220 逃走と追跡(2)
クジュケが用意した洞窟の隠れ家で、ロックは焚火の前に座って話を聞いている。
エイサ、そしてイサニアン帝国という言葉を耳にして、ゾイアが異常な行動をとったとクジュケが言ったところで、ロックは「あっ、そうか」と声を上げた。
「おいらたちが出会った頃、同じようなことがあったよ。あれは、ギータのところへ最初に行った時かな。ギータがエイサと言った途端、おっさんはいきなり感情的になって変身しようとしたっけ。あ、でも、イサニアンは何故かな?」
クジュケは、考えながら答えた。
「イサニアンとは、エイサの古名であるイサニアから採ったものだと思います。ブロシウスが、自分の帝国にその名を冠したのは、自分が焼き討ちさせたエイサの名前を避けたのでしょう。ゲルポリスという名前は当然使えませんし。に、しても、あの地域にイサニアという都市国家があったのは、古代バロード聖王国によって中原が統一される以前のことです」
ロックは驚いて立ち上がった。
「え? ってことは、おっさんはそんなに長生きしてんのか?」
クジュケは「うーん、どうでしょう」と唸った。
「ゾイア将軍については、未だに全てが謎のままです。どうして変身するのか、何故高度な戦闘能力を持っているのか、本当のところ、何一つわかっておりません。いや、そもそも人間なのかどうかも」
これにはロックが激昂した。
「冗談じゃねえぞ、尖がり耳め! 誰が何と言おうが、おっさんは人間だ! そりゃあ、時々獣になっちまうけどさ。だけど、心の中は、真っ当な人間だ。優しい人間なんだよ」
最後の方は、少し涙ぐみながら力説するロックに、クジュケは困ったような笑顔を向けた。
「ゾイア将軍が良いお方なのは、わたくしもわかっておりますよ。ただ、ご自身も知らない秘密があるのだと思います。それはすぐにはわからないでしょうし、ここで議論しても始まりません。今は、捜し出して落ち着かせ、無事に連れ戻すことだけ考えましょう」
ロックは頬を膨らませたまま、「わかったよ」と拗ねたように言って、座り直した。
「でも、本当に、おっさんはエイサに来るのか?」
クジュケは苦笑した。
「多分、としか言い様がありません。あれ程激越な反応がありましたので、逆に遠ざかるという可能性も捨て切れませんが、そうなると手掛かりなしです。わたくしは、来るという方に賭けてみるつもりです」
賭ける、という、クジュケらしからぬ言葉に、ロックもニンマリ笑った。
「いいぜ。あんたの勘に、おいらも賭けるよ。だけど、エイサは今、どうなってんだ?」
クジュケは、外交の専門家の顔に戻って解説した。
そうですね。ガルマニア帝国の新しい皇帝ゲルカッツェは、ブロシウスの首を獲ったものの、エイサのことは放ったらかしのようです。
エイサを中原統一の中心地にしようと、ゲルカッツェの父ゲールも、ゲールを倒したブロシウスも考えた訳ですが、その二人の失敗によって、みんなにもわかってしまったのです。
エイサは、政治的あるいは経済的中心地には成り得ても、軍事的中心にはならない、ということです。
無論、大規模な工事を行って周囲に城壁を造ることはできるでしょうが、小さな国ほどもあるエイサ全体を囲むのは大変です。
しかも、そんなことをすれば、エイサの交通の要衝としての利便性が損なわれます。
正に、金の卵を産む鳥を殺すことになりかねません。
つまり、エイサを中原の首都としたいのなら、先に中原を統一するしかないのです。
それがわかったので、ガルマニア帝国は僅かな留守部隊だけ残してエイサを離れました。
まあ、突然の皇帝交替という非常事態ですから、本国を固めるのが先、ということでしょうね。
だからといって、他の国は、というよりバロードのことですが、今ここに手を出そうとはしていません。
獲るのは簡単でしょうが、とても護り切れないからです。
エイサが千年の間中立を保った理由の一つが、改めて認識された訳ですね。
ガルマニア帝国が置いている留守部隊も形だけのもので、既に巡礼の受け入れも再開されました。
明日にでも、巡礼に身を窶して潜り込みましょう。
衣装など、必要なものは用意して置きました。
ん? どうされました?
クジュケの話を聞きながら、ロックが腹を押さえていたのである。
「もしかして、毒蛙に中りましたか?」
聞かれたロックは、照れたように笑った。
「こちとら、少々腐ったものを食ったって、食中りになったことなんかねえよ。毒蛙も、最初は驚いたが、実際食ってみると、うまかったし。ただ」
「ただ?」
「足りねえよ。量がさ。少し安心したせいか、腹が減ってしょうがねえんだ」
「おお、成程。わかりました。非常用に、干し肉と、乾燥させた雑穀粥があります。ご準備しましょう」
「おお、ありがてえ!」
クジュケの用意してくれた料理をガツガツ食べると、ロックは倒れ込むように眠った。
翌朝。
巡礼姿となった二人は、それぞれ馬に乗ってエイサに向かった。
「この通行証は大丈夫なやつなのか?」
ロックに尋ねられたクジュケは苦笑した。
「勿論偽造ですよ。しかし、ご心配なく。怪しまれた場合には、わたくしが何とかしますから」
自信たっぷりに言うクジュケに、ロックは「頼むぜ、とんが、あ、いや、クジュケ閣下どの」と念押しした。
巡礼用と書かれた簡単な造りの門の前で、並んで順番を待つ。
だが、愈々ロックとクジュケの番というところで、門の横からバラバラと出て来た衛兵たちに取り囲まれた。
「神妙にしろ!」




