1442 ハルマゲドン(98)
一方、エオスの大公宮でも、張り出し露台にスカンポ河東岸地区の首脳陣が集まっていた。
この位置からだと、夜空の北半分を覆うような緑の極光が良く見える。
「見る分にゃ綺麗だが、この世の終わりを知ろしめす旗だと思うと、背筋が寒くなるな」
片目に黒い眼帯を付けた顔に皮肉な笑みを浮かべて述懐したのは、一番北に位置する荒野騎士団領の団長ルキッフである。
「まあ、おれたちの砦はもっと北方に近えから、全天がオーロラだらけで住民が怯え切ってる。そこへ持って来て、あの気味の悪い巡礼たちが続々と渡河して行くんだからな」
「人数はどれくらいだ?」
尋ねたのは、この大公宮の主のニノフである。
女と見紛うような美しい横顔が、憂いに沈んでいる。
ルキッフは肩を竦めた。
「とても数え切れねえ。例の白頭巾を被った赤目族の神官を先頭に、譫言みてえに『タナトゥス、タナトゥス、タナトゥス……』と唱和しながら船に乗り込んでる。おれたちも最初は止めようとしたんだが、明日中に北の大海に到着しないと天国に行けないとか言われて、逆に怒鳴りつけられた。まあ、放っとくしかねえよ」
「そうか。幸い、と言っては何だが、東岸地区からの参加者は少ないようだが。南部の方は如何ですか、アーロン伯?」
ウルス誘拐事件の衝撃から漸く立ち直ったらしいアーロンは、生真面目な顔で頷いた。
「新辺境伯領でも、タナトゥス教に染まった者が多少おりますが、北方への巡礼には殆ど参加しておりません。やはり、東岸地区では腐死者への恐怖が根強いですから」
「成程。因みに、その後ンザビは発生していないか、ボロー?」
自分の顔の下半分を覆う黒鬚を触りながら、オーロラに照らされるニノフの横顔をうっとりと見入っていた副将のボローは、慌てて「あ、いや、その」と口籠った。
見かねて横に座っていた伊達髭のペテオが、「大丈夫でさあ」と代わりに答えた。
「念のためヨゼフが作ってくれた噴霧器に例の聖水を入れ、衛兵に持たせて見廻らせてますが、今んとこ、完全にンザビは消滅したまんまです」
「そうか。それだけが救いだな。後はもう、ゾイアたちに任せるしかない。ルキッフどのも、アーロン伯も、今夜は領地に戻って休んでください。ああ、それから、アーロンどの。妹たちのこと、よろしくお願いします」
その言葉だけで人の好いアーロンは涙ぐみ、「すみません」と詫びた。
「こんなことなら、無理にでもロレンゾどのと妹君ピリカさまのご婚礼を急がせるべきでした。忙しさにかまけたわたしの責任です」
「いやいや、お気になされぬように。妹も、この非常時に自分の婚礼などできぬと申しておりましたから。明日、全てが上手く解決すれば、すぐにでも段取りを始めるでしょう。その時は、どうぞ祝ってやってください」
ニノフの言葉が終わらぬうちから涙を零したアーロンに、ルキッフが笑顔を向けた。
「そういうアーロンさまだって、早いとこお后を迎えなきゃ、傅役のシメン爺さんが心配して、化けて出ますぜ」
「まだ死んではおらん!」
思わず言い返してから、アーロンも泣き笑いのような顔になった。
「そうだな。爺が元気なうちに、安心させてやらねばな」
冗談を言ったルキッフも、沁み沁みと呟いた。
「おれもこんなことになるなら、弟たちに兄として名乗りを上げときゃ良かったよ……」
その弟二人は、カリオテの港にいた。
「夜の海も悪くねえな」
月明かりの中、弟ツイムに話し掛けられたファイムは、「ああ」と気のない返事をした。
ツイムは闇を透かすようにして兄の顔を見た。
「どうした、兄貴?」
ファイムは大きく吐息してから答えた。
「わたしはそれなりに成功した人生を歩んで来た。若くして出奔した兄や、言ってすまんが、グレて海賊になった弟の分まで、親孝行をしたと思う。いやいや、二人を責めてるんじゃない。逆に、一人で親の愛を独占し、申し訳なく思っているくらいだ」
ツイムは苦笑した。
「謝ることはねえ。兄貴の言うとおりさ。が、急にどうした? 明日にでも死にそうな科白だな。ああ、そうか」
言ってしまってから、本当にそうなるかもしれないと思い至り、ツイムも表情を改めた。
それを見て、ファイムはもう一度「すまん」と頭を下げた。
「実は、リサのことを考えていたのだ。わたしは今死んだとしても、自分の人生を悔いることはない。しかし、リサはまだ十四歳だ。こんなことなら、早めにウルス王に嫁がせておくべきだったよ」
ツイムはふと、遠くを見る目になった。
「どうかな? もしかすると、女王陛下がご結婚される方が、先かもしれねえ。その場合、どうするのかな? まあ、それもこれも、明日どうなるか次第だが……」
そのウルス王は、秘書官ラミアンの見送りのため、双王宮の中庭に出ていた。
「じゃあ、頼むね、ゲルヌ」
ゲルヌ皇子は、親友の手を握った。
「心配要らぬ。ラミアンには今夜一晩エイサでゆっくり休んでもらい、明日の日の出を待って、地下の古代神殿へ案内する。そこで、ドーラと共に本殿に乗り込んだのを見届けたら、すぐに北方へ跳躍して待機する。ゾイアもいるし、きっと上手く行くよ」
横に立っているラミアンも覚悟は定まったようで、「お任せください」と胸を張った。
「最後の最後まで、ドーラさまの行動をぼくが見張りますから」
その時、屋内から誰かが走り出て来た。
「ちょっと待ってくれ!」




