の道具に口を寄せた。
プシュケーのみ教えを信奉する兄弟姉妹のみなさん、本当にありがとうございました。
みなさんのお陰で、これ以上の流血を防ぐことができました。
かつて、サンサルス猊下より、身に余る厚遇をいただき、プシュケーを表す古代文字を象った宝玉に、細い金の鎖が付いた首飾りを賜りました。
この客人の印を身に着けていれば、どこにいても兄弟姉妹に助けていただけるとは聞いていましたが、ここまでのご厚情をいただき、お礼の申し上げようもありません。
改めて、心より感謝いたします。
四万人の「イーラ、プシュケー!」という唱和を受け、ウルスラは目を潤ませた。
が、すぐに表情を引き締め、ゾイアに告げた。
「さあ、戻りましょう。最後に、未だに市内で戦っている者たちを止めねばなりません」




