212 老師と魔王(1)
バロードへ入国するため偽名の通行証を示したケロニウスは、係の役人からこっそり逃げるよう忠告されたが、刺青だらけの蛮族の男に見咎められた。
「おまえだ、じいさん! 顔、見せろ!」
蛮族の男がツカツカと近づいて来たため、バロード人の役人が庇うように立ちはだかり、背後のケロニウスに再度「お逃げください!」と強く促した。
「おまえ、邪魔だ。どけ!」
蛮族の男は役人の襟首を掴み、片腕だけで自分の背より高く持ち上げた。
「ううっ!」
苦しげに呻く役人を、そのまま横に振って投げつけようとするところを、ケロニウスが止めた。
「よさんか! そのお役人に罪はない!」
だが、蛮族の男は聞く耳を持たず、役人を放り投げた。
真横に飛ばされた役人が頭から地面に落ちようとした刹那、ケロニウスが「はっ!」と叫んで掌を突き出し、更に指を曲げて宙で握り締めた。
と、落下していた役人の身体が、空中でピタリと止まった。
ケロニウスの握った拳がブルブルと震え、額からは脂汗が流れている。
その状態で拳を捻ると、それに連動して頭が下だった役人の身体が回転し、脚が下になった。
そこでケロニウスがパッと手を開くと、役人はストンと無事に地面に降り立った。
呆然としている役人に比べ、助けたケロニウスの方がゼイゼイと肩で息をしている。
蛮族の男はそれに驚くこともなく、ケロニウスに向かって怒鳴った。
「おまえ、ますます、怪しい。ちょっと来い!」
疲れて動けない様子のケロニウスを、直接捕まえようと蛮族の男が腕を伸ばしてくる。
ケロニウスは苦笑して、「少しは年寄りを休ませよ」と言いながらも、念を籠めて掌を突き出した。
近づいて来ていた蛮族の男は、ケロニウスの掌から出る見えない波動に吹き飛ばされて、仰向けにドンと倒れた。
ケロニウスは、猶も立ち上がって来ようとしている蛮族の男に、「もうよい。わしも疲れたわい」と笑った。
「ちゃんと名乗る故、おぬしらの王に取り次げ。わしは魔道師のケロニウス。カルス王とは旧知の仲じゃ。粗略にするなよ」
蛮族の男は立ち上がり、幾分大人しくなった声で「わかった。案内、する」と告げ、歩き出した。
ケロニウスは、心配そうな顔で見ている役人に「案ずるな」と笑顔を向けると、蛮族の男の後をついて行った。
その同じバロードの中にある廃都ヤナンの地下神殿では、赤目族たちが集まっていた。
眠ったように動かない一人を囲み、話し合っているようである。
「カルボンに憑依しているズールの様子が変だ」
「変とは?」
「勝手な行動が多くなっている」
「前にロックとかいう小僧に憑依した時は、そんなことはなかったぞ」
「ああ。明らかに違う」
「人格融合か?」
「そうだ。しかも、徐々にカルボンの人格の方が強くなっている」
「何故だ?」
「わからん。元々共通する因子があったのかもしれん」
「どうする?」
「様子を見るしかない。今、無理に離脱させれば、双方の人格とも大きな痛手を受ける。場合によっては、廃人となってしまう」
「そうだな。カルボンがどうなろうと自業自得というものだが、ズールはわれらの長だ。危険は冒せない」
「誰か一人、地上に行かせるか?」
「いや、それは危ない。先日、アルゴドラスの女性体のアルゴドーラが上まで来たではないか。あの時は、何も気づかずに立ち去ってくれたから良かったが、怪しまれて乗り込んで来られては、全てが水の泡となる」
「確かに。あの時はヒヤリとした。下手に騒ぐべきではない」
「ちょっと待て。地上に動きがあった」
「何だ?」
「バロードの領内で、大きな理気力の発動があった。魔道師のようだ」
「誰だ?」
「おお、この力紋は、エイサのケロニウスだ」
「ほう。何しに来たのだろう」
「決まっている。カルス王に会いに来たのだ。面白いことになるぞ」
その地上では、王都バロンの聖王宮に、ケロニウスが訪ねて来るとの報せが入った。
最近では中原風の長衣を着ていることが多いカルス王が、珍しく今日は蛮族の服で寛いでいるところだった。
報告に来たのも、バロード人ではなく、蛮族の役人であった。
最早、国家の中枢は、蛮族の勢力が占めているようである。
「ほう。老師ケロニウスが来たか。となれば、ニノフの使いだな。どうしたものか」
そこへ、ヒラヒラと灰色のコウモリが飛んで来て、クルリと宙返りすると、銀髪の妖艶な美熟女となった。
カルスの母ドーラである。
「わたしも会ってみたいが、よろしいかの?」
「勿論です。相手は、老いたりとはいえ、エイサの長であった男ですからな。おふくろどのに援護していただかねば」
ドーラは嬉しそうに、ホホホと笑った。
「息子の頼みとあらば、断われぬな。よかろう、共に立ち会おう。おお、それより、耳寄りな情報があったぞ」
「はて、何の情報でしょう?」
「聖剣の行方がわかったぞえ。レナから知らせがあった」
「おお、それは重畳。して、何処に?」
「やはりカルボンめが持っておった。ニノフを仲間に引き入れようとしたものの、見事に振られ、辺境から戻りつつあるようだ。ケロニウスの件が済み次第、そちらへ飛ぶつもりじゃ」




