196 北方の異変
辺境伯アーロンはクジュケから来た手紙を、ニノフのために自ら読み上げた。
その傍らで、老魔道師ケロニウスも一緒に聞いている。
取り急ぎお知らせいたします。
わたくしは、バロードの西側国境のすぐ外にある宿場にて、ウルス王子のご一行と遭遇いたしました。
同行しているのは、ニノフ殿下もご存知のタロスどの、マリシ将軍からウルス王子付きを命ぜられたというツイムさん、それからボップ族のギータさんという情報屋でした。
ガルマニア帝国軍三万が迫っていることもあって、国境警備が厳しく、廃都ヤナンを目前に足止め状態だったとのことでした。
それが何故か急に警備が緩くなり、ご一行はこれからヤナンに入る予定であると申されましたが、罠の気配が濃厚でしたので、わたくしがお止めしました。
その際、わたくしの声が大き過ぎて、驚かれたウルス王子は、ウルスラ王女に変わられました。
このことは、戴冠式の事件で噂を耳にしてはおりましたし、ケロニウス老師からも聞いておりましたが、実際に見ると、やはり神秘でございます。
王女にニノフ殿下の許に合流することをお勧めしましたが、お父上のカルス王のことが気掛かりなので、もう少し様子を見たいとのことでした。
その代わり、少し離れた場所で情報を収集しようということになり、ギータさんの住んでいる商人の都サイカに参りました。
偶然にも、そこにロックどのがいたのです。
ゾイア将軍が自分を捜すために行方不明になったことに責任を感じ、何か手掛かりを得ようとサイカに来たということでした。
因みに、ツイムさんとロックどのは同じ沿海諸国のカリオテ出身で、過去に深い縁があったようです。
そこへ、ガルマニア帝国軍三万が反転して東に急行しているとの情報と、同時にマオール帝国の軍用船が大挙して沿海諸国に来航したとの知らせが来ました。
カリオテ人のロックどのは大変心配し、ツイムさんを誘って沿海諸国に行くと言われましたが、それもわたくしが止めました。
ガルマニア帝国軍の反転と繋がりがあると思ったからです。
そして、予想どおり、三万の軍が新帝都ゲルポリスを急襲するのと同時に、マオール帝国の艦隊は沿海諸国の近海から姿を消し、取り敢えず沿海諸国の危機は去りました。
これからガルマニア帝国がどうなっていくのか、注視する必要があります。それによって、中原全体の運命も変わるでしょう。
わたくしは、その裏にマオール帝国が深く関わっていると考え、ゾイア将軍の消息の情報を集めるついでにマオールのことも調べてみました。
それが意外な功を奏し、中原にあるマオール人の植民都市マオロンにゾイア将軍らしき擬闘士がいるらしいとの情報を掴みました。
そこで、わたくしは、これより密かにマオロンに行くつもりです。
ウルス王子のご一行に言わぬのは、一緒に行きたがるであろうロックどののことを慮ってのことです。
マオロンは暗黒帝国マオールを縮小したような暗黒都市です。
危険が計り知れません。
わたくしとて、万が一のことがあるかもしれず、サイカを発つ前に、これまでの経緯をお伝えして置くために、この手紙を認めました。
勿論、無事にゾイア将軍をお連れして戻るつもりですし、その自信もございますので、どうかご心配なく。
アーロンがウルスラ王女の件を読んだ時、ニノフの表情が強張ったのをケロニウスは見逃さなかったが、敢えてそこには触れず、「人の世の出会いと別れは不思議なものよのう」とのみ感想を述べた。
その間に気持ちを切り替えたらしいニノフは、読み上げてくれたアーロンに「ありがとうございました」と礼を述べた。
アーロンは手紙を置いて微笑んだ。
「いえいえ、こうすれば手間が省けると思っただけです。ところで、ケロニウス老師はマオロンのことは何かご存知ですか?」
「いや、わしも名前ぐらいしか知らんが、堅気の人間の行くところではないとは聞いたことがある。まあ、クジュケのことじゃから、その辺りは抜かりないじゃろう。ゾイアのことも何じゃが、今後ウルスラはどうするつもりなのかのう」
敢えてウルスではなくウルスラと言ったことはニノフにもわかったらしく、少しだけ苦笑した。
「まあ、父の本心はおれも知りたいところですが。それよりもアーロンさま、北長城の様子を見に行ったマーサ姫とペテオ副将がそろそろ戻られるのではありませんか?」
ニノフは巧妙に話を逸らしたが、ケロニウスもそれ以上は追及しなかった。
「おお、そうじゃったな。わしが北方の空に見た禍々しく揺れる緑色の極光のことが気になると、二人して調べに行ったが、何か連絡はありましたかの?」
アーロンは人の好さそうな顔を曇らせ、「いえ、まだ何も。何事もなければいいのですが」と不安を口にした。
それから間もなく、ニノフたちのいるクルム城の外から大勢の人馬の響きが聞こえ、「開門願いまする!」と叫ぶペテオの声がした。
アーロンやニノフが城門に出てみると、真っ赤な甲冑のマーサ姫とペテオを先頭に、凡そ千名程の北方警備軍の兵士が来ていた。
皆疲れ切っているようであった。
その中に、荷車に乗せられたマリシ将軍の姿もあったが、左手の肘から先がなかった。
アーロンは城門を飛び出し、マリシ将軍のところに駆け寄った。
マリシは目を瞑っている。
左手には晒の布が巻かれているが、血が滲んでいた。
「将軍! 腕を如何された!」
意識がない様子のマリシの代わりに、傍に寄って来たマーサ姫が、いつになく沈んだ声で答えた。
「父が自ら斬り落としました」
「何故!」
「腐死者に噛まれたのです」
(作者註)
以前もお知らせしましたが、マオロンに行ったゾイアについては、外伝短編の『マオロンの超戦士』をご参照ください。




