202 最後の願い
『自由都市同盟』の顧問団に加わってはどうかというギータの提案を、ガルマニア帝国のゲルヌ皇子は鮸膠もなく断った。
そのまま出て行こうとする皇子の袖を、隣の席のカノンが掴んだ。
カノンとゲルヌは吟遊詩人の親子に扮しているため、尖り帽子こそ被っていないものの、ゆったりした襞のある服を着ている。
その、広口の袖を掴んだのである。
「殿下、暫し、お待ちを」
カノンは更に顔色が悪くなっており、最早土気色であったが、袖を掴んだ手には満身の力が籠っていた。
ゲルヌの顔に、父譲りのピリピリした怒りの表情が現れた。
「カノン、無礼であろう。その手を離せ!」
「いいえ、離しませぬ。何卒先程のギータどののお誘い、お受けくださいませ。カノン一生のお願いにござりまする!」
カノンの『一生』という言葉の重みは、聞いている全員がわかった。
それでも猶、袖を振り払おうとするゲルヌに、見かねたタロスが声を掛けた。
「皇子よ。ギータの提案が不服なら、それでも良い。せめて身の安全だけでも、当分の間われらに委ねられぬか。わたしも元は王子と王女の従者であった。カノンどののお気持ちは痛い程わかる。決して粗略にはせぬと約束しよう」
最後の言葉は、カノンにも向けられたものであろう。
カノンの顔に一瞬だけ、笑みが浮かんだ。
タロスは知らないが、ニノフの家で記憶を取り戻した時、カノンは密かに監視していた。
その際、タロスが全てを捨てて王子の許へ向かったことを、カノンは見ていたのだ。
タロスの横に座っていたツイムも声を上げた。
「おれもそこの魔道師のことは知ってる。以前、ガルマニアの軍用船にウルス王子と一緒に乗せられた時、ブロシウスのじいさんに王子が吹き飛ばされて海に落っこちそうになったことがある。そこで王子を助けてくれたのが、この魔道師だったよ。おれにしてみれば、その時の恩返しさ。そっちの皇子も何も遠慮することなんかないんだぜ」
二人の発言を受けて、ギータも「わしも別に無理に仕事をしてくれと言ってはおらんさ」と苦笑した。
「居候では居心地が悪かろうと思っただけじゃ。まあ、先ず第一に身の安全の確保、そして、でき得れば情報の共有、ということじゃよ。無論、必要以上に秘密を訊き出そうなんてことはせぬ。それは約束する。わしが信用の置ける情報屋だというとは、サイカ中の誰に聞いてもらっても知っておるよ」
ライナも「そうとも! わたしも保証するよ!」と請け合った。
ロックだけは後ろを向いたまま、「来る者は拒まず、去る者は追わずさ。おいらは、もうどっちでも構わないぜ」と独り言のように云った。
ゲルヌは少しムッとした表情になった。
それを執成すように、ウルスラの顔が上下して瞳の色がコバルトブルーに戻ると、「ゲルヌ殿下、ぼくも約束する。同じ境遇だもの、決して悪いようにはしないからさ」と念を押した。
不思議なことに、他の誰に説得された時より、最後のウルスの言葉が、頑ななゲルヌの表情を和らげた。
「ふん。わかったよ。だが、ガルマニアのことは何も喋るつもりはないぞ」
ウルスは苦笑して「いいとも」と頷いた。
ギータが「良かったのう、カノンどの」と声を掛けたが、返事がなかった。
カノンはゲルヌの袖を掴んだまま、既に事切れていたのである。
だが、その表情はとても穏やかなものであった。
だが、カノンが傍にいなくなったブロシウスの方は、穏やかではいられなかった。
イサニアン帝国皇帝の名で、各方面に出した手紙に、殆ど何の反応もなかったのだ。
「いったい、どうしたことだ! 敵も味方も、未だに何も言って来ん。ガルマニア帝国の圧迫に苦しんでいたはずの自由都市や小国も、どれ一つとしてわしに賛同せん。せめて、ゲール皇帝に殺されたザギム宰相の母国ギルマンの残党くらいは喰いついて来るかと思うたのに、それすらないとは」
ブロシウスは三万の軍でゲルポリスを占拠し、旧称のエイサを復活させると共に、その周辺も含めてイサニアン帝国としたが、あくまでも自称であって、国際的に承認されたものではなかった。
勿論、戦乱の世にあっては実力が全てであり、自称であろうが、力の裏付けがあればよい。
その意味では、三万の軍は充分であるはずだった。
しかし、元々魔道師の都として巡礼者も多かったエイサは、全く防御力を持たなかった。
街を囲む城壁もなく、四方八方に繋がる道は、途中に遮るもの一つない直線であった。
ブロシウスがいとも簡単に攻め込めたということは、これから来るであろう敵にとっても同じことなのだ。
周辺の地図を睨みながら、ブロシウスは溜め息を吐いた。
「ふう。これでは、何万兵がいようと、とても護り切れぬわい」
それがわかっているからこそ誰も味方をしないのだが、元々軍師であるはずのブロシウスであるのに、わが事となると目が曇ってしまうようであった。
謀叛に加担したのは軍人ばかりで、外交を相談できるような文官など一人もいない。
何もかも、ブロシウス自身が処理しなければならないのである。
その間にも、敵は着々と迫って来ていた。
それも、意外な方向から。




