144 開戦前夜(3)
「火急の援軍要請を差し置いて、先に片付けなければならぬ用事とは、いったい何ですか!」
詰問する伝令を、ゾイアは「まあ、落ち着け」と宥め、地面に簡単な地図のようなものを描いて説明した。
ここが、今われらのいる宿営地とする。
バロードはこの辺りになる。
そして、その中間に『暁の軍団』の砦があるのだ。
バロードの国境付近に集結した敵は一万二千と聞いた。
われの得ている情報から考えると、砦に残っている敵は二千弱ということになる。
これは千載一遇の好機なのだ。
われらが大挙して渡河したにも拘わらず、未だにバロード領内へ進めないのは、この砦に籠る一万を超える蛮族の存在を看過できなかったからだ。
また、ここを先に叩いて置かねば、戦況が敵方に不利になった時、せっかく砦から出て行った蛮族が必ず逃げ込む。
攻城戦となれば平場の戦いの数倍の兵力が必要になる。
叩くなら、今しかないのだ。
伝令はゾイアの説明に頷きながらも、「それは理解できました。なれど、わが機動軍は僅か五千。このままでは、貴軍の到着を俟たずして……」と項垂れた。
実数を聞いて、さすがにゾイアも驚いた。
おお、カルボンどのは冷たいのだな。
うむ。では、こうしよう。
今、この宿営地には、凡そ八千名いる。
追っつけクルム城から二千名来る予定だが、これは当座には間に合わないだろう。
よって、八千を二つに分け、半分の四千を先にバロード軍に合流させよう。
われの副官のペテオに率いさせる。
残る半分をわれが連れて砦を攻める。
砦が落ちれば、さらにその半分の二千を守備に残し、われは残り二千を率いてバロード軍に合流する。
クルム城からの援軍には、どこにも寄らず真っすぐにニノフどのの許を目指すよう伝えて置く。
綱渡りのような策戦だが、後は遊軍としての『荒野の兄弟』の活躍如何となるだろうな。
伝令は、猶も不安な様子であった。
「それで、間に合いましょうか?」
ゾイアは、アクアマリンの瞳を煌めかせ、莞爾と笑った。
「必ず砦を落とし、間に合わせます、とニノフどのにお伝えしてくれ」
その砦の留守居役は、やはりバポロであった。
自分も出撃したいと申し出たのだが、カーンに残るよう命ぜられた。
外に出れば逃げるだろうと見透かされているのだ。
その証拠に、砦に残された二千名の大部分は蛮族であり、バポロの部下は小姓などの非戦闘員しか残っていない。
バポロは半ば自棄になって、また昼間から葡萄酒を飲んで鼻を赤くしていた。
「おい! もうないぞ! もう一本持って来い!」
ちょうど部屋に来ていた小姓が、「もうお止めください! わたくしたちがカーンさまに叱られます!」と口答えしたため、バポロは葡萄酒の瓶を投げつけた。
「おまえは、誰の家来だ! 余の命令が聞けぬのか!」
小姓も負けずに言い返そうとして、ハッと息を呑んだ。
部屋の入口に刺青だらけの蛮族が立っていたのだ。
「騒ぐな。殺すぞ」
普通の日常会話のように、静かにそう言われ、バポロと小姓は黙り込んだ。
バロードの西側国境の外側に布陣した蛮族と『暁の軍団』の連合軍の野営地では、帝王カーンのいる天幕に訪問者が来ていた。
頭が禿げ上がってはいるものの、筋骨隆々とした年配の男である。
瞳は薄いコバルトブルーであった。
「息子よ、やはり行くのか?」
男に問われたカーンは、「ああ」と答えた。
「後はおやじどのに任せる」
カーンは、自分のものと同じ派手な仮面を男に手渡した。
年配の男は仮面を持ったまま、目を半眼に閉じ、ゆっくりと呼吸した。
すると、薄かった頭髪が徐々に濃くなり、色も鮮やかな金色となった。
同時に、身体つきもやや細く、若々しくなった。ただ、顔だけは最初から変わらなかった。
「顔は仕方ないのう」と呟きながら、仮面を被ってカーンに向き直った。
「どうじゃな?」
「うむ。見事な影武者ぶりだ。よろしく頼む」
カーンは深々と頭を下げた。
男は、一旦仮面を脱いで、笑顔を見せた。
「なんの、わしは構わんよ。だが、おまえが自ら行くこともなかろうに」
「いや、そうもいかんのだ。山越えの奇襲攻撃の差配も然ることながら、今回は機械魔神を使う。あれは、わたしでなければ操作できん」
男は驚いたように、カーンを見た。
「おお、そうか。それほどまでに」
仮面に隠れて顔は見えぬものの、怒りの籠った声でカーンは叫んだ。
「ああ! 必ずやカルボンに、己の所業を後悔させてやる!」
その夜、カーンを含む蛮族五百騎が密かに戦線を離脱し、北側の山岳地帯に入って行った。




