1437 ハルマゲドン(93)
同じ頃。
ゲルヌ皇子も市民の動揺を鎮めるため、エイサに戻って来ていた。
ウルス/ウルスラと同じく直接市民に声を掛けて廻ったのだが、バロード以上に不安を募らせている者が多く、その理由もハッキリしていた。
エイサは現在、全くの無防備状態に陥っていたのである。
小さな国ほどの面積を持つ自由都市エイサは、平地のど真ん中にあり、周囲には自然の防壁となるような山も川もない。
しかも、中原の臍と呼ばれるような交通の要衝であるため、大きな街道の交点になっており、攻められ易く、護り難い。
その致命的な地政学的弱点故、千年の中立を保っていたエイサを攻め滅ぼしたゲルヌの父ゲール帝も、そのゲールに謀叛を起こした軍師ブロシウスも、共にここで人生の幕切れを迎えることとなった。
そこで、ブロシウスを斃したゲルカッツェは、というより、その黒幕であった宰相チャドスは、エイサを軍事拠点とすることを諦め、僅かな留守部隊を残すに留めたのである。
そのエイサを、ゲルヌが『神聖ガルマニア帝国』と宣言し、名称はやや大袈裟ながら、独立国並みの自由都市にすることができたのは、この地の地下にある古代神殿のお蔭であった。
ゲルヌはかつて、幽閉中に地下の迷路へ入り、予言された『み使い』として赤目族に、そして、古代神殿の祭神である魔道神に認められた。
この惑星に不必要な介入はしないバルルも、ゲルヌを護るためにエイサに特殊な結界を設定し、更に必要な場合には『重さの壁』を起動させたのである。
それが、今。
「殿下! 部下に周辺を逐一確認させたが、やっぱりエイサは丸裸だぞ!」
怒ったように報告しているのは、マーサ姫である。
いや、既に姫ではなく、エイサ防衛大臣という肩書になっていた。
肩書が変わっても恰好は真っ赤な鎧姿であり、上司であるゲルヌの執務室の扉を開け放したまま、見事な金髪を振り乱して叫んだのであった。
ゲルヌは沈痛な面持ちで手紙を読んでいたが、顔を上げた時には少し微笑んでいた。
「こんな時に何だが、姫の声を聞くと元気が出るよ。たとえ、悪い報告であっても」
が、マーサはゲルヌの感慨など取り合わなかった。
「言葉が過ぎるかもしれぬが、そんな暢気なことを言っている場合か! 結界も『重さの壁』も何もないのだぞ。漸くマオロン軍団戦の痛手から立ち直ったばかりなのに、今敵が攻めて来たらどうするのだ?」
ゲルヌは珍しく溜め息を吐いた。
「敵が来るとしても、上からだ」
マーサはツカツカと歩み寄ると、ゲルヌの机にバンと両手を着いた。
「バルルの件は聞いた。が、それを悩んだところでどうしようもあるまい? 天から劫火が降って来るなら、ジタバタしたところで始まらぬ。が、今のままでは、その前にエイサは滅ぶぞ!」
ゲルヌは真っ直ぐにマーサのエメラルド色の瞳を見た。
「そうだな。ともかく、不安から暴動などが起きぬよう、市内の警邏を強化してくれ。それと、主な街道の出入口に、警備兵を必要なだけ出動させてくれ」
マーサの顔がグッと迫った。
「それくらいもうやっている! わらわは防衛大臣だぞ。そうではなく、わらわが言いたいのは、殿下のその覇気のない態度のことだ。そんなことでは、市民が不安がるばかりだ」
ゲルヌは大きく息を吐き、天井を見上げた。
その目から涙が溢れそうになっている。
「姫の言うとおりだな。わたしも私情は忘れるべきだと思う」
さすがにマーサもゲルヌの様子がおかしいことに気づき、「何かあったのか?」と尋ねた。
遂にゲルヌの目からツーッと涙が零れ落ちた。
「ゲルニアが、危篤らしい。霊癒族のエマさまから知らせて来た。保って今夜一晩だろうと。怪我もさることながら、生きる気力を失っているそうだ。無理もない。せめて最期を看取ってやりたかったが……」
マーサはスッと机から離れると、冷たく告げた。
「ならば行けばよい。エイサはわらわが護ってみせる」
ゲルヌは涙を拭うと、小さく首を振った。
「それはできぬ。わたしはエイサの市民全てに責任を負っている。この不安な状況が解消されぬ限り、ここを離れる訳にはいかんのだ」
更に声を荒らげてゲルヌに反撥しようと大きく息を吸ったマーサの肩に、背後からそっと手が置かれた。
反射的に邪険にその手を振り払おうとして、マーサは驚いた。
「父上!」
それは、マーサの父マリシ元将軍であった。
腐死者に噛まれた腕を自ら斬り落としたため現役を退き、一時は辺境伯アーロンの許に身を寄せていたが、その後バロードへ移り、現在は娘の傍で余生を送っている。
「わしが口出しすべきことではないかもしれぬが、少しは殿下のお気持ちも考えよ。殿下にとっては、ゲルニアは肉親以上の存在だぞ」
ムッとした顔を崩さぬまま、マーサは「わかっておりまする」と応えた。
「わかった上で、敢えて申し上げておるのです」
「それならよい。が、わしの考えを言わせてもらえるなら、殿下はサナト族の隠れ里へ行くべきだと思う」
これには、ゲルヌ本人が「いや、それは駄目だ」と返事をした。
「マーサが言うように、今は非常時だ。私情は……」
皆まで言わせず、マリシは「畏れながら」と遮った。
「惻隠の情で申し上げているのではありませぬ。エイサのために、必要なことかと」
寧ろ気の毒そうに頭を下げるマリシを見て、ゲルヌもハッとした表情になった。
「そうか。そうだな。わかった。すまぬが、姫、留守を頼む」
そう告げた時には、ゲルヌはその場から跳躍していた。
(作者註)
エイサを襲ったマオロン軍団については、1187 風が吹けば(10) ~ 1210 風が吹けば(33)あたりをご参照ください。




