143 開戦前夜(2)
「な、何を申す! 貸せる訳がなかろう!」
ニノフにアルゴドラスの聖剣を貸して欲しいと言われ、青白かったカルボンの顔が、怒りで真っ赤に染まった。
ニノフは努めて声を低め、相手の興奮を静めようとした。
「勿論、ほんの一時でよいのです。配下の兵を鼓舞し、敵を威嚇するためです。おれ自身、それを手にしたところで、何か奇跡が起こるなどと期待している訳ではありません」
わたくし、と言っていたのが、おれ、になってしまったが、カルボンはそれどころではなかった。
聖剣は、アルゴドラス聖王の子孫の手にある時、初めて本来の力を発揮すると云われている。
カルボン自身も遠縁に当たるから、握り方を変えてみたり、呪文を唱えたり、散々試してみたが、何の変化も起きなかった。
もし、ニノフが聖剣を手にして何か普通ではないことが起きてしまえば、今の自分の地位など、嵐の中の蝋燭のように儚く消えるだろう。
自分が国民に人気がないことは、カルボンもさすがに自覚していた。
そうなった後で、ニノフに上手く取り入ったところで、再び宮宰となって、ニノフ王の小間使いとなるだけである。
それでは、何のために謀叛まで起こしたのかわからない。
ここは、何としても拒絶せねばならなかった。
「おまえは、自分の軍勢に自信がないのか! 兵員を増やして欲しいと言うから、傭兵上りのおまえに五千人も附けてやったのに、戦う前から逃げ腰か!」
ここまで言われては、ニノフも引き下がるしかなかった。
今にもキレそうな顔のボローを自分の背後に隠し、「失礼いたしました。今の話、お忘れください」と詫びながら、一緒に退室した。
部屋を出るなり悪態を吐くボローを、ニノフは「一応、言ってみただけだ。気にするな」と宥めながら歩いた。
早くこの場を離れたかったのだ。
ボローは何度か大きく呼吸して気を静めたが、納得はしていないようだった。
「しかし、敵の半分以下の兵力では、最初から話にならんぞ!」
ニノフは苦笑した。
「わかっているさ。まあ、僅か千人でリード湊に行かされた時よりマシと思うしかない。できるだけ自力で戦いたかったが、こうなったら、早めに『荒野の兄弟』と北方警備軍に援軍を要請するさ」
蛮族と『暁の軍団』の連合軍が動いたとの情報は、『荒野の兄弟』のルキッフにも届いていた。
「首領、どうします?」
そう尋ねたのは、バロードとの同盟を纏めたベゼルである。
相変わらず、うねうねと波打つ癖のある長い黒髪を後ろで束ねている。
心なしか元気がないのは、朋友となったティルスが記憶を取り戻し、タロスに戻って去って行ったからである。
ルキッフは、黒い眼帯の位置を自分で調整しながら、考えているようだった。
因みに、オッドアイであることは長老のドメスしか知らない。
「そうさな。バロード側の出方次第だが、ウルス王の即位が流れたから、西側に兵力を集中するんじゃないかな」
ガルマニア帝国軍三万が遠征して来ていることは、まだ伝わっていなかったのである。
そこへ、「バロードから、伝令が来たぞーっ!」と仲間が駆け込んで来た。
ルキッフは「おお、そうか。ここへ通せ!」と命じた。
息も絶え絶えの状態の伝令に水を飲ませ、落ち着いたところで、ルキッフはベゼルだけ残して、人払いをした。
長年の勘で、良くない知らせと判断したのである。
「さあ、いいぞ。バロードからの伝言を云ってくれ」
ルキッフに促され、伝令は姿勢を正した。
「申し上げます! バロード共和国機動軍ニノフ将軍より、援軍のお願いでござりまする! 蛮族と『暁の軍団』の連合軍一万二千が、わが国西側国境に迫っておりますが、折り悪しく、東方よりガルマニア帝国軍三万が進軍中にて、両面作戦を余儀なくされております。貴軍に於かれましては、直ちにわが軍に合流していただきますよう、伏してお願い申し上げまする!」
暫く考えていたルキッフは、伝令に返事を頼んだ。
「いいか、言うぜ。ええと、何だっけ、うん。お申し出の儀、残念ながらお断りする」
伝令が顔色を変えた。
「何だと!」
ニノフは「おいおい、最後まで聞けよ」と伝令の肩に手を置いた。
「儀礼的な言葉は面倒だな。ざっくばらんに言うぜ。いいか。協力はするが、おれたちには、おれたちのやり方がある。要は、敵を攪乱すりゃいいんだろ。任せときな!」
北方警備軍にも、ニノフからの伝令が来た。
ゾイアもまた、すぐに合流して欲しいという要請は断った。
「何故でございますか!」
詰め寄る伝令に、ゾイアは笑顔すら見せた。
「その前に片付けるべきことがあるのだ。それが済み次第、必ず駆けつけると伝えてくれ」




