251 サイカ包囲戦(19)
サイカが、バロード包囲軍による総攻撃の初日を凌いだ日の夜。
ニノフはクルム城の執務室で、ケロニウスがバロードの間者かもしれないとペテオに告げたのであった。
「そ、そんな馬鹿な!」
思わず大きな声を出してしまったペテオは、慌てて自分の口を押さえた。
そのため、せっかくキレイに整えた口髭がクシャッと潰れてしまった。
「失礼しました、殿下。しかし、何故、そう思われるのですか?」
ニノフは吐息をついて、悲しげに微笑んだ。
「ああ、こちらこそすみません。これはあくまでも可能性がある、という話としてお聞きください」
実は、内々に話を進めていたのですが、バロード領内で密かに反政府活動をしている『自由の風』という組織と協力することが決まりました。
この件は、明日にでも皆さんに正式にお伝えするつもりです。
その『自由の風』の一員で、バロード軍に所属している者から、つい先程、特別に速い伝書コウモリで緊急連絡が入りました。
バロード軍に、西側国境に集結せよとの命令が出されたというのです。
その数、凡そ一万五千。
しかも、西側でもわれわれが居る北の方ではなく、暁の女神の砦に近い南の方だそうです。
エオスの砦には、先日まで二千の留守部隊が居ましたが、今はゾイア将軍に率いられて更に南のサイカを目指しているはずです。
空いた砦には、替わりに『荒野の兄弟』が詰めてくれていますが、僅か五百名に過ぎません。
そうなると、バロード軍の動きは、われわれが大軍を引き連れてエオスの砦に入ろうとしていることを見越してのものでしょう。
ところが、ペテオどのの率いる第一陣の出発ですら、明日の朝なのです。
対応が早過ぎます。
こちらの情報を、誰かがバロードに伝えたとしか思えません。
そこで問題になるのが、その時間です。
北方警備軍にも、おれの機動軍にも、渡河を伝えたのは今日の午後のことです。
しかし、バロード軍に命令が下されたのは午前中だそうです。
今朝の段階で渡河のことを知っていたのは、おれとペテオどのと、ケロニウス老師だけでした。
老師は昨日そのバロードから戻って来たばかりで、しかも、おれの祖母だというドーラから変な薬を飲まされたというではありませんか。
つまり、老師本人の意思ではなく、操られている可能性があるということです。
勿論、おれたちに確かめる術はありません。
できることは、クジュケどのが戻るまで、老師に重要な情報を伝えないようにすることぐらいでしょう。
話を聞いたペテオは呻くように、「今一番智慧を借りたい相手なのになあ」と嘆いた。
ニノフは慰めるように、ペテオの肩を軽く叩いた。
「あくまで可能性ですが、用心しましょう」
そのニノフの執務室に向かって、ケロニウスが独り言をいいながら歩いて来ていた。
「もうお休みじゃろうか。しかし、もう少し渡河の後の段取りを話しておかねば」
すると、向こう側の角から若い女が出て来た。
ゾイアたちが北方に行った時、食人族のマゴラ族から救ったシトラ族の娘レナである。
辺境伯アーロンに惚れ込み、クルム城までついて来て、そのまま住み着いている。
以前、カルボンが『アルゴドラスの聖剣』を携えて、ニノフを仲間にしようとクルム城に説得しに来た際、レナが怪しい動きを見せたことは、誰にも気づかれていない。
レナはケロニウスの顔を見ると、首を振った。
「ジイサン、ダメ。モウ、デンカ、ネテルヨ。ツカレテル、オコスナ、イワレタヨ」
「おお、そうじゃったか。うむ。やむを得まい。明日にしよう。わしも早めに寝るか」
引き返すケロニウスを見送っていたレナが、鼻で笑った。
「ふん、そうさ。お年寄りはもう寝る時間だよ」
訛りのない、中原の言葉であった。
明けて、サイカ包囲軍の総攻撃二日目。
ゲルヌ皇子の言ったとおり、この日も再び裏門の鉄の扉への破城槌の攻撃から始まった。
それも、前日以上の激しさである。
巨人の強弓を手にしたティルスを裏門近くに待機させ、早速ゲルヌを抱えてクジュケが飛ぶ体勢をとった。
「どのように飛びますか?」
「一先ず、真っ直ぐ上昇してくれ」
「畏まりました」
返事をしながら、クジュケはゲルヌが細かく震えているのに気づいた。
さすがに飛ぶのが怖いのだろうと思ったが、そうではなかった。
「この策戦が失敗すれば、大勢の者が死ぬことになろう。余にできるのは、その犠牲が少しでも減るよう指示を出すことだけだ。頼むぞ、クジュケ」
「はっ!」
クジュケは上昇しながら、たった十歳の少年にこれ程の重責を負わせてしまったことに、胸が痛んだ。
同時に、この少年は、父のゲール皇帝とは違う、どんな道を歩いて行くのだろうと想像した。
「もう少し、高度を下げてくれ」
「あ、はい。ですが、あまり下がると、敵の弓隊に狙われますよ」
「多少の危険は已むを得ない。ティルスの体力を考えると、できるだけ無駄打ちのないようにしたい」
「では、蛇行しながら、下降します。お気をつけください」
クジュケが高度を下げると、バロードの弓隊から次々と矢が放たれた。
その一本が、ゲルヌの横を掠めた。
「うっ!」
「あっ、大丈夫ですか!」
「擦り傷だ。気にするな」
「一旦、高度を上げます!」




