211 決裂
共にバロードを奪還しようとニノフを説得しに来たカルボン卿が、そのための切り札として持ち出したのは、『アルゴドラスの聖剣』であった。
ニノフは思わず聖剣に手を伸ばそうとしたが、カルボンはサッと引っ込めて、再び懐に仕舞った。
「駄目だ。まだ触れさせる訳にはいかぬ。これを手にすれば、おまえは無敵の存在となるからな。バロード軍が何万いようが、鉄の巨人が火を噴こうが、怖れることなど何もないのだ。わしと手を組まぬか。さすれば、おまえはすぐに王となれる。わしは、まあ、宰相でもよい。いずれ、バロードはおろか、中原全部を支配できるぞ。どうだ?」
ニノフの返事は明快であった。
「お断りします」
忽ちカルボンは激昂した。
「何だと! 正気か!」
ニノフは微笑みすら浮かべている。
「正気です。今は、国を取ったり取り返したり、そのような事に感けている場合ではありませぬ。北方から迫っている脅威は、相手が王国だろうが共和国だろうが、一顧だにしないでしょう。辺境伯領と中原諸国は一丸となって、これに対処しなければなりません。この際ハッキリ申し上げておきますが、そのためなら父とも同盟を結ぶつもりです。既にその交渉役も送り出しました。態々お出でいただきましたが、おれは王になるつもりなどありません。どうか、お引き取りください」
最早わたしとは言い直さなかったが、カルボンもそれを気にするどころではなかった。
「聖剣が欲しくないのか!」
そう言って、カルボンが懐に手を当てた瞬間、ニノフの顔が苦悶に歪んだ。
「くうっ、お止めください!」
異変を察したボローが、ニノフを庇うように両手を拡げて前に立ち、「おかしな真似をするな!」と声を荒げた。
ところが、ニノフの苦しみは一向に和らぐ気配がない。
カルボンは嘲笑った。
「無駄なことだ、髭面。きさまの身体で、聖剣の力を防げるとでも思ったか。阿呆め!」
だが、そのカルボンの首に、背後からピタリと細剣が当てられた。
「その懐の手を離さねば、わらわがそちの首を刎ねるぞ」
いつの間にか部屋に入って来ていたマーサ姫であった。
愛用の真っ赤な鎧を着ている。
カルボンの注意が逸れた隙を逃さず、ボローがその手を掴んで、強引に懐から引き離した。
ニノフは、フーッと大きく息を吐き、「手荒なことはするな」と二人を止めた。
振り向いたボローは不満そうに「先に仕掛けたのはこいつだぞ」と顔を顰めた。
ニノフは苦笑し、「わかってるさ」と椅子から立ち上がってカルボンの横に回った。
マーサ姫は、ニノフの表情を見てレイピアを鞘に納めたが、少し前屈みになり、ボローに手を掴まれたままのカルボンの耳元に向かって警告した。
「わらわは、おぬしが一呼吸する間もなく剣を抜ける。今度怪しい動きを見せたら、その首が飛ぶものと覚悟せよ」
マーサ姫が一歩下がったところで、ニノフはボローにも「手を放して差し上げろ」と告げた。
不承不承という顔でボローも離れると、ニノフはカルボンに笑顔を見せた。
「総裁。父に捨てられたおれを拾ってくださったことは、本当に感謝しています。ですが、もうあなたの下で働くつもりはありません。勿論、おれを上にしてくださっても、同じことです。聖剣に興味はありますが、それを国盗りに使うのは、間違っていると思いますよ。もし、北方の脅威との戦いに役立ててよいなら、話は別ですが」
カルボンの返事は「ふん」というものだった。
ニノフは苦笑して、「では、お帰りください」と出口を示した。
カルボンは椅子から立ち上がり、「後悔しても知らんぞ!」と捨て台詞を吐いて出て行った。
怒りにわれを忘れているカルボンは気づかなかったが、扉を開けてすぐの廊下には若い娘が立っていた。
カルボンの後ろ姿に軽く会釈したが、小さな声で「聖剣はこの男が持っているのか」と呟いた。
カルボンを追うように出て来たマーサ姫が、娘に「おお、レナか。今出て行った男はどっちに向かった?」と訊いた。
娘は、ゾイアたちが北方へ探索行をした際に一行の案内役となり、そのままアーロンにくっついて来たシトラ族のレナであった。
こちらに来てからは、服装を中原風に改めている。
「オトコ、アッチ、イッタヨ」
レナは、手でカルボンの行き先を指した。
「そうか。城を出るまでは油断できぬからな。一応、様子を見て来る」
慌ただしくマーサ姫が行ってしまうと、レナは再び小さな声で、「早くカーンさまにお知らせせねば」と、全く訛りのない中原の言葉で喋っていた。
その蛮族の帝王カーンであったカルス王の支配するバロードに、漸くケロニウスが到着した。
以前には考えられない程国境警備が厳重になっているだけでなく、魔道師であるケロニウスには、バロード全体が巨大な結界で覆われているのがわかった。
「場合によっては跳躍しようかと思うておったが、これでは無理じゃな」
そう独り言ちると、辺境伯アーロンが発行してくれた正規の通行証を役人に見せた。
勿論、名前と職業は出鱈目である。
生粋のバロード人らしく金髪碧眼の役人は、通行証を検めるフリをしながら、小声で「老師、お逃げください」と囁いた。
そこへ「おまえ、何、コソコソ言ってる!」と声が掛かった。
ケロニウスが声の方を見ると、刺青だらけの蛮族の男が、こちらを睨んでいた。




