207 十三日だけの天下
その日は、ブロシウスが皇帝の座に就いてから、十三日目であった。
ガルマニア帝国の軍師にすぎなかったブロシウスは、自らの主人であったゲール皇帝を自死に追い込み、新たな帝都として整備されつつあったエイサを中心に、イサニアン帝国なるものを打ち建てたのである。
それ以来、この積み木細工のように危うい帝国を何とか諸外国に認めさせようと、躍起になって外交文書を送り続けている。
その忙しい朝の時間に、己の待遇の改善を求めてガズル将軍が訪ねて来たのであった。
それを適当にあしらっている時に、南側国境に敵が攻めて来たとの第一報があった。
それも普通の兵ではなく、マオールの竜騎兵であるらしかった。
直ちにガズル将軍が七千の兵を率いて迎撃に向かい、ブロシウスはガズルの対抗馬であるアンスタンチヌス将軍に国境警備の強化を命じた。
以前のブロシウスであったなら、こんなにも人任せにはせず、戦況を直に視察しに行ったり、細々とした指示を与えたりしていたであろう。
また、本人が多忙のあまり忘れているようなら、カノンが気を利かせて助言をしたはずである。
そのカノンは、もういない。
代わりを務めている秘書役は、真面目だけが取り柄のガルマニア人の男である。
最早母国に帰れぬ身なら、いっそ新しい皇帝の手足として働き、出世の糸口を掴もうと必死であった。
その秘書役が、再び駆け込んで来た。
「も、申し上げます!」
丁度外国へ送る挨拶状を書く途中で、筆が乗ってきていたブロシウスは、苛立ちを露にした。
「ええい、うるさいわい! 少しは気を使え! カノンなら」
もっと上手に報告するぞと言いかけ、ブロシウスは、溜め息を吐き、声を抑えて尋ねた。
「どうした? 早くもガズル将軍から勝利の報せか?」
秘書役は泣きそうな顔で、大きく首を振った。
「逆でございまする! 緒戦から大打撃を蒙り、既に敗走中の由!」
ブロシウスは舌打ちした。
「阿呆め! あれ程竜騎兵を舐めるなと申したのに! うーむ、仕方あるまい。アンスタンチヌス将軍に申して援軍を送らせよ!」
「そ、それが、アンスタンチヌス将軍の護る東側国境にも敵が迫っておりまして」
「どういうことだ! わしは何も聞いておらんぞ!」
言ってしまってから、ブロシウスは、ハッとした。自分もまた、あまりにも易々とゲールを追い詰めることができたことを思い出したのである。
「いかん! 情報が遮断されておるのだ! もうよい! わしが自ら兵を率いる!」
ブロシウスは外交交渉の合い間に、イサニアン帝国の主要な地点の幾つかに跳躍用の座標を設定していた。
そこに跳ぼうとしたブロシウスは、愕然とした。
跳べないのだ。
試しに、掌を突き出し、見えない波動を打とうとしてみた。
が、何も出ない。
「くそうっ! 何者かがわしの魔道を封じておるな! おお、そうじゃ、龍馬を用意せよ!」
秘書役は悲しそうに肩を竦めた。
「全て、諸外国への外交文書の発送に出払っておりまする!」
ブロシウスにも、漸く自分が追い詰められたことがわかった。
「逃げるしかないのか。だが、どこへ……」
南も東も駄目なら、北か西しかない。
「そうか。とにかく西へ向かって、バロードに助けを求めるしかあるまい。よし、普通の馬でよい、すぐに用意せよ!」
「ははーっ!」
バタバタと逃走の準備をする内に、北側国境にも敵が来たとの情報が入った。
愈々西に逃げるしかない。
まるで勢子に追い立てられる獣のように、ブロシウスは西へ向かった。
従う兵は偶然にも凡そ千名。ゲールと同じであった。
日が暮れる前に西側国境を抜け、緩衝地帯に入ってホッとしたのも束の間、目の前を塞ぐような大軍が現れた。
皇太子ゲルカッツェ率いるガルマニア帝国軍の、本隊二万である。
死力を尽くして戦ったゲールの親衛隊千名とは異なり、ブロシウスを護るべき千名は後も見ずに逃げ散った。
茫然自失のブロシウスの前に、ガルマニア軍から一騎だけが走って来た。
美麗な甲冑に身を包んだ、でっぷりと太った男である。
面頬を上げているので、その年齢より子供っぽい顔が見えている。
皇太子ゲルカッツェ本人であった。
しかし、その目は虚ろで、焦点が合っていない。
ぎこちない動きで、恐らく父の形見であろう大剣を一本手にしたが、あまりの重さに持っているのがやっとという状態であった。
そのまま、抑揚のない棒読みのような喋り方で、名乗りを上げた。
「余は、ガルマニア帝国皇太子ゲルカッツェである。ああ、この時をどれ程待ち侘びたことか。亡き父ゲールの無念は如何許り。裏切り者の軍師ブロシウスよ、余が成敗いたしてくれる。いざ、尋常に勝負せよ」
ブロシウスは、忌々しそうに「傀儡め!」と吐き捨てた。
「どこぞでこの若造を操っておる者に申して置く。わしがゲール皇帝を弑したは、その方が千年の争乱を早く終息できると思ったからだ。決して私利私欲には非ず。なれど、因果は巡る。ここでわが生命を失うことも、その報いであろう。されど、断言する。同じことは、おぬしらにも起こるぞ!」
ゲルカッツェは挨拶を交わすような平静な声で、「死ね」と告げると、誰かに手を添えられているように、ゆっくり大剣を水平に振った。
それでも大剣の斬れ味は鋭く、ブロシウスの首は刎ねられた。
こうして、イサニアン帝国は、僅か十三日で消滅したのであった。




