208 もう一人の兄弟
イサニアン帝国皇帝ブロシウスの死は、勿論、中原中に衝撃を与えたが、それは死そのものよりも、誰がそれを齎したのかの方が、比重が大きかった。
殆ど表舞台に出たことのない皇太子ゲルカッツェの名が、諸外国の関心の的となったのである。
正に、宰相チャドスの思う壺であった。
その噂は、商人の都サイカに身を潜める、ゲルカッツェの実の弟であるゲルヌの耳にも届いた。
『自由都市同盟』の準備で皆が忙しくなり、女主人のライナの屋敷には、ゲルヌとウルスだけが残っていることが多く、その日も二人であった。
国を追われた皇子と王子、という境遇の近さ故か、不思議な程に二人は気が合った。
「ゲルカッツェ兄さんは、本来そんな荒仕事ができる人じゃないんだ」
癖のない真っ赤な髪を揺らしながら、ゲルヌは首を傾げた。
「でも、親の仇を討つために、必死だったんじゃないの?」
同じ年齢であるはずだが、金髪碧眼のウルスの方がやや幼く見える。
「ウルスは知らないからさ。あの太っちょが動くのは、甘いものを食べる時ぐらいなんだ。どうせ、チャドスに唆されたんだろうけど、よく父上の大剣を持ち上げられたものさ」
「そうなのか。あ、誰か帰って来たみたいだ」
言い争うような声がしたかと思うと、バーンと扉を開けてロックが入って来た。
完全に顔が怒っている。
ウルスが「お帰り」と声を掛けても返事をせず、黙って自分の荷物を纏め出した。
その後を追うように、同じカリオテ人のツイムが入って来た。
「ロック! おまえが行くことはない! クジュケどのに任せておけ!」
ロックは手を止めて、激しく首を振った。
「あんな尖がり耳野郎に任せられるかよ! ツイムさん、あんたはおいらの生命の恩人だけど、こればっかりは言うことを聞くことはできねえんだ! なあ、考えてもみてくれ。親友がどこか知らない場所で酷い目に遭ってるかもしれねえのに、放って置けるかい?」
ツイムが返事に困っているところへ、ギータとタロスも戻って来た。
ギータが皺だらけの顔をクシャクシャにして、悲しそうにロックを見た。
「ロックよ、わしは隠していた訳ではないぞ。本当に今日知ったのじゃ」
ロックはぶっきらぼうに「もう、それはいいんだ」とだけ告げ、荷物を持って立ち上がった。
「みんな、世話になったな。会ってる暇がねえけど、ライナの姐さんによろしく言っといてくれ。じゃあな」
タロスが「無理はするなよ」と言うと、ロックは少し目を潤ませて、「ああ」と頷いて、風のように去って行った。
ウルスが誰にともなく「どうしたの?」と尋ねた。
代表するようにギータが「ゾイアの居場所がわかったんじゃ」と教えた。
「え? どこ?」
「暗黒都市マオロンじゃ」
すると、それまで黙って成り行きを見ていたゲルヌ皇子が「危険だな」とポツリと言った。
ウルスが心配そうに「そうなの?」と訊いた。
「詳しいことは知らないけど、実質的にはマオール帝国の植民都市で、色々と後ろ暗いことをやっているそうだ」
ギータも頷いた。
「そうなんじゃ。だからこそ、クジュケは何も言わずに一人で行ったんじゃろう」
ツイムは諦めたように首を振った。
「仕方ねえよ。あいつは言い出したら聞かないさ。ガキの頃からそうだった」
ウルスが「そんなに思い詰めてたんだんね」と言うと、何故かタロスが「わたしのせいです」と頭を下げた。
「わたしの顔を見る度にゾイア将軍を想い出してしまうらしいのです」
ツイムが苦笑してタロスの肩を叩いた。
「タロスのせいじゃねえよ。ゾイア将軍の方があんたに似たんだからな。そう言えば、そのゾイア将軍が、ロックのことを『どんな状況でも生き残る』って褒めてたらしい。まあ、心配することはねえさ」
そう言いながら、ツイムが一番心配しているらしいことは、ウルスにもわかった。
「ぼくは一回会ったっきりだけど、ゾイアがそう言ってるなら間違いないと思うよ」
ツイムも自分を安心させるように強く頷いた。
「おれもそう思います。あいつは大丈夫ですよ。まあ、あいつは兄弟がいねえから、ゾイア将軍が兄みたいなものなんでしょう。おれだって、兄の行方がわかったら、飛んで行きますよ」
「えっ、だってファイムさんはカリオテに」
ツイムはまた苦笑した。
「すみません。言ったと思いますが、ファイムは二番目の兄でして、その上にもう一人いるらしいんです」
「らしい?」
「はい。おれが物心つく頃にはいなくなってたんです。ちょっと他人と違うところがあって、カリオテに居辛くなって、若いうちにカリオテから出て行ったそうです」
「違うところって? ああ、ごめんなさい。聞いてよければ、だけど」
「構いません。おれたちカリオテ人は、だいたい黒か焦げ茶色の瞳なんですが、一番上の兄は、片目だけウルス王子やタロスみたいに青いんです」
サイカの遥か北、中原北部の山岳地帯に程近い『荒野の兄弟』の砦にも、ブロシウスの死が伝わっていた。
長老のドメスと二人きりの時はいつもそうするように、ルキッフは黒い眼帯を外していた。
髪も髭も右目も黒に近い焦げ茶色であるのに、眼帯の下に隠されていた左目は、鮮やかなコバルトブルーであった。
見慣れているらしく、ドメスはそれを気にする様子もなく、話を続けた。
「これからガルマニア帝国は、どうなりましょうか?」
「まあ、ますますマオール帝国の影響が強くなるだろうな」
「おお、マオール帝国と云えば、先日、マオールの艦隊が押し寄せて、首領の母国が大変だったそうですな」
ルキッフは顔を顰めた。
「カリオテを母国だなんて、思ったこともねえよ」
だが、言葉とは裏腹に、ルキッフのコバルトブルーの片目は、懐かしむように遠くを見ていた。




