197 カミングアウト
北方警備軍千名を城内に入れる前に、マーサ姫からケロニウスに頼みがあると言われ、アーロンが部下に呼びに行かせた。
「これはどうしたことじゃ?」
兵士たちの疲労困憊した様子に驚くケロニウスに、マーサ姫は「ご説明は後程に。今は緊急にお願い致したきことがございます」と告げた。
「おお、わしにできることなら」
「忝うございます。これらの者たちは、腐死者と戦っておりました。何とか倒して逃げて参りましたが、この後、ンザビ化する者が混じっておれば、クルム城に迷惑が掛かります。大丈夫かどうか、魔道で調べていただけませぬか? 勿論わらわの父も含めてでございます」
「心得た!」
ケロニウスはその場から空中に飛んだ。
人数が多いため、頭上を飛行しながら、次々と確認していく。
最後に元の位置に戻り、念入りにマリシ将軍を調べて頷いた。
「大丈夫じゃ! 皆、中に入れてよいぞ!」
アーロンが部下に命じて城内を開放し、北方警備軍全員を収容した。
マリシ将軍は荷車に乗せたまま運び込み、ニノフが副将のボローを呼んで、ペテオと三人で抱え上げ、奥にある一番大きなアーロンの寝室に寝かせた。
まだ、意識は戻っていない。
そこに、兵士たちの収容を見届けたマーサ姫とケロニウスが入り、最後にアーロンが戻って来て寝室の扉を閉めた。
そこは寝室といっても、内密の打ち合わせなどもできるよう横に応接用の椅子などもあり、アーロンが皆に座るように勧めた。
マーサ姫はやはり父の容態が気になるらしく、なかなか席に着かなかった。
「ペテオ、わらわの代わりに皆さんに状況を説明してくれぬか」
「はい、畏まりました」
ペテオは、すっかりボサボサに伸びた口髭を無意識に撫でながら話し始めた。
ケロニウスのじいさん、あ、いや老師が北の空に禍々しく揺れる緑色の極光を見つけて、凶兆だと叫んだ、正にあの日、北長城は千名のンザビに襲われたらしいんでさ。
その時はヨゼフの機転で石油を使い、何とか撃退したそうです。
この後は、みんなに聞いた話をおれなりに纏めて言いますぜ。
ところが、その翌朝、兵士の遺体を処理してる時に、生き延びた、あれ、生きてはいないか、まあ、逃げてたンザビが一体混じってて、兵士の一人が噛まれたそうです。
そいつがンザビ化しちまって、また別のやつを噛んで、さらにまたってことに。
あれよあれよという間に城内にンザビが溢れ、みんな恐慌状態でさ。
そこで、直ちにマリシ将軍が指揮を執って、接近せずに火矢を射続けながら、城外に逃げるよう命令したそうです。
同時に、工兵に北長城そのものを焼くように指示を出しました。
辺境伯領にンザビが逃げ込むことを防ぐためには、そうせざるを得なかったんでしょう。
それでも、二千名いた兵士の半分は、何とか城外に脱出しました。
ホッとしたのも束の間、マリシ将軍と一緒に退却してたジーノって元の小隊長が、いきなりンザビ化して襲ってきたらしいんです。
将軍は咄嗟に左手で首を防御したんですが、その手を噛まれてしまいました。
その後、ジーノを蹴り飛ばして、何とかそれ以上の傷は負わずに済んだようです。
周囲の兵が気づいてジーノはその場で焼かれましたが、その間に、将軍は躊躇わず自分の左手を斬り落としたんです。
そのまま逃げ続けたものの、応急の処置しかしてなかった傷口からの出血が止まらず、人事不省となった将軍を荷車に乗せて運んでいるところに、様子を見に来たおれたちに出くわした、って訳です。
ケロニウスのじ、老師、将軍を何とか助けちゃくれませんか?
ケロニウスは「うーむ」と唸った。
「確かに将軍の決断が早く、即座に斬り落としたためにンザビの瘴気の侵入は防げたようじゃ。しかし、ここから先はわしの魔道でどうにかなるものではない。この状態では、薬草を煎じたところで飲めぬじゃろう。後は、本人の生命力次第じゃろうのう」
重苦しい沈黙の中、意外な人物が発言した。
ニノフの副将ボローである。
ペテオどころではなく、顔全体を覆うように伸びた髭を両手で擦り、思い切ったように口を開いた。
「言っちゃいけないことなのかもしれんが、ニノフよ、おれを助けてくれたあの業で、マリシ将軍を救ってやってくれないか?」
ニノフは驚いたように、ボローの顔を見た。
「おまえ、気づいていたのか?」
「ああ。やはり、言わない方が良かったか?」
ニノフは天井を向いて大きく息を吐いた。
「いや。今は恥じている場合じゃない。人の生命が懸かっているからな」
と、ニノフの顔が上下した。
暗い寝室の中では見えにくいが、瞳の色が灰色に近くなっている。
「みなさん、初めまして。ニノフの妹のニーナと申します」
そう自己紹介した声は、完全に女のものであった。
アーロンやペテオが唖然として見守る中、ケロニウスは「おお、やはり」と呟いた。
ニーナは寝ているマリシのところへ行き、マーサ姫に「少し離れていてください」と告げると、スッと手を伸ばしてマリシの身体の上に翳した。
掌から見えない力が出ているようだ。
「わたしにできる魔道はこれだけなのです」
それだけで、土色だったマリシの顔にみるみる赤みが差し、呼吸も穏やかになった。
そうして皆が見守る中、マリシの目がゆっくり開いた。
「こ、ここは、どこだ?」
アーンという子供のような泣き声がし、ペテオが驚いてそちらを見ると、それはマーサ姫であった。
両方の目からポロポロと涙が零れている。
その姿を見ているうちに、ペテオもまたオーオーと声を上げて泣き出していた。




