231 駆け引き(6)
タロスがカルボンの懐から細長い革袋を奪い取り、ドーラの命令に逆らって、それをウルスラに渡そうと投じた瞬間、室内は目も眩むような光に包まれた。
反射的に目を瞑ったウルスラが再び目を開くと、空中に浮いたまま止まっている革袋が見えた。
「こ、これは、どういうこと?」
周囲を見回すと、タロスは革袋を投じるため腕を伸ばしたまま、そのタロスに肩を掴まれているカルボンは真っ赤に光る目でその革袋を睨んだまま、どちらも固まっている。
一方、美少女の姿となっているドーラはニヤリと笑いながら、見えない力で革袋を捕まえようと手を伸ばした状態で止まっている。
その手には金色の指輪が光っていた。
その一瞬で凍りついたような景色には、音もなかった。
先程まで聞こえていた審問所の騒めきは全く聞こえず、耳がシーンと鳴るように静かである。
と、コツ、コツ、という足音が聞こえてきた。
ウルスラが足音がする方を見ていると、ドーラが警備隊長ドラドであった時に入って来た扉をスーッと通り抜け、誰かが入って来た。
それは、枯れ枝のように痩せ細った老人であった。
高齢のため髪も眉も真っ白だが、瞳は黒いから南方の出身のようである。
「あら、あなたは……」
誰だか思い出そうと首を捻っているウルスラの前で、老人はパチンと指を鳴らした。
その途端、記憶が蘇り、ウルスラの顔がパッと輝いた。
「おお、サンジェルマヌスさま!」
「久しぶりじゃの、ウルスラ王女」
サンジェルマヌスは片手を挙げて挨拶したが、心なしか元気がないように見えた。
「どうかされたのですか?」
ウルスラに聞かれて、サンジェルマヌスは苦笑した。
「おまえに心配されるようでは、わしも修行が足らんのう。いかに数千年の寿命を誇る長命族とて、初恋は一度きりじゃからな」
ウルスラは、思わず美少女姿のドーラを見た。
それに気づいてサンジェルマヌスの頬がホンの少し赤味を帯びた。
「えっ! それじゃ、お祖母さまが、つまり」
驚きを隠せないウルスラに、サンジェルマヌスは少しお道化たように肩を竦めて見せた。
「そうじゃ。おまえの祖母である旅の舞姫ドーラこそ、聖王アルゴドラスの女性形アルゴドーラなのじゃ。わしは最初、生き残った両性族がいて、密かにバロード王家乗っ取りを図ったものと思っておった。じゃが、考えてみれば、本家のバロード王家すら血筋が絶えようとしておるのに、別系統だけが残っているはずもない。本家本元のアルゴドーラ自身がおまえの父を産んだのだ」
「で、でも、すでに二千年前に亡くなったと」
「それは替え玉じゃ。本人がそう言っておった。そして、外法の時渡りで、二千年未来の子孫と交わったのだ」
ウルスラは、目の前のサンジェルマヌスがアルゴドラスであるかのように、食って掛かった。
「何故でございますか! どうしてそのような悪魔の所業を!」
サンジェルマヌスは困ったようにドーラの顔をチラリと見た。
「わしにもわからんさ。だが、本人は、一刻も早く千年の争乱を終わらせるため、そしてまた、いずれ来るであろう北方の脅威に備えるためと思っているようだ。因みに、直系の子孫とは云え、二千年経てば最早赤の他人、道義的な問題はあるまいよ」
ウルスラは激しく首を振った。
「そのようなことを申しているのではありません! 従兄妹同士の結婚すら珍しくもありませぬ。そうではなく、庶子である父を即位させるために、父のご兄弟を次々と」
そこでウルスラは言葉を詰まらせ、嗚咽してしまった。
サンジェルマヌスは、ゆっくりウルスラに歩み寄って背中を撫でた。
「すまんのう。ドーラに代わって、わしが詫びる。おまえは本当に優しい子じゃな。如何に中原に平和を齎すためとはいえ、あまりにも非道が過ぎる。目的のために手段を択ばなければ、目的そのものが汚れてしまう。実は、わしがまたしゃしゃり出て来たのは、それを止めるためなんじゃ」
ウルスラは必死に涙を堪え、サンジェルマヌスに問うた。
「止められるのですか?」
サンジェルマヌスは深く頷いた。
「ああ、おまえなら、できる」
「わたしが?」
「そうじゃ。おまえがその聖剣を持てばよい」
サンジェルマヌスは、空中に浮かんだままの細長い革袋を示した。
ウルスラは、それを見るのが怖いように目を伏せた。
「そんなの、無理です」
「無理ではないさ。おまえは紛れもなくアルゴドラスの直系の子孫、しかも、孫じゃ。聖剣を使う能力は、そこの赤目族に憑りつかれた裏切り者などとは、比べものにならん。取り敢えず、聖剣を使ってその複製である『アルゴドーラの魔剣』を封じて欲しい。ドーラの残虐な行為も、それが原因となっておる」
「でも、今のわたしには、聖剣を使い熟すだけの知識も経験もありません。たった十歳の女の子が、中原全体の運命を左右するなんて、そんなこと許される訳がありませんわ」
その時、ドーラの手に光る指輪が、ピーンと音を立てて切れた。
同時に、蝋人形のように固まっていたドーラの口が動き始めたのである。
「そのとおりよ、わが孫娘」




