194 後継者たち
ブロシウス軍三万が新帝都ゲルポリスを急襲し、皇帝ゲールを斃した日から二日が過ぎた。
ブロシウスは、ゲールが執務に使っていた塔の一室に陣取り、渋い表情で各部隊の報告書に目を通していた。
ゲールの首級が獲れなかったことより、死に際にカノンの名を叫んだらしいということの方が、ブロシウスには残念だった。
騙されていたという悔しさもあるにはあったが、それよりも、良き話し相手を失った淋しさの方が大きかった。
「わしも歳だな」
しかし、感傷に浸っている暇はなかった。
すぐに戦後の処理をしなければならない。
愚図愚図していれば、報復の軍が大挙してやって来るだろう。
それにしても、戦死者の数が尋常ではなかった。
精鋭部隊千名が死に物狂いで戦ったのは勿論だが、報告書が事実なら、ゲール一人で三百人以上斬ったことになる。
「信じられぬ」
報告者の署名はアンスタンチヌス将軍となっている。
「はて、そのような者がおったかな。うーむ。おお、そうか、あの金髪碧眼の痩せた男か」
あのオドオドした将軍なら、多少誇張しているかもしれないと思った。
「に、しても、あやつが勲功第一か。まあ、運の良さも手柄の内、致し方あるまいな。ガズル将軍には次の機会もあろう」
一通り報告書を読み終えると、部下たちを部屋に呼び入れ、用意していた手紙の束を渡した。
「よいか。手に入るだけの龍馬を掻き集め、これらの書状を速やかに届けさせるのだ。本当は伝書コウモリの方が速いが、そういう訳にはいかんからな。ああ、それから、絶対に届け先を間違えぬよう、きつく言って置け。敵味方両方に出しておるからな。頼むぞ」
従来の敵方には現在の交戦を拡大して帝国軍がこちらに来るのを邪魔するように頼み、帝国軍側には直ちに交戦を止めてこちらに合流するよう依頼しているのだ。
部下たちが手紙を持って出て行くと、思わず溜め息が出た。
「正に反間苦肉だな。時を稼がねばならんからな。その間に、国家の形だけでも整えねば」
ブロシウスは、新帝国案という草稿を手に持ち、カノンの意見を聞こうとして、「ああ」と声を出した。
「いかんのう。誰かカノンに代わる者を早く見つけねば」
また独り言ちながら、草稿を読み上げた。
「うむ。『この度の行動は、決して私利私欲に非ず。帝国を、延いては中原そのものを、東方のマオール帝国に売り渡さんとするゲールから、中原全てを護るためである』か」
ブロシウスは、皮肉な笑みを浮かべた。
「まあ、これは建前だがな。ええと、その次は、『また、皇帝の独裁による強権的な支配体制を打破し、国民が安心して暮らせるようにする』だな。本当にそうなって欲しいものだが。『尚、今後ゲルポリスの名称は廃してエイサに戻し、改めて新帝国の帝都とする。また、エイサの古名に因み、国名はイサニアン帝国とする。初代皇帝は、不肖ブロシウスが相務める』しかあるまい。やはり、王よりは皇帝の方が国民は納得するだろう」
ブロシウスの言う意味は、血筋が貴ばれる王と違い、皇帝は実力だけで即位できるからである。
古代には、貴族たちの投票によって皇帝を選出した国もあったという。
だが、未だに独り身のブロシウスには後継ぎがいなかった。
「それは、相応しい人物に禅譲すれば良い。何れにせよ、帝国が固まってからの話だ。当面は、宰相のチャドスめがどう出るか、そこが一番の問題だな。そのためにも、早く帝国を固めねば」
ブロシウスは、相談相手がいないまま、堂々巡りに陥っていた。
そのチャドスは、ガルマニア帝国の旧帝都ゲオグストの宮殿で、でっぷりと太った若者と向かい合っていた。
やや縮れた赤毛で、それなりに美しい顔立ちをしているが、全くと云っていいほど覇気がない。
成人は過ぎている年齢のようだが、甘えた子供のような目をしていた。
チャドスは、やや苛立ったように若者を説得していた。
「父上さまのご無念を晴らすため、どうか報復の軍を率いてください、ゲルカッツェさま!」
若者は、皇帝ゲールの次男ゲルカッツェであった。
唇を尖らせ、子供のような口調でチャドスに抵抗した。
「どうしてぼくなのさ。皇太子は兄上だよ」
「ゲーリッヒさまは当てにできません。この大事な時に、またガルム大森林に行って狩りを楽しまれておるのですから」
その時、入口の方から、「おれなら戻ってるぜ」という声がした。
チャドスが驚いて振り返ると、ボサボサの赤い髪を一纏めに縛り、動物の毛皮を繋いだ珍妙な服を着た、日に焼けた若者が立っていた。
「お、お戻りでしたか、皇太子殿下」
日焼けした若者は、ゲールの長男ゲーリッヒであった。
口籠るチャドスに、ゲーリッヒは皮肉な笑みを見せた。
「どうした? 幽霊でも見たような顔をして。おれが戻って来ちゃ、いけなかったかな?」
「あ、いえ、決してそのようなことは」
「なら、いいんだけどよ。森の中で刺客みたいなやつらに襲われてさ。まあ、みんな返り討ちにしてやったけどよ」
チャドスは顔を強張らせながらも、「ご無事で何よりでした」と愛想笑いを浮かべた。
ゲーリッヒは屈託のない笑顔で、「ありがとよ」と返したが、その後、恐るべきことを告げた。
「そういえば、森の民から聞いたんだが、ガルム大森林最南端の湊に、でっかい軍用船が十隻着いて、ゾロゾロと兵隊が下りて来たそうだ。みんなマオール人らしい。何か事情を知らねえか、チャドス宰相?」




