1408 ハルマゲドン(64)
火箭や弩砲の使用を止め、礫による攻撃に切り替えるよう、東岸防衛同盟の全軍に指示が飛び、急遽各監視船に投石器と石が搭載された。
元々死んでいる腐死者は痛みを感じないため、矢で貫かれても平気だが、礫によって物理的な衝撃が加われば身体の一部を破壊することができる。
特にそれが脚であれば、それ以上前には進めなくなるのだ。
よって、主に脚を狙って投石が行われ、かなりの成果があった。
「に、しても、数が半端ねえな」
監視船に乗り込んで指揮を執っているロックは顔を顰めた。
対岸に上陸すれば効率よく脚部を狙い撃ちできるのだが、破壊されたンザビの粉末状の破片を怪我の部位に浴びた兵士がンザビ化してしまったり、腹部から飛散した結晶毒を吸い込んだ船員が即死するという事例があって、ロックはすぐに上陸を禁止した。
「ウルスも、いや、王さまも頑張っちゃあいるが、やっぱ、ゾイアのおっさんほどじゃねえしな」
翼竜の姿で飛び回っているウルス一人では、スカンポ河の全流域を漏れなく援護するのは難しく、一進一退が続いているのだ。
一方、ヨゼフが改良した連射式カタパルトで攻撃を続けているペテオも、一台しかない機械を船に乗せて移動しながら愚痴を零していた。
「こいつが後何台かあったらなあ。このまんま日が暮れたら、ホントにやばいぜ」
ペテオが懼れたとおり、ンザビを完全に撃退できぬまま、日没を迎えてしまった。
中原側の河岸には、全流域に亘って煌々と篝火が焚かれたが、特に中流域より先は河幅が広すぎて、対岸まで光が届かない。
闇に紛れて潜水されれば、ザリガニが殺され、そのまま河底を歩いてこちらの岸まで来られてしまう。
各監視船も油式のランプなどを灯しているが、精々甲板を照らすぐらいである。
甲板に立って暗い水面を見つめるペテオは、溜め息を吐いた。
「向う岸はもう見えねえな。今頃はもう、ンザビが潜って来てるかもしれねえぞ。そん時は、この聖水だけが頼りだな」
ペテオは伊達髭を捻りながら、傍らに置いている木桶を見た。
ペテオが聖水と呼んでいるのは、ウルスラがゾイアの身体にいる時にガンクから作った人工抗原であり、抗病素薬も兼ねているという。
「ンザビに噛まれた直後にこいつを体内に注入すりゃあ効くらしいが、そんな高尚な道具もねえし、寄って来るンザビにぶっかけるしかねえな。まあ、それでも多少は無毒化できるって話だが。ん?」
その時、異様な音が聞こえた。
船体に何かがぶつかったようだが、硬いものではなく、濡れた雑巾の塊が潰れるような気味の悪い音である。
「こりゃあ、ひょっとして……」
ペテオは吊るしてあるランプを一つ外し、船縁から身を乗り出すようにして水面を照らした。
「うっ!」
襤褸のような衣服の残骸が船腹にへばりついており、そこから骨と皮のように瘦せ細った手が出ている。
その手が船腹にペタリと貼り付くと、もう一本の手が出て来てまたペタリと貼り付いた。
その両手の間の水面から、髑髏に髪が生えたような状態の頭部が現れた。
その顔がクイッと上を向くと、鼻のない顔でギロリとペテオを睨んだ。
「き、来たな化け物め。よし、聖水をお見舞いしてやるぜ!」
ペテオはランプを船縁に引っ掛け、駆け戻って木桶を持って来ると、中身をザバッとンザビの顔にぶちまけた。
ンザビの顔の皮膚がドロドロと融け、瞼のない目が剥き出しになった。
「ぐぶぎゃうあううう……げほっ!」
不気味な叫び声と共にンザビの唇も融け崩れ、歯も次々と抜け落ちる。
辛うじて船腹に貼り付いていた両手も一本ずつ剥がれ、ズブズブと沈んで行った。
ペテオは小躍りして船縁を叩いた。
「ざまあみやがれ! 思い知ったか、このンザ……」
ペテオの笑顔が凍りついた。
船腹に別の襤褸の塊がぶつかる鈍い音がしたのである。
しかも、一箇所ではないようだ。
続いて、ペタ、ペタっと濡れた手が船腹に貼り付く音が聞こえて来た。
ペテオは空になった木桶を見つめた。
「……やっちまったな」
絶望に駆られたペテオは、天を仰いだ。
「え?」
月のない星空を、何かが飛んでいる。
背景の星が隠れる範囲を見ると、相当な大きさであった。
「鳥、じゃねえな。ってことは」
ペテオは必死で援けを求めた。
「ウルスさまーっ! こっちだ! こっちへ来てくれーっ!」
それは正に翼竜となって巡回中のウルスであった。
その両目から明るい光が放射され、ペテオの監視船を照らした。
ペテオも改めて甲板を見回すと、もう何体もンザビが上がって来ており、中にはンザビ化した船員も混じっていた。
「ま、まじでやべえな、こりゃ」
ウルスも攻撃方法を迷っているらしく、上空を旋回している。
炎を吐けば船ごと炎上してしまうし、冷気を吹けばペテオたちも凍ってしまう。
ペテオは大声で叫んだ。
「聖水だ! 聖水を撒いてくれーっ!」
それが通じたのか、ウルスの翼竜は急降下して一旦水中に潜った。
その間にも、ンザビたちはズリッ、ズリッとペテオの方に寄って来ている。
「早く頼むぜ、王さま」
最早身を護る術もないペテオは祈るように水面を見つめた。
と、水面が白く泡立ち、盛り上がった頂点から翼竜が飛び出した。
その腹部が大きく膨らんでいる。
ペテオは「よっしゃあ!」と歓声を上げたが、直後「ん? まさか小……」と肩を竦めた。
が、幸い、ウルスは口から噴水のように放水した。
雨のように降り注ぐ聖水を浴び、船上のンザビはグズグズと崩れた。
その何体かは、後に白い結晶が残っている。
ペテオは眉を顰めた。
「そうか、こいつは水に溶けないんだったな。迂闊に触らねえように注意して、何か道具を使って集めさせよう。処分の仕方は持ち帰った後、クジュケにでも聞くしかねえ。とりあえず、ありがとよ、王さま!」
その声が聞こえたのか、翼竜は飛び去った。
結局、明け方までスカンポ河を何度も往復し、ウルスの翼竜は聖水の雨を降らせ続けたのである。
(作者註)
ンザビがクリスタルポイズンを食べた件については、971 叡智との遭遇(4)~972 叡智との遭遇(5)をご参照ください。




