223 異形(2)
異形の姿に変身したゾイアが、耳元まで裂けた口から盛大に涎を垂らしながらロックの目前に迫っている。
その口から伸びた真っ赤な舌の先端に一回り小さな口が開き、大きな口と同じような尖った歯がビッシリ生えているのを見て、さすがに楽天的なロックも震え上がった。
「ど、どうせ食うなら、一気にガブッとやってくれ! そんな御ちょぼ口で、チビチビ齧られるのは嫌だ!」
が、小さな方の口から、声のようなものが聞こえてきた。
「ドゥ……お……ぐ、る……ア……ック」
ロックは驚いて聞き返した。
「え? おっさん、なんか言ってんのか?」
「るお……ック」
ロックはハッとした。
「おいらの名前か? ロックって、言ってんのか?」
「ロ……ック」
「そうだよ! おいらだ! 親友のロックだ!」
「……ロック」
「ゾイアのおっさん! 頼む! 元に戻ってくれよ!」
目を潤ませながら必死で訴えるロックの前で、小さな口に変化が起きた。
舌先の裂け目に歯が生えているだけのような状態であったのが、少し丸みを帯び、色も真っ赤であったのが肌の色に近くなった。
更に唇が現れ、歯も尖ったものが平らになって、中に小さいながら普通の人間の舌が見えた。
「すまぬ、ロック。これが、せい、いっぱい、のようだ」
ロックの顔が、パッと明るくなった。
「本当におっさんの声だ! うんうん、無理しなくていいよ。どんな姿になったって、おっさんはおっさんだ。おいらの親友だよ」
固唾を呑んで二人の会話を聞いていたクジュケは、意を決したように、異形のゾイアに話し掛けた。
「畏れ入ります、ゾイア将軍。クジュケでございます。誠に申し訳ないのですが、すぐにでもここから逃げねばなりません。そろそろ東方魔道師たちも異変に気づいて入って来るかもしれませんし、団長のチャロアも衝撃から醒めて戻って来るやもしれませぬ。ところが、恥ずかしながらわたくしは魔道を封じられております。どうか、将軍のお力で、ロックどのとわたくしを連れて逃げていただけませぬか?」
ロックが「おいおい、無茶言うなよ」とクジュケを窘めたが、異形のゾイアは、舌先の小さな口をクジュケの方に向けた。
「それしかあるまい。まだ変身を戻すことはできぬが、記憶はかなり回復したし、動きの制御もできつつある。おぬしたちを連れて逃げよう」
ロックが「大丈夫かよ、おっさん?」と気遣っているところへ、部屋の扉がバンと開いた。
怯えて逃げたチャロアが忿怒の表情で立ち、その後ろに、東方魔道師たちの姿も見える。
「おのれ、怪物め! よくもわしに恥をかかせたな! 覚悟せよ!」
そう言うや否や、チャロアは異形のゾイアに向かって掌を突き出した。
旋風が巻き起こる程の勢いで、見えない波動が迸る。
が、先程までのぎこちなさが嘘であったかのように、ゾイアは素早く動いてチャロアの攻撃を避けた。
そのまま、多関節の長い腕を伸ばし、ロックとクジュケを両脇に抱えると、何の躊躇もなく、窓から飛び出した。
しかし、ゾイアのコウモリのような翼は、三人分の体重を支え切れないようで、殆ど真下に落下している。
ロックは思わず「うわああっ!」と叫んだ。
と、バサバサと音がして翼が何倍にも大きくなり、ゾイアはそれを力強くはためかせて上昇に転じた。
飛び出した塔より高い場所まで上がったところで、水平飛行に移る。
かなりの速度で飛びながら、ゾイアの大きな口から伸びている舌先の小さな口が、ぐるりと後ろに曲がってクジュケの顔の前に来た。
「取り敢えず、どちらに向かえばよい?」
「そうですね。いくらなんでも、ここから辺境までは遠過ぎます。一先ず、サイカを目指しましょう」
「おお、ライナのところだな」
すると、ロックがニヤリと笑い、「もっと懐かしい相手にも逢えるぜ」と告げた。
「すまないが、詳しい話は後で聞こう。追手が来ているようだ」
「何だって!」
ロックが首を捻じ曲げて後ろを見ると、不吉な黒い鳥のように東方魔道師たちが飛んで来ているのが見えた。
チャロアの姿がないのは、あの体重のせいであろう。
「おっさん、もっと早く飛べねえのかよ! 追いつかれちまうよ!」
ロックの焦った声に、何故か隣に抱えられているクジュケが謝った。
「すみません。わたくしが魔道を使えないばかりに、正にお荷物になってしまいまして」
ゾイアは小さな口で笑った。
「気にせずともよい。おぬしが囚われの身のわれを救ってくれたのだからな。今度はわれが何とかする番だ。ちょっと、試してみたいこともあるしな」
そう言うと、ゾイアはグッと全身に力を籠めたようだ。
腕に抱えられているロックが悲鳴のような声を上げた。
「い、痛てえよ、おっさん!」
クジュケは無言で耐えている。
「すまぬ。少しだけ辛抱してくれ」
と、ゾイアの背中にある棘のような毛が、一斉にザッと立ち上がった。
「むうっ!」
更にゾイアが力むと、棘のような毛が抜け、横殴りの雨のように後方に飛んだ。
追って来る東方魔道師たちから、「ぎゃあっ!」と絶叫が上がり、次々に落下して行く。
「やったな、おっさん! すげえよ!」
ロックは喝采したが、クジュケは冷静に「いえ、また上昇して来ていますよ」と指摘した。




