203 予期せぬ敵
中原の北側が緩い起伏を繰り返しながら徐々に険しいベルギス大山脈となるように、南もいきなりアルアリ大湿原になる訳ではなく、湿潤な草原地帯を間に挟んでいる。
地盤が弱いため大きな建造物はつくれず、農業にも適さないため、どこの国にも属さない広い緩衝地帯となっていた。
そこを、数千名の騎馬兵が移動している。
いや、中原ではあまり見かけない形の黒い甲冑を身に着けた兵士たちが乗っているのは、馬ではなかった。
ザラザラとした灰色の皮膚をした大蜥蜴である。
馬よりも太く短い脚で、ぬかるみのような柔らかい地面を踏みしめ、太い尾をくねらせながら進んでいる。
その速度は、意外に速かった。
恐らく、このような地面の状態なら、馬ではすぐに身動きできなくなっていたであろう。
草原地帯を抜けたところで、大蜥蜴に乗った軍団は隊列を整えた。
その兵士たちの顔は中原の種族のものではなく、遥か東方のマオール人のようである。
そこへ、龍馬に乗った若い男が北の方から近づいて来た。
体毛が薄く、のっぺりした顔に細い目をしている。
ガルマニア帝国の宰相チャドスの遠縁だというチャダイであった。
軍団の長と思われる太った男に何事か命じたが、それも中原の言葉ではない。
太った男は大きく頷き、仲間の兵士たちに振り返ると、「ターミン、マオーラ!」と叫んだ。
兵士たちも、どよもすような大声で、「ターミン、マオーラ!」と返し、北に向かって行軍を開始した。
それを見たチャダイは満足げに笑い、大蜥蜴の軍団を迂回しながら北に戻って行った。
その草原地帯の北に位置する、できたばかりのイサニアン帝国では、初代皇帝となったブロシウスが、外交交渉に忙殺されていた。
少しでも味方になってくれそうな相手には、どんな小さな国であろうが、浴びせる程に贈り物を送り、同盟を結ぶよう懇願した。
今日も、かつてゲール皇帝が執務用に使っていた部屋に籠り、夥しい数の手紙を書いている。
そこに、皇帝に相談したいと軍人が訪ねて来たと秘書役が知らせてきた。
「なんじゃこの忙しい時に! 誰じゃ!」
ゲールを斃してからの僅かの日数で、ブロシウスはすっかり人相が変わってしまっていた。
元々薄かった頭髪は全て抜け落ち、頬はげっそり痩けて、目ばかりギラギラとしている。
来客を伝えにきた秘書役は怯えた顔で、「ガズル将軍にございます」と告げた。
「おお、そうか、それを早く言え。お通しせよ」
ブロシウスの謀叛に早くから加担し、三万の軍が反転するよう誘導するのに協力してくれた将軍であった。
但し、ゲールのいる場所に辿り着くのが遅れ、勲功第一を他の将軍に持って行かれた。
それ以来、関係が多少ぎこちなくなっている。
ガズルは黒い顎髭を撫でながら、胡散臭そうな表情でブロシウスの執務室に入って来た。
「ご多忙の中、お邪魔して申し訳ない」
言葉とは裏腹に、ガズルの態度は不遜極まりなかった。
許しも得ずに、応接用の椅子に皇帝であるブロシウスより先に座ったのである。
ブロシウスの方も無礼を咎めることはせず、その向かい側に座った。
「わしにお話があると聞いたが、何であろう?」
俄かに皇帝となったために、今更言葉遣いを変えられず、ブロシウスは軍師であった頃のままの喋り方であった。
「アンスタンチヌス将軍のことだ」
答えるガズルの言い方も謀叛の前と変わらず、いや、一層ぶっきらぼうなものであった。
「アンスタンチヌス将軍?」
言われてもすぐにピンと来ず、ブロシウスは相手の無礼な言い方も忘れ、暫し考えてから、「おお、そうか」と合点した。
「後少しのところでゲールの首を獲りそこなったあの将軍か。金髪碧眼の痩せた男であったな。あやつがどうかしたか?」
ガズルは最早不機嫌さを隠そうともせず、フンと鼻を鳴らした。
「自分が一番の手柄を立てたのだから、イサニアン帝国軍の長には自分がなるべきだと、ほざいているらしい」
「ほう、そうなのか」
他人事のようなブロシウスの言い方に、ガズルが切れた。
「約束が違うではないか! 全軍の将はおれのはずだ!」
ブロシウスの顔にもみるみる血が昇り、今にも怒りが激発するかに見えたが、何度も深く呼吸し、必死で堪えた。
唯一の味方と言っていいガズルと喧嘩別れしてしまえば、本当に裸の皇帝となってしまう。
「安心してくれ、ガズル将軍。わしは嘘は吐かん。イサニアン帝国の三万の軍の総帥はあなただ。何なら、明日にでも勅令を出そう」
「本当か?」
ガズルの無礼な反問にも、もう感情を昂らせることなく、ブロシウスは平静に応えた。
「ああ、二言はない。すぐに準備しよう」
そう言って、秘書役を呼ぼうとしたところ、その秘書役が血相を変えて飛び込んで来た。
「て、敵襲にござりまする、皇帝陛下!」
「何!」
動揺を露にするブロシウスの横で、さすがにガズルは冷静に「敵はどちらから来た? 東か?」と問うた。
ガルマニア帝国はエイサの東北にあるため、北の丘陵地帯を避けて来るとすれば、そちらから来る公算が高いのである。
「いいえ、違いまする!」
「なんだと、まさか西か?」
暗黙の同盟関係にある新バロード王国が裏切ったのかと、ガズルは蒼褪めた。
「東でも西でもありませぬ! 南でございます!」




