1402 ハルマゲドン(58)
ジェルマ少年の身体で目醒めた相手がタロスであることはツイムにもすぐにわかり、「とにかく落ち着いて話してくれ」と宥めた。
「これが落ち着いていられるか! ああ、すまん。おぬしに怒っているのではない。愚かにも、易々と魔女ドーラに騙された己に腹を立てているんだ。ところで、おぬしが居るということは、ここは沿海諸国なのか?」
「ああ。ダフィネ伯爵国の沖合を航行中の監視船だ。こっちもドーラに騙され、その子を通じて『識閾下の回廊』に入り込まれたのさ」
ツイムの言葉で、タロスは改めて自分の手を見た。
「うーむ、子供か。これでは戦えぬな。まあ、それは後で考えよう。ともかく、情報を共有せねば始まらん。まず、わたしから話そう」
お互いに事情を説明し合うと、事態の深刻さに二人とも黙り込んでしまった。
と、部屋の外から「ちょっといいですかい?」とスルージの声がした。
気を取り直したツイムが「いいぞ、入ってくれ」と声を掛けると、スルージだけでなく、酒に酔ったのか顔を赤くした老人が、フラフラと一緒に入って来た。
ツイムが首を傾げて「誰だ、その爺さん?」と聞いた直後、「まさか!」と驚きの声を上げた。
スルージが苦笑して肩を竦めた。
「へえ。そのまさかでやんす。アルゴドラスさまでさあ。豪勢な料理を鱈腹喰って、上機嫌で葡萄酒をガブガブ飲んでたんでやんすが、だんだん身体が萎んで来て、顔も皺だらけになっちまってさ。まあ、それだけなら良かったんですが、だいぶ悪酔いしてるみてえで、あっしも持て余しちまってね。こりゃ、ツイムの旦那に相談した方がいいのかなと」
アルゴドラスは「余は酔ってなどおらん」と反論したが、その呂律が回っておらず、足元もフラついている。
ツイムは呆れた顔で「ともかく早く寝かせた方がいいな」と呟き、ジェルマの身体にいるタロスに頼んだ。
「その寝台を使わしてくれねえか?」
「おお、心得た」
三人で協力し、酔ったアルゴドラスをベッドに寝かしつけた。
途端に轟々と鼾をかき始めたアルゴドラスを見て、ツイムが鼻を鳴らした。
「なんてザマだ。これがかつて中原の支配者だった聖王アルゴドラスの成れの果てかよ」
ジェルマの姿のタロスも吐息した。
「仕方あるまい。これが本来のお姿なのだ。ドーラが抜けて理気力が低下し、若返りの魔道の効果が切れたのだろう。擬闘士のような体格の偉丈夫が飲み食いする量には、このお身体では耐えられぬはずだよ」
その言葉で、スルージも漸く相手の瞳の色がコバルトブルーに変わっていることに気づいた。
「もしかして、タロスの旦那ですかい?」
「ああ、そうだ。ちょうど良かった。わたしを連れて跳躍してくれぬか? ドーラからバロード軍を取り戻さねばならんのだ」
スルージが返事をする前にツイムが止めた。
「そりゃ駄目だ。子供を戦場には行かせられねえ。行くんなら、おれの方さ」
その子供であるジェルマ本人は、何処とも知れぬ戦場にいた。
最早、夢を見ながら『識閾下の回廊』にいるという自覚はなく、目の前で起きていることを現実として受け入れている。
逃げ込んだ地下室で激しい爆発音に怯えていたが、いつの間にかそれが聞こえなくなっていた。
「なんだか、急に静かになったね」
ジェルマがそう言うと、ナターシャと名乗った女も頷いた。
「空襲が終わったようね。ちょっと地上の様子を見て来るわ」
「じゃ、おいらも」
「駄目よ、ここに居てちょうだい」
ジェルマは頬を膨らませた。
「子供扱いすんなよ。おいら本当は三十二歳なんだぜ」
ナターシャは一瞬、どうしようかと迷ったが、すぐに微笑んだ。
「いいわ。三十二歳じゃないにしても、あなたは見た目より確りしていそうだし。でも、決してわたしから離れないでね」
「わかってらい。いざとなったら、おいらがあんたを護ってやんなきゃならねえからな」
ナターシャは吹き出し、「その時はお願いするわね」と応えると、鉄板で出来た扉に付いている船の総舵輪のようなものをグルグルと廻し始めた。
扉が開くのと同時に、階段の天井の硝子玉がパーッと光り出す。
耳をすまし、再度物音がしないことを確認すると、ナターシャは振り向いて「行くわよ」と告げ、急な階段を一気に駆け上がった。
ジェルマは弱味を見せまいと同じ速さでついて行ったが、地上に到着した時には、喋ることもできないほど息が上がっていた。
ナターシャは慎重に四角い穴から頭だけ出し、周囲を窺っている。
「大丈夫みたい。落下傘部隊が降りて来る前に入口を塞がなきゃ。手伝ってくれる?」
ジェルマは息が切れていることを悟られぬよう、黙って頷いた。
二人は手分けして使えそうな瓦礫を探した。
周辺には瓦礫だけでなく、死体もゴロゴロ転がっているのだが、ジェルマはなるべくそちらを見ないように歩いていた。
と、いきなり誰かに足首を掴まれたのである。
悲鳴を噛み殺して振り向くと、死体だと思って通り過ぎた男だった。
「は、放せ、腐死者め!」
が、俯せになっていた男は勿論ンザビなどではなく、顔を上げて助けを求めた。
「……頼む。誰か、大人を、呼んで、くれ……」
その男の瞳の色は、珍しいアクアマリンであった。




