238 サイカ包囲戦(6)
意識を取り戻したものの、『荒野の兄弟』の砦に戻りたいと言っているらしいタロスのところへは、無用に刺激して混乱させぬため、クジュケ一人で行くことになった。
来客用の寝室にいるタロスは、もう起き上がって寝台に腰掛けていた。
部屋に入って来たクジュケを訝しげに見て、「あなたは?」と尋ねる。
クジュケは微笑んで、初対面のように挨拶をした。
「クジュケと申します。ニノフ殿下の外交顧問のような仕事をさせていただいております」
「おお、ニノフ将軍の。ん? 殿下とは?」
「あ、いえ、閣下でしたね。失礼いたしました」
クジュケは、タロスの記憶がどこで途切れているのかわからず、冷や汗をかきながら喋っている。
タロスの方は、全く不審を感じてはいないようだ。
「いえ、こちらこそ。申し遅れましたが、わたしは『荒野の兄弟』の闘士、ティルスという者です。この度、頭領のルキッフから頼まれ、バロードへの使者として参りました。ニノフ将軍とは先程までご一緒しておりましたが」
タロスは、いや、ティルスは天井を見上げて何かを思い出そうとしていたが、ふと、明り取りの窓から見える空に目を留めた。
「空が随分青い。もしかして、ここはバロードではないのですか?」
バロードのある中原西北部よりも一層乾燥した気候の西南部では、雲一つない青空となることが多く、その青みも深いのである。
クジュケは言葉を選びながら説明した。
「はい。ここは商人の都サイカです。ニノフ将軍の許を訪ねられたあなたは、原因不明の病で人事不省となられました。そこで治療のため、わたくしがここへお連れしたのです。記憶に曖昧なところがあるのはそのためでしょう」
「おお、そういえば、酷い頭痛で気を失った記憶があります。それで、使者の件はどうなりましたか?」
聞かれたクジュケは、額に汗を滲ませながら、その前後の出来事を思い返してみた。
「はい、もうお一方の、ええ、お名前は……」
「あ、ベゼルですね!」
「ええ、そうでした。ベゼルさまとニノフ将軍がお話を纏められました。ですから、ゆっくり治療に専念するようにと、ルキッフさまからも申しつかっております」
「そうなのですね。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」
漸く安心したように、ティルスは笑顔を見せた。
一方、タロスの件をクジュケに任せた会議室では、既に議論が始まっていた。
司会役は自然にギータになっている。
「正直なところ、バロードがどこまでのことを考えているのか、わしにはわからん。王子の身柄を確保することが主目的なのか、或いは逆に、この機会にサイカを潰すつもりなのかじゃが」
すると、ゾイアがアッサリと「両方だろう」と述べた。
「われの見立てでは、バロードは早めに中原の西半分を押さえ、ガルマニアと対等な立場で不可侵条約を結びたいと考えている。そのためには、『自由都市同盟』は邪魔でしかない。現時点でサイカを完膚無きまでに叩いて置けば、その憂いはなくなるからな」
さすがにライナが嫌な顔をした。
「この人ったら、復活早々、ズケズケと縁起でもないことを言うねえ」
ゾイアの意見に、意外な味方が現れた。
引き合いに出されたガルマニア帝国のゲルヌ皇子である。
「いや、この者の言うとおりだ。未だにバロード軍が積極攻勢に出ないのは、ここに世継ぎがいるからに過ぎない。身柄を引き渡せば、遠慮なく攻めて来るであろう。いや、それどころか、酷なことを言うようだが、引き渡しにあまり日数が掛かるようなら、それすら抑止力にならぬかもしれぬ」
ウルスやウルスラと同じ十歳とは思えぬその考え方に、皆その父親であるゲール皇帝のことを思い出さずにはいられなかった。
何くれとなくゲルヌのことを気にかけているツイムも、ギョッとしたように、その秀麗な横顔を見つめた。
自分のことを言われているウルスラの方は、悲しそうに頷いた。
「その可能性は否定できないわ。今の父上は、目的のためには手段を選ばないから」
ゲルヌの言い方に少し苛立ったロックが、「向こうが攻めて来ないうちに、こっちから攻めたらいいんじゃねえか?」と無謀な提案をした。
ギータが苦い顔で「無茶を言うな。敵は三倍以上じゃぞ」と窘める。
だが、ゾイアは「いや、そうでもあるまい」とロックの考えを否定しなかった。
「ここは中原の中でも最も乾燥した地帯だ。自由都市は湧き水のある場所に立地している。一方、包囲する側のバロード軍は、何もない緩衝地帯にいる。本国のバロードから兵站線が繋がっている訳もないから、水も食料も限度がある。早晩痺れを切らして仕掛けて来るだろう。その前に、こちらから包囲を突破し、援軍を連れて来た方が良いと思う」
ツイムが首を傾げ、「クルム城までは遠い。クジュケに飛んでもらった方がいいんじゃないか」と提案した。
ゾイアは少し考えたが、首を振った。
「いや。恐らくそこに抜かりはあるまい。相手はバロードだ。例の女魔道師がいる。跳躍の中継点となる座標に細工しているはずだ」
女魔道師と聞いた瞬間、ウルスラはビクッと身体を震わせた。
ロックが張り切って、「よし、それならおいらが一気にクルム城まで行ってやるよ!」と叫ぶ。
ゾイアは苦笑した。
「クルム城まで行かずともよいのだ。われの記憶が確かなら、『暁の軍団』の砦に留守部隊が二千残っているはずだ。同時に、そこから『荒野の兄弟』へ援軍要請を出す。尤も、『荒野の兄弟』自体はここまで来てもらわずともよい。実際には、現在サイカを囲んでいるバロード軍は然程怖ろしくはない。真の脅威は、バロード本国にいる蛮族軍と、火を噴く鉄の巨人なのだ」




