248 サイカ包囲戦(16)
正門の火を消すため、ライナは男衆たちに、木桶で使用済みの水を汲んでくるように命じた。
やがて戻って来た男衆たちは、水の入った木桶以外に、何かブヨブヨした皮のようなものを持っていた。
そこから何か生臭いようなにおいがする。
ライナは鼻を摘まんだ。
「うっぷ、何だよ、それは?」
聞かれた男衆も気持ちが悪そうな顔で答える。
「家畜の膀胱を干したものだそうです」
「膀胱? なんだってそんなもん持って来たのさ。あ、なに笑ってんだよ!」
顔を顰めるライナを見て、男衆は少し笑ってしまったのだ。
「すみません、でも、おれたちが考えたわけじゃないんです」
「じゃ、誰だよ?」
「ゲルヌ皇子です」
「え? あの坊やが、どうして?」
「へい。おれたちが水場のある市の中心部へ行って水を汲んでると、皇子から何をしてるか聞かれました。で、説明すると、門より出っ張ってる望楼の露台から水を撒いたって、意味がないって言われたんです。で、家畜の膀胱を探して一緒に持って行けと。幸い、隊商が使う水筒用の原料が余ってましたんで、全部持って来ました」
ライナは興味を惹かれたらしく、表情が変わった。
「それをどうするのさ?」
「これにタップリ水を入れて口を縛り、紐か綱でバルコニーから吊り下げればいい、って」
「吊り下げるだけかい?」
「へい。後は敵が矢を射てくれれば、膀胱に当たって破れ、丁度いい具合に水が門にかかるそうで」
「ほう。やってみる価値はありそうだね。よし、おまえたちみんなで、手分けしてやんな。愚図愚図してたら、門が燃え尽きちまうからね。それにしたって、ゲルヌ皇子は、なんだってこんなことを知ってるんだろう?」
「ああ、なんでも、ガルマニア人というのは元々狩猟民族で、動物の膀胱を水筒として使ってたそうです」
「に、したってさ。まあ、いいか。さあさ、もう後は口を閉じて手を動かしな」
男衆たちの作業を見守りながら、ライナは「やっぱり、大した坊やだねえ」と独り言ちた。
クジュケが担当する左側にも攻撃が開始された。
ここには門がないため、包囲軍側は城壁に多数の雲梯を掛けてきた。
攻城用の長い梯子である。
一度に昇れる人数に限りがあり、効率的とは云えないが、成功すれば確実に兵を送り込める。
兵たちは互いに競い合うように、次々に昇って行く。
一番最初に城壁の頂上に顔を出した兵士は、目の前に人間の顔があって驚いた。
その顔は、銀髪を前で切り揃えた中年男で、耳が少し尖っている。
クジュケであった。
身体が空中に浮かんでいる。
「そろそろ来ると思っていました。わたくしも魔道師の端くれ、こういうこともできますよ」
クジュケが掌を突き出すと見えない波動が迸り、雲梯を昇って顔を出した兵士にぶつかった。
「うあああーっ!」
雲梯ごと後ろに倒れて行く。
その間にも他の雲梯から兵が上がって来る。
「忙しいことですね」
そこへ飛んで、掌を突き出す。
兵士が雲梯と共に倒れる。
すると、また別の場所で兵士が顔を出す。
十人程繰り返したところで、クジュケは一旦地面に降りた。
さすがに息が上がっている。
「ふうっ、とても身が保ちませんね。理気力が回復するまで休ませてください」
ティルスが担当する右側には、移動櫓が迫って来た。
櫓の下に車輪を付け、馬や人力で動かすものである。
城壁より高く、天辺の矢狭間から、文字どおり矢継ぎ早に矢を射掛けてくる。
急角度である上に落下の速度も加わって、ティルスの周辺の何名かは避け切れず、悲鳴が上がった。
ティルス自身は長剣で払い除けながら、徐々に後ろに下がって行く。
ティルスは周辺を見回し、「誰かわたしに弓を貸してくれぬか」と頼んだ。
一緒になって逃げている傭兵たちの一人が、「無理だよ。とても届きゃしない」と言う。
「普通の弓では無理だろうが、強弓ならいいかもしれん。ここにないだろうか?」
猶も諦めぬティルスに、すぐ傍の顎髭を生やした傭兵が「あるにはあるが」と声をかけてきた。
「おれはサージだ。ヨギって弓自慢の仲間が、さすがに使えないと置いていったものがあるが、試してみるかい?」
「おお、頼む、サージ」
持って来られたのは、普通の弓の倍以上もある強弓であった。
「恐らく巨人用だと思うぜ。あんたに引けるかな」
「うむ。やってみるしかないだろう」
ティルスは弓を受け取ると、手槍かと見紛うような矢を番えた。
「むうっ!」
ティルスは渾身の力を籠めて引くが、弓はピクリとも動かない。
見ていた顎髭のサージが「やっぱり無理だよ。早く逃げよう」と勧めたが、ティルスは返事もできないようだ。
顔を真っ赤にし、腕の筋肉が岩のように膨らんでいる。
と、ギリッ、ギリッと音がして、ギガン用の強弓が少しずつ、少しずつ引かれていく。
サージが大声を出した。
「おい、みんな見てみろ! こいつ凄えぞ!」
方面隊長であるティルスに失礼な言い方には違いないが、今はそれどころではない。
ティルスは身体から瀧のように汗を流しながら、遂に弓を引き切った。
それをジリジリと上に向け、移動櫓の天辺目掛けてビュンと放つ。
手槍のような矢は風を切り裂き、移動櫓の矢狭間にズボッと突き刺さり、中から絶叫が上がった。
それを見届けたサージが感嘆の声を上げる。
「凄え、やりやがった!」
ところが、ギガンの強弓を射たティルスは、そのまま、どうと後ろにひっくり返ってしまったのである。
「大丈夫か!」
サージが駆け寄ると、ティルスは微かに笑って見せた。




