219 逃走と追跡(1)
助けに行ったはずのゾイアに逃げられたと言うクジュケに、ロックは足を止めて問い質した。
「どういうこったよ! 意味わかんねえよ!」
隠形を完全には解かず、半透明のような状態のクジュケも、已むを得ず立ち止まった。
「後でゆっくりご説明します。今は、われわれ自身が逃げることが先決です。遠吠えが実体のない幻術と気づけば、必ずガイ族はあなたを追って来ます。危ないのは、あなたの方なのですよ」
確かに、魔道が使えるクジュケ一人なら如何様にでも逃げられるはずである。
ロックは「くそっ、わかってるよ!」と反発しつつも、再び走り出した。
ガイの里を外れた辺りに、立ち木に繋がれた馬がいた。
「あっ、あいつは、おいらの相棒だ!」
「はい。わたくしが捕まえておきました」
「おお、そうか! 一応、礼は言っとくぜ。ありがとよ!」
勇んでロックが愛馬に跨ると、当然のようにクジュケは後ろに乗った。
「おいおい、あんたも乗るのかよ!」
「ご心配なく。体重は掛けておりません」
ロックが振り返ると、半透明のままのクジュケの身体は、ホンの少しだけ馬の背から浮いていた。
「なら、いいけどよ。で、どっちに向かう?」
「北北西に進路を取ってください」
「はあ? まあ、いいや。どうせ日が暮れてしまえば方向もわかんねえ。だいたいの勘で行くから、細かいとこは指示してくれ」
馬で駆けて行くうちに、黄昏の明るさもすっかり薄れ、月のない空には星が瞬き出した。
少し安心したのか、ロックはフフッと笑った。
「ゾイアのおっさんと旅してた頃を思い出すなあ。賞金稼ぎに狙われねえように、夜の間に進んで、昼間寝てたんだ。馬とおっさんは同じくらいに夜目が利くからいいけどさ、おいらは鼻を摘ままれてもわかんねえ。でも、心配はしなかったぜ。だってさ、おっさんと一緒なら、怖いものなんか、なかったもんな」
ちょっとしんみりしてしまったロックに構わず、クジュケは「追手が来ました」と冷静に告げた。
「ちょ、ちょっと待てよ! 撒いたんじゃねえのかよ!」
「ガイ族ではないようです」
そう言うと、星明りでも薄っすら半透明に見えていたクジュケの姿が、完全に闇に溶けた。
「おい! 置いてけぼりかよ!」
と、周囲の闇の中から、しゃがれたような不気味な声が聞こえて来た。
「われらは、マオロンの東方魔道師自警団である。チャナール太守お気に入りの擬闘士ウパンジャを、当分の間戦闘不能にしてしまった獣人を逃がしたのは、おまえか?」
「おいらじゃねえよ!」
「おまえには訊いておらん、若者よ。隠れておる魔道師に言って置く。逃げれば、この若者の生命はないぞ!」
「なんで、おいらが巻き添えにされるんだよ! 冗談じゃんねえぞ!」
不満を爆発させるロックの耳元で、「もう少し右に進んでください」という囁きが聞こえた。
「何だよ! 出て来て闘えよ!」
「しっ。多勢に無勢です。早く言うとおりに」
「わかったよ!」
焦れたように、再びしゃがれた声が聞こえて来た。
「何をコソコソ言っている? もう逃げることはできんぞ!」
その時、「あっ!」という叫びと共に、ロックは乗っている馬ごと姿を消した。
ロック自身は、奇妙に身体が捻じれるような感覚に襲われ、目が回って周りが見えなくなった。
「うあああああーっ!」
フッと捻じれの感覚がなくなると、ロックは心地良い明るさと暖かさを感じた。
「こ、ここは?」
どうやら洞窟の中らしく、暖をとるための焚火が燃やされている。
馬に乗ったままでも、辛うじて天井に頭が付かない程に大きな洞窟だ。
その焚火の横に、銀色の髪の前を切り揃え、やや尖った耳をした男が立っている。
隠形を解いたクジュケであった。
「少し待っていてください」
クジュケはそう告げると、ロックが現れた背後の方に向かって呪文のようなものを唱えながら、複雑に手を動かした。
「これでいいでしょう。追って来る者たちは、アルアリ大湿原のど真ん中に出現し、さぞや慌てふためくでしょうね」
クジュケにしては珍しく、悪戯を愉しむような笑顔である。
ロックは馬から下り、改めて周囲を見回した。
「どうなってんだ? ここはいったい、どこなんだ?」
クジュケは真面目な顔に戻って答えた。
「予め、逃走用に何箇所か跳躍用の座標を設定しておきました。ここは、その内の一つですが、中原の中央部付近になります」
「中央部? ってことは」
「はい。エイサの近くです。恐らくゾイア将軍も、この近辺に来るものと思われます」
「え? おっさんが?」
クジュケは、少し悩ましげな表情で説明した。
はい。その可能性が高いと思います。
わたくしは、何とかマオロンでゾイア将軍を発見したものの、その時には記憶を失われており、変身能力も封じられているようでした。
どのような魔道が使われているのかわからぬため、将軍ご自身の力を信じ、「ゾイア将軍! お気を確かに! あなたは記憶と変身を封印されているのです!」と呼びかけてみました。
すると、すぐに変身されて、わたくしを連れて逃げてくださったのです。
緩衝地帯まで一気に駆け抜けられました。
落ち着いたところで改めて確認しましたが、記憶も不完全で、変身も上手く制御できない、とのことでした。
変身能力については、わたくしの力の及ぶところではありませんので、少しでも記憶を取り戻す縁になればと、現在の中原情勢についてお話ししたのです。
ところが、エイサのことを説明し始めると様子がおかしくなり、ブロシウスがイサニアン帝国を建てたと言った途端、今まで見たことのないような恐ろしい姿になって、そのまま逃げて行かれたのです。




