1399 ハルマゲドン(55)
バロード連合王国の王都バロン。
その双王宮では、一人残された秘書官ラミアンが、溜まっている行政文書の処理に忙殺されていた。
「ああ、もう! とてもぼく一人じゃ無理だよ! 大体さあ、こんなでっかい国に文官が少な過ぎるんだよな。中核的な仕事は殆どクジュケ小父さんが一人でやってるから、あの人がいないとこの有り様だよ。おまけに同僚のシャンロウは、クジュケ小父さんに呼ばれてちゃっかりエオスに行っちゃうしさ。ったく、やってらんないよ!」
「それをやるのがあなたの仕事でしょう?」
誰もいないと思って言いたい放題に愚痴を溢しまくっていたラミアンは、ギクッと首を竦めて振り返った。
魔道師のマントを羽織ったクジュケが、渋い顔で浮身していた。
ラミアンはパッと席を立ち、深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、統領閣下!」
「小父さんで結構ですよ」
「あ、いえ、そんな訳には」
クジュケはそれ以上小言を云う元気もないようで、溜め息交じりに告げた。
「幸い、国王誘拐の噂は広まっていないようでしたから、それだけは褒めておきましょう。一応、両陛下ともご無事ですよ」
「ああ、良かったあ。え? 両陛下?」
「説明は後でゆっくりシャンロウからお聞きなさい。それより、わたくしが急いで戻って来たのは別件です。タロス大臣は今、どこに居るのですか?」
ラミアンが唖然としているため、クジュケは悪い予感がして、重ねて尋ねた。
「どうしたのです? 何故答えないのです?」
ラミアンは半笑いの表情になった。
「だって、ガルマニアで内戦が起きたから、援軍を率いてすぐに出発するようにって、小父、あ、いえ、クジュケ閣下から連絡があったって」
クジュケの顔色が変わった。
「いつですか!」
ラミアンは相手が何を怒っているのかわからず、困惑しながら答えた。
「ええと、朝一番にそう言ってましたから、もう出発してると思いますよ」
クジュケは唇を噛んだ。
「まさか、シャンロウが気を利かせて先に知らせたのでは。いいえ、そんなはずはないでしょう。ラミアンならともかく、シャンロウが先走ることなど……」
「どうしたんです? ガルマニア内戦の話は、別の経路でも伝わって来ましたから、間違いないと」
「ええい、お黙りなさい! 今考えてるんです! ああ、すみません。わたくしが落ち着かねば。タロスどのは、どれくらい兵を連れて行くと言っていましたか?」
「うーん、確か四万五千と」
「四万五千! どうしてそんなに!」
激昂するクジュケに詰め寄られ、ラミアンは目を白黒させた。
「ぼくに聞かないでくださいよ。現在動かせる全兵力のうち、エオス大公国の支援に二万五千出しているから、残り全部を連れて行く、と仰ってましたけど」
「それじゃ最低限の国防のための軍も全部じゃないですか。タロスともあろう熟練の軍人が、なんでそんな馬鹿なことを……」
動揺のあまり浮身を続けられずに降りて来たクジュケは両膝を床に着いたが、ハッと宙を睨んだ。
「ま、まさか、そのようなことが。ああ、しかし、他に考えられぬ。『識閾下の回廊』が繋がっている以上、出口はあちらにもあるのですからね。いかん! こうしてはいられない!」
ラミアンに何も説明せぬまま、クジュケはその場から跳躍した。
一方、バロード国内に残っていた全軍を搔き集めたタロスは、その先頭を愛馬で爆走していた。
兜の面頬を下げているため外から見えないが、その瞳の色が変わっていた。
右目は生来のコバルトブルーのままだが、左目は限りなく灰色に近い薄いブルーであった。
馬を走らせながらタロスは左を向き、「こんなに全軍率いて来て大丈夫だろうか、クジュケどの?」と訊いた。
すると、今度は右を向き、クジュケらしい作り声で自分で答えた。
「勿論ですよ、タロスどの。スカンポ河周辺の危機は去り、今はガルマニア内戦を終結させるのが急務との、両陛下のご判断です。そのためには、一万や二万の軍勢ではとても足りませんからね。一刻も早くガルマニアに到着せねば、全土が白魔のものになってしまいますよ」
また左を向いた。
「そうだな。ドゥルブの傀儡になっているという大統領ヤーマンを倒さねば、大変なことになる」
右を向いた。
「そうですとも。間違えてはいけません。ヤーマンこそ倒すべき相手なのですよ。敵は誰にでも憑依できるし、誰にでも変身できるのです。もしかして、わたくしと同じ姿の者が近づいて来ても、それはドゥルブの代理人ですから、決して騙されてはいけませんよ。本物は常にあなたの傍にいますからね」
そう告げる口が、皮肉な笑みに歪んだ。
と、その頭上から「お待ちなさい、タロス大臣!」という大きな声が降って来た。
タロスが見上げると、魔道師姿のクジュケが急降下して来ている。
「おお、おぬしの言うとおり、早速贋者が来たぞ。どうしよう?」
その問いにもタロス自身が答えた。
「あれは雑魚ぞえ。射殺しておやり」
口調が変わったことにも最早気づかぬようで、タロスは右手を挙げて射手に命じた。
「あれなるは、クジュケ閣下に成りすましているドゥルブの一味だ! 一斉に騎射せよ! 情け容赦は、一切無用だ! 針鼠にしてしまえ!」




