249 サイカ包囲戦(17)
こうして、サイカ包囲軍の初日の総攻撃は、各方面とも殆ど何の戦果も上げることなく、日没を迎えた。
その戦況を報告に来た各方面の隊長たちを前に、ガネス将軍は、自分が座っていた野戦用の椅子を蹴り倒して激昂した。
「おまえらは、それでも栄えあるバロード正規軍か! そんなことだから蛮族のクソどもに舐められるのだ!」
皆が項垂れて声も出ないところへ、窓からヒラヒラと灰色のコウモリが入って来た。
「あ、これは」
驚いて話を止めたガネスの目の前で、ノスフェルがクルリと宙返りして銀髪の美熟女となった。
カルス聖王の母、ドーラの姿である。
「だいぶ苦戦しておるようじゃな、ガネス。なんなら、クソのような蛮族を援軍に送ってもよいぞ?」
ガネスの額から冷汗が流れた。
「あ、いえ、今のは、その、こやつらを奮起させるための言葉の綾でございまして」
「そうか。おまえの代わりに蛮族の将軍に指揮を執らせるのも一興かと思うたが」
ガネスは、慌ててドーラの前に跪いた。
「そ、その儀は平にご容赦を。明日には間違いなく、サイカを落とす所存でござれば」
「まあ、今暫くは様子を見てやってもよいと、これはカルス陛下のお言葉じゃぞ」
「はああーっ! 有難き幸せにござりまする!」
「陛下の信頼を裏切るでないぞ」
「はっ。真に申し訳なきことながら、ウルス王子には逃げられてしまいましたが、その分、遠慮なく攻められますので」
ドーラは呆れたような顔でガネスを見た。
「あれは替え玉ぞ。そんなこともわからんのか」
「え? しかし」
「もう、よい。実は、今日来たのは、それも含め、おまえに周辺の実情を教えてやろうと思うたからよ。少し口を閉じておけ」
おまえが最初に逃がした獣人将軍ゾイアは、かつてわれらが拠点としておった『暁の軍団』の砦から、留守部隊の兵二千を率いてこちらに向かっておる。
恐らく、明日の夜にはここに着くであろう。
それから、ウルスの身代わりとして脱出したボップ族とその仲間は、『自由の風』の者たち五百名と合流し、周囲の自由都市から義勇兵を募っている。
明日中には、『自由の風』と併せて凡そ千人の規模になろう。
だが、まあ、ここまでは、さしたることはない。
大きな問題が、別に二つあるのじゃ。
一つには、ゾイアが留守部隊を全員引き連れて出た砦に、今は『荒野の兄弟』の五百名が留まっているだけだが、ここに辺境伯領にいるニノフが大軍を連れて来ようとしておるのじゃ。
その数、一万二千。
勿論、スカンポ河を渡らねばならぬから、今日明日という話ではない。
に、しても、バロードにとっては、喉元に短刀を突き付けられるようなものじゃ。
もう一つは、もっと差し迫っておる。
何故なのか詳しい理由はわからぬのだが、ベルギス大山脈の麓にあるプシュケー教団の本拠地シンガリアから、サイカへ救援の軍が向かった。
シンガリアを出発した当初は千名程であったのが、途中で続々と信者が参加し、既に五千名を超えてもまだ膨れ上がってきている。
こちらは明後日には先頭が到着するであろうのう。
わかるか、ガネス。
明日サイカの決着が付けられなければ、次々に向こうの援軍が来るのじゃぞ。
しかも、本国バロードは、ニノフの大軍に備えて警戒を解けぬ。
こんな小さな獲物に援軍を送るような余裕はないぞよ。
よって、必ず明日中にはサイカを落とせ。
もう言い訳は聞かぬぞ。
ガネスはその場で平伏した。
「ははあっ! このガネス、身命を賭して、必ずやサイカを潰してご覧にいれまする!」
「頼みましたぞえ」
そのまま出て行こうとするドーラに、ガネスは「ウルス殿下がサイカに残っておられるのなら、如何計らいましょう?」と問い掛けた。
ドーラは立ち止まり、少し目を閉じた。
「聞くな。聞かれれば、大義親を滅す、と答えるしかないではないか。わたしは何も聞かれておらぬぞ。よいな?」
「御意!」
ドーラはクルリと宙返りすると、灰色のノスフェルとなって飛んで行った。
明日が決戦になるだろうとの読みは、サイカ側も同じであった。
一応、夜襲の可能性も考え、あちこちに篝火を焚いて警戒しつつ、各方面の責任者がライナの屋敷に集まって対策を協議していた。
ライナは、真っ先にゲルヌ皇子に意見を聞いた。
「で、明日はどうする?」
ゲルヌは、癖のないサラサラした赤毛をかき上げた。
「明日一日保たせることができれば、少なくともゾイア将軍の援軍は来るだろう。連れて来る兵も然ることながら、将軍自身の戦力も大きい。一気に形勢が変わる。が、無論、包囲軍側もそれはわかっている。決死の覚悟で明日の内に決着を急ぐはずだ」
ツイムが苦い顔になった。
「狙われるとしたら、やっぱりおれのとこだな」
クジュケが首を傾げた。
「でも、落とし穴で破城槌は防げたのでしょう?」
「一時的にはな。その後、随分静かだったが、砂を流し込む音がずっとしてた。もう大部分、埋められたと思うぜ」
ティルスが「好ければ三百ぐらいそちらに廻そうか?」と提案した。
各方面均等に七百名割り当てられている兵数を、変えようというのだ。
クジュケも、「おお、では、わたくしの方からも三百」と追随する。
今日はウルスラではなくウルスが出席しているため、静かに皆の意見を聞いているだけである。
判断に困ったライナは、また、ゲルヌに「どう?」と尋ねた。
だが、ゲルヌはきっぱりと首を振った。
「いや、それは無駄だ」




