222 異形(1)
それは異形であった。
マオロン及びエイサの自警団長チャロアの執務室にある、大きく開かれた窓の枠に両手を懸け、こちらを睨んでいるものの姿は、異形としか言い様がなかった。
全身を黒い毛に覆われているが、動物の毛のような柔らかさや密度はなく、疎らに生えた細長い棘のようである。
しかも、その棘の隙間から覗く皮膚には、蛇のような鱗があった。
異形のものが窓枠に懸けている長い腕には複数の関節があり、鋭く伸びた黒い鉤爪のある指も、両手で十五六本程あるようだ。
しかし、何より恐ろしいのは、その顔であった。
爛々と光る濃い緑色の目は四つあり、その下には、横に広がった細い鼻孔と、耳元まで裂けた大きな口があった。
その口の中には、先の尖った小さな歯が何重にも生えている。
それだけではない。
狭い額の上には、螺旋状に捻じ曲がった角が何本も突き出していた。
チャロアは「ヒーッ!」と女のような悲鳴を上げて椅子から擦り落ちた。
そのまま尻を床に着けた状態で手足をバタつかせ、机を回り込んでロックとクジュケのいる方へ後退って来る。
ロックとクジュケは声も出ない。
異形のものは腕の関節を何度か曲げ伸ばし、勢いをつけて部屋の中に飛び込んで来ると、馬のような蹄のある脚で机の上にドンと乗った。
その時、背中にある翼が見えたが、鳥の羽根ではなく、黒い革の皮膜のあるコウモリのような翼であった。
高い塔の頂上近くにあるこの部屋まで、その翼で飛んで来たのであろう。
飛行の際に均衡をとるためか、蜥蜴のような長い尻尾もあった。
異形のものは、机に乗ったままで三人の方を見ていたが、半開きの口からはダラダラと涎が垂れている。
ロックが掠れた声で、「ま、まさか、この化け物が、ゾイアのおっさんじゃないだろうな?」と、隣に立っているクジュケに訊いた。
クジュケはゆっくり息を吐きながら、「残念ながら、これがゾイア将軍の変わり果てた姿なのです」と答えた。
「しかも、わたくしと別れた時より、更に状態が悪化しているようですね。まるで伝説の魔獣のようです」
「嘘だ! 嘘だと言ってくれ!」
ロックが大きな声を出したため、ゾイアが変身したものだという異形の怪物がグッとそちらに顔を向け、グルグルというくぐもった唸り声を出した。
その口からポタポタと涎が滴り落ちる。
ロックは、異形のゾイアから目を離さず、横のクジュケに強めに囁いた。
「尖がり耳、何とかしてくれ! おっさんは真面じゃねえ! おいらを食うつもりだ!」
クジュケは「言われなくても、わかっておりますよ」と呟くと、自分の足元で震えているチャロアに、抑えめの声で話し掛けた。
「お望みどおり、ゾイア将軍の居場所をお教えしましょう。ここです。ここにいますよ。さあ、あなたご自身の力で取り押さえるか、さもなくば、わたくしに魔道の力を戻してください。早く!」
だが、チャロアは何もせず、その場から跳躍したのである。
クジュケは顔を顰めて、舌打ちした。
「かれが呼ばなければ、外で待機している東方魔道師たちは、部屋の中には入って来ないでしょうね。わたくしとしたことが、早まりました」
「おい! どうすんだよ! おっさんがおいらを見て、涎垂らしてんだぞ! 洒落になんねえ!」
ロックの文句を聞いていたクジュケは、ハッとしたように「おお、わたくしとしたことが、こんなに簡単なことを見落とすとは」と独り言ちた。
「ロックさん、すみません。わたくしが迂闊でした。部屋の窓から覗いていた時から、ゾイア将軍はあなたしか見ていません。つまり、あなたを認識しているのです」
「認識って、食い物としてかよ!」
「勿論違います。将軍はあなたに話したいだけでしょう。ところが、口の構造が変形して、普通に喋れないんです。だから、涎が垂れるのです」
「ホントかよ。じゃあ、おいらはどうすりゃいいんだ?」
「話し掛けてください。それも、優しく、穏やかに、ゆっくりと」
「わ、わかったよ」
ロックはゴクリと唾を呑むと、恐ろしい姿のゾイアに、引き攣った笑顔で話し始めた。
おっさん、おいらだ、ロックだぜ。
おいらが変なもんに憑っつかれたばっかりに、こんな目に遭わせて、済まねえ。
おいらは、もう大丈夫だ。
赤い目ん玉の野郎も出て行ったし、記憶もちゃんと戻った。
何の心配もねえよ。
だからさ、おっさんも早く正気に戻ってくれよ。
そんなおっそろしい姿じゃなく、人間の姿のゾイア将軍になってくれよ。
おっさん、思い出してみてくれ。
クルム城で初めて会った時も、変身したおっさんは、おいらを襲いかけて止めただろ?
あん時みてえに、冷静になってくれよ。
おいらとおっさんは、生まれも育ちも違うけど、本当の親友だと思ってる。
その親友の頼みを聞いてくれよ。
落ち着いて、自分のことを思い出してみてくれよ。
なあ、おっさん。
だが、異形の姿となったゾイアはパックリと口を開いたまま、滝のように涎を流しながら、ロックに近づいて来る。
その口の奥から真っ赤な長い舌が現れ、ロックの鼻先までギューッと伸び、先端に一回り小さな口が開いた。
その小さな口にも、尖った歯がビッシリと生えている。
「よせよ、おっさん! おいらはきっと、うまくねえぞ!」




