1404 ハルマゲドン(60)
ナターシャが助けた男の名前を聞き、何か思い出しかけたジェルマの意識がスーッと遠のいた。
「あれ? おいら、どうしたんだろう?」
自分ではそう呟いたつもりだったが、口から出たのはバブバブというような喃語であった。
それに気づいたのか、誰かの顔がくっ付きそうなほど寄って来た。
「どうしたの、シンゴ? お腹空いたかな?」
その限りなく灰色に近い薄いブルーの瞳を見てハッとした。
髪が長く伸びているが、凛とした美貌は間違いようがない。
「……ナターシャ……」
「えっ! 今、わたしの名前を呼んだような気がしたわ。シンゴお願い、もう一度言ってちょうだい」
ジェルマは口を開いたが、もうハッキリとした言葉にはならなかった。
と、ナターシャの背後から「どうしたんだい?」という男の声がした。
ナターシャは振り向き、「今、シンゴがわたしの名前を言ったのよ」と感激したような声で教えた。
コツ、コツと杖を突くような音が近づいて来て、男が覗き込んだ。
その顔を見てジェルマは驚きの声を上げたが、出て来た声はバブーッというように聞こえた。
苦笑している男は、ジェルマとナターシャが助けた傭兵だった。
「それは無理だよ、ナターシャ。だって、シンゴはまだたった五か月だぜ」
「でも、天才かもよ。だってあなたの子ですもの、アイゾー」
「残念だが、おれの頭はそんなに優秀じゃないさ。まあ、宇宙開発公社は必要としてくれたが」
ナターシャの顔色が変わった。
「どういう意味?」
アイゾーという男は照れたように笑いながら、「勿論今すぐじゃないさ」と告げた。
「宇宙開発公社が献体を募集してて、高額の生命保険付きだったんだ。おれもこんな身体で、もう傭兵としては稼げない。かといって、他の仕事ができる訳でもないしな。ナターシャとシンゴの将来のために、役立てて欲しいと思ってさ。試しに申し込んでみたら、さっき合格の通知が来たんだよ」
ナターシャは眉を顰めた。
「でも、宇宙開発公社はあなたの身体を何に使うの? 宇宙飛行士に臓器移植するの? ああ、違うわね。提供者登録じゃなくて、献体ってことは、解剖の教材になるってことよね。どうして宇宙開発公社がそんなことするの?」
アイゾーは肩を竦めた。
「おれも専門的なことはわからないが、一応の説明は聞いたよ。今後深宇宙を探査するには、生身の人間じゃ無理だ。かといって、人工知能(AI)では想定外の事態に対処できない。そこで、両方のいいとこ採りで、人工実存(AE)というのを創るそうだ。そのためには、人間の脳を丸ごと走査しないといけないらしい」
ナターシャは溜め息を吐いた。
「あなたが決めたことなら仕方ないけれど、わたしは今のままでも充分幸せよ。それに噂だけれど、宇宙開発公社って、黒幕は宇宙軍だって云うじゃない? あなたの身体が軍事転用されたら嫌だわ」
「それは心配ないよ。ただ、機械の方は順次更新されるらしいから、ひょっとしたら、おれの分身は何百年も活躍するかもしれない。宇宙飛行士になるのは子供の頃からの夢だったから、或る意味それが叶うんだぜ。また、おれの分身が活躍している間は、おれの子孫にずっと恩給が支払われるそうだ。悪くない話だろう?」
ナターシャは首を振った。
「わたしはあなたに長生きしてもらう方がずっと嬉しいわ、アイゾー」
「ありがとう、ナターシャ」
二人が抱き合ったところで、またジェルマの意識が遠のいた。
ふと気づくと、またあの地下の部屋にいた。
が、かなりの年数が経ったのか、調度品などが古びている。
更に、目の前に座っているアイゾーという男も、頭にチラホラと白髪が目立つようになっていた。
表情も陰鬱で、時々不安げに上を睨んでいる。
と、鉄の扉が開き、ナターシャが入って来た。
ナターシャも老けてはいたが、その凛とした美貌はまだ保たれている。
が、表情は険しかった。
「叛乱軍はもうそこまで来ているそうよ。またこの地下室を使うことになるとは思わなかったけど、ここなら安心だわ。あなたとの思い出の場所だし」
「そうだったな。あの時おれを助けてくれた子供も、今じゃもう立派な大人になってるだろう」
「そうね。まだホンの幼児なのに、確りしていたわね。あの後、急にいなくなったけど、きっとどこかで生きていると思うわ」
ジェルマは、ここに居ると言おうとして、漸く自分に肉体がないことに気づいた。
何故か視線だけの存在になっているようだ。
アイゾーは、ナターシャの言葉で何かを思い出したらしく、吐息混じりに呟いた。
「シンゴが生きていれば、あの子といい友達になれたろうに。ああ、すまん」
ナターシャの限りなく灰色に近い薄いブルーの瞳が潤んだ。
「仕方ないわ。あの子は自分の信じた道を進んで事故に遭ったのだから。宇宙飛行士になるのは、あなたの夢でもあったのでしょう?」
「ああ。だから、おれの生命保険と恩給は、全額宇宙開発公社に寄付することにしたよ。きみにはすまないと思うが」
「いいのよ、わたしのことは。それより、この内戦を何とか生き延びないと」
その時、耳を劈くような爆発音と共に、鉄の扉が吹っ飛んだ。
濛々と立ち込める煙の中、上の方からダダダッ、ダダダッと連続音が響き、「抵抗しても無駄だ! 上がって来い!」という怒号が聞こえた。
煙が少し晴れると、椅子に座ったままのアイゾーが呻いていた。
身体のあちらこちらから出血している。
ナターシャの悲鳴のような声が上がった。
「ああ、なんてこと!」
「きみだけでも、逃げてくれ」
「いいえ。あなたを護るわ、アイゾー」
「いけない。おれのことは放っておいて、逃げるんだ。奥に非常用の脱出口があるんだろう?」
しかし、ナターシャは大きな黒い金属の道具を持つと、薄く微笑んだ。
「あなたと暮らした日々は本当に幸せだった。愛しているわ、アイゾー」
ナターシャはアイゾーの頬に口づけすると、階段を駆け上がって行った。
「よせ。やめるんだ、ナターシャ……」
階段室からダダダッ、ダダダッと連続音の応酬が聞こえて来る。
「ううっ、ナターシャ、逃げてくれ」
アイゾーは不自由な身体で立ち上がろうとしたが、階段の方から再び激しい爆発音が響いた。
「ナターシャアアアッ!」
アイゾーの悲痛な叫びの中、入口が土砂で埋まり、部屋の明かりも消えて暗黒となった。




