225 初期化
クジュケは、異形のゾイアを元の姿に戻そうと、敢えてゾイアが激越な反応を起こす『イサニア』という単語を言って聞かせた。
ところが、ゾイアは更に異様な姿に変身した後、空中に浮かぶ林檎程の大きさの光る球体となってしまったのである。
「おっさん。どうなっちまったんだよぉ」
動揺のあまり叫ぶ力もなくし、泣きそうな声でゆっくり呟くロックに、再度クジュケは「絶対に触らないでくださいね」と念を押した。
「というか、ロックどの。すみませんが、少し離れてもらえませんか?」
ロックは、子供がイヤイヤをするように首を振りながらも、この場はクジュケに任せる他ないと諦めたのか、光の球体から距離をとった。
クジュケは改めて球体に向かって話し掛けた。
「ゾイア将軍。そのお姿になっても、少しでも将軍のお心が残っておられるようなら、それをお伝えしていただくことは、できますか?」
すると、球体の光がスーッと暗くなり、再びパーッと明るくなった。
「おお、ありがとうございます。では、わたくしの考えを説明させていただきます」
球体が明滅した。
さて、聞くところによれば、最初に将軍がこの世界に姿を現されたのは、天から落ちて来た流れ星のような光であったそうです。
おお、少しだけ光が瞬きました。
そうですね、多分、今と同じお姿だったのでしょう。
その光は、丁度スカンポ河の傍まで追い詰められていた、ウルス殿下と従者のタロスどののところへ飛んで来ました。
そして、タロスどのの身体にぶつかり、共にスカンポ河に落ちたのです。
ところが、タロスどののお姿で河から上がって来られるとすぐに獣人化されたそうですので、この時点ではもうゾイア将軍であったのでしょう。
ああ、まだ将軍ではあられませんでしたので、ここからはゾイアさまとお呼びしておきます。
その後、記憶を失くされたタロスどのが発見され、記憶も取り戻されましたので、そちらがご本人であることは間違いないでしょう。
つまり、ゾイアさまはタロスどのを原型として、謂わば、人間として生まれ変わられたのです。
その際に、姿形は無論のこと、運動能力や言語、この世界で生きるために最低限必要な知識なども転移されたものと思われます。
しかし、お二人の両方とお話ししたことのある人間として、これだけは断言できますが、人格は全く別です。
ですので、どちらが本物ということはありません。
但し、現在、ゾイアさまは元の状態に戻っておられます。
ゾイアさまとしての記憶は辛うじて残られているようですが、もし、今、誰か別の人間、例えばロックどのと接触してタロスどのの時と同じ現象が起きれば、恐らく身体はロックどのと同じようになり、記憶も上書きされてしまうでしょう。
そうなれば、人格の根本は同じでも、最早われわれの知っているゾイアさまとは違う人物となってしまわれると思います。
それを避けるため、大変申し訳ないのですが、暫くの間ゾイアさまを封じ込めさせていただきたいのです。
わたくしも魔道師の端くれとして、幾つか魔道の品を持っております。
その中に、小さな魔物を閉じ込めるための、結界袋と申すものがございます。
これに入っていただければ、一切の外界の影響から遮断されます。
少し窮屈かもしれませんが、安全な場所に着くまでご辛抱いただけますでしょうか?
再び、球体が明滅した。
「ありがとうございます」
クジュケは礼を述べると、懐から小さな黒い革袋を取り出した。
その口を閉じている紐を弛めると、口を開いて光る球体に向ける。
「さあ、ゾイアさま、この中へ!」
革袋は球体より随分小さかったが、球体の方が変形し、スーッと中に吸い込まれるように消えた。
しかも、袋は一旦は膨らんでいたが、すぐにペチャンコになった。
内部が別の空間に繋がっているようである。
クジュケは革袋の紐を締めて口を閉じると、懐にしまった。
一部始終をずっと見ていたロックは、ホロリと涙を零した。
「おっさん可哀想になぁ。だけど、尖がり耳、どうやって元のおっさんに戻すんだ?」
クジュケがあっさり「わたくしにはできません」と告げたため、ロックは血相を変えた。
「何だと!」
だが、クジュケは微笑みすら浮かべて答えた。
「わたくしだけではありません。中原のどこにも、そのようなことができる魔道師などおりませんよ」
「じゃあ、どうすんだよ!」
「ゾイアさまを元の姿、若しくは、それに近い姿に戻せるお方は、この世界にお一人しかおられません」
「どこの誰だよ! 勿体ぶんなよ!」
クジュケはハッキリとした笑顔になった。
「タロスどのです。そのためにも、一刻も早く、サイカに参りましょう」
ロックの顔がパッと明るさを取り戻した。
「ああ、そうか。そうだな。わかったよ。でも、少し安心したら喉が渇いてきたな。腹も減ってきたし」
クジュケは声を上げて笑った。
「さすが、ロックどの。生きる天才ですね。この茂みには両方あると思いますよ。探してみましょう」
だが、サイカを目指して急いでいる者が、もう一人いた。
赤目族に憑依されたままの、元共和国総裁カルボン卿であった。
ニノフを味方にすることに失敗したカルボンは、『アルゴドラスの聖剣』の力を引き出せるであろうもう一人の王子、ウルスを説得しようとしてサイカに向かっている。
奇妙なことに、その動機は、聖剣の力を手に入れてバロードを奪還したいというものであった。
つまり、カルボンの思いが主になっているのだ。
憑依したはずの赤目族の長ズールは、逆に、カルボンの人格に取り込まれていた。
緩衝地帯を馬で駆けながら、カルボンはブツブツと独り言ばかり云っている。
「問題は、わしを恨んでいるはずのウルスをどうやって騙すかだな」




