204 竜騎兵
ゲール皇帝によって一時的に新帝都ゲルポリスとされたかつての魔道師の都エイサは、幾つもの別名を持っていたが、その一つに『中原の臍』というものがあった。
地理的に中原のほぼ中心にあるからである。
同時に交通の要衝でもあるから、『全ての道はエイサに向かう』とも言われていた。
しかし、その道の密度は、南北で大きく異なる。
圧倒的に北が多いのだ。
中原は『豊穣神の箱庭』とも謂われるように、肥沃な穀倉地帯であるが、それは主にエイサ以北であり、南へ下る程土地が痩せていく。
栄養素が欠けるのか、毒素が増えるのか、或いはその両方なのか、南下するにつれて作物の育ちが悪くなり、特に東側では次第に湿った草原が多くなってきて、アルアリ大湿原へと繋がるのである。
従って、人口も中原の北に偏っており、バロードやガルマニアのような大国もエイサより北側にある。
今、エイサの南側から敵が攻めて来ていると聞いて、顎髭のガズル将軍が驚いたのには、そういう背景があった。
だが、一瞬の驚きから醒めると、ガズルはその敵を嘲笑った。
「態々遠回りして南から来るとは笑止! わが軍を南に走らせれば済むことだ。して、どちらの軍だ。ガルマニアか、バロードか?」
敵襲を報せてきた秘書役は頭を振った。
「そ、それが、見たことのない黒い甲冑を身に着けた騎兵凡そ五千騎とのことで、しかも、馬ではない生き物に乗っているそうでして。発見した斥候も、どこの国の兵かわからぬと」
これには、今やイサニアン帝国の皇帝となったブロシウスが、軍師に戻ったかのように「おお」と反応した。
「マオールの軍だな。わしも噂で聞いただけだが、大蜥蜴に乗った竜騎兵というものらしいぞ」
ガズルは鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい! 恐らく、ガルマニアのチャドス宰相に頼まれて、遥々船に乗ってマオールから出張って来たのであろう。しかし、騎兵は速さが命。ノソノソ這う大蜥蜴など、名馬のいないマオールの苦肉の策。懼るるに足らぬ。わが軍が蹴散らしてくれるわ!」
ブロシウスは、すっかりガズル将軍の機嫌が直ったことにホッとしたような笑顔を見せ、「これは頼もしい!」と煽てた。
「して、一万程率いて行かれるかな?」
ガズルはまた鼻で笑った。
「敵が五千なら、五千でよい。わがイサニアン帝国軍は、マオールの蜥蜴軍などに引けはとらぬつもりだ。それに、これは恐らく囮。本隊は東から来るはずだ」
ブロシウスは、一旦それもそうかという顔になったが、「いや」と首を振った。
「まあ、そう言わず、せめて八千は連れて行かれよ」
「皇帝陛下がそこまで言われるなら、相わかった。七千で参ろう。無論、サッサと片付けるつもりだが、その間の防衛の指示は、皇帝陛下にお任せする」
ガズル将軍は、ブロシウスを皇帝陛下と呼びながらも、そこには些かの敬意も込められていない。
が、今のブロシウスには、それを咎める余裕などなかった。
「わかった。それではアン、あ、いや、適当な者に配備を手配させよう」
思わずガズルの対抗馬であるアンスタンチヌス将軍の名前を言いかけて、ブロシウスは慌てて誤魔化した。
張り切って出て行くガズルを見送ると、ブロシウスは、南以外の方面の国境警備を強化するよう指示を出して、再び外交交渉の文書作成に没頭した。
最早、現実の兵力よりも、己の文才の方が戦力となるとでも思っているかのようであった。
ところが、現実の竜騎兵の方は、予想以上の速さで南側国境に迫って来ていた。
尤も、国境と云っても、精々逆茂木を並べたくらいで、そこに薄く監視兵を散らしてある程度のものである。
ガズルはノソノソと形容したが、大蜥蜴の速度は馬ほどではないにせよ、人間が走るよりはずっと速かった。
しかも、馬はそれ自体には攻撃力はないが、大蜥蜴は鋭い牙で噛みついたり、太い尾を振って打撃を加えたりと、武器としての力もある。
ガズルが七千の兵を率いて来た時には、多くの国境監視兵が犠牲になっていた。
「おのれ! 目にもの見せてくれる!」
ガズルは、弓隊千名を最前線に出し、一斉に矢を射掛けて敵を怯ませる策戦に出た。
更にそこへ、騎兵と重装歩兵を一組にした部隊を次々に波のように投入した。
しかし、ガズルの目論見に反し、竜騎兵は弓隊の矢に怯んでいるのではなかった。
細かく動き回って、殆どを躱しているのである。
馬より一回り小さな大蜥蜴に負担をかけず、機敏な動きを可能にしているのは、黒い甲冑の軽さであった。
厚めの鉄の板や鎖を繋いだ中原のものと異なり、極薄の小さな鉄片に黒漆を塗ったものを、鱗状に張り合わせてあるのだ。
たとえ矢が当たっても、角度が浅ければ表面の漆に滑って甲冑に刺さらない。
そのマオール兵が乗っている大蜥蜴は、余程皮が分厚いのか、いや、寧ろ痛みに鈍感なのか、胴体に二三本矢が刺さっても、速度も変えずに走って来る。
すぐに、両軍が激突した。
大蜥蜴は鋭い牙で馬の鼻面を噛み、太い尾を振るって重装歩兵の頭部を横殴りにする。
しかも、マオール兵は、中原では見かけない変わった武器を持っていた。
吹き矢である。
短距離でしか使えぬ武器であるが、速くて小さな矢が、重い甲冑を着たイサニアン帝国兵の面頬の隙間を狙って顔面に飛んで来る。
とても防ぎ切れるものではない。
勿論、矢にはたっぷり毒が塗ってあるようだ。
次々にイサニアン帝国の兵士が斃され、大蜥蜴に噛まれた馬が逃げ出し、総崩れの状態になった。
「退くな! 退くな!」
絶叫するガズル将軍の声も、一旦敗走し始めた流れを留めることはできない。
そして、ガズルが懼れたとおり、その頃にはガルマニア帝国の本隊が東側国境に近づいていたのである。




