1398 ハルマゲドン(54)
エオスの大公宮では、ガルマニア合州国内戦勃発の第一報をニノフが伝えていた。
詳細はまだ不明だが、コロクス・ドーラ同盟軍は六万、一方ヤーマン直属軍は三万、如何にパシーバ州が山間地で大軍を展開し難いとはいえ、この兵力差は大きい。
しかも、事前にその気配がありありであったロッシュの乱と違い、今回ばかりは智慧者のヤーマンも油断していたようだ。
考えてみれば、パシーバ族の諜報組織である『杜の番』はコロクスの配下だから、情報統制をしていたのだろう。
更に驚くべきことは、急先鋒として攻めているのは主にドーラ軍で、まるで何かに取り憑かれたかのような捨て身の攻撃をしているという。
そのドーラ軍の先頭に立って全軍を鼓舞しているのが、おば、いや、魔女ドーラ本人だ。
自ら騎乗し、槍を振るって戦っているそうだ。
うむ。
おれも気になって、ハリスどのの動きは聞いたよ、クジュケ。
ハリスどのの領地はロッシュの乱の後分割され、旧リンドル領は名目上息子ハンゼのものとなったが、まあ、実質的な変更はない。
旧マオール軍二万に、新規に召し抱えた傭兵が一万、合計三万の総兵力だが、南のマオロン近辺の治安が悪く、全軍を動かすのはとても無理だ。
しかも、ハリスどののガーコ州からヤーマンのパシーバ州へ援軍を出すには、他の自治州を横断しなければならない。
ドーラのバローニャ州やコロクスのコロネ州は論外だから、ゲーリッヒのガルム州ということになる。
ところがゲーリッヒは、内戦勃発早々に不介入を宣言した。
まあ、合州国建国当初は冷遇され、僅か数千名の兵力しか保有を許されず、ロッシュの乱の後多少待遇が改善されたとはいえ、未だに一万弱の兵力しかなく、巻き込まれれば一溜まりもない、というのが表向きの理由だ。
本心では、いい気味だと思っていることだろう。
ハリスどのもそれがわかっているから、迂闊にガルム州に入れない。
つまり、このままでは、ヤーマンの敗北は時間の問題だと思う。
聞き終えたウルスとウルスラは同時に似たような感想を漏らした。
「ハンゼが困ってるんじゃないかな」
「ヤンさんは大丈夫かしら?」
同世代の仲間として、ハンゼやヤーマンの娘ヤンへの同情が先に立つ二人をチラリと横目に見て、クジュケは冷静な判断を下した。
「前線で戦っているというドーラさまは偽物でしょう。ご本人は『識閾下の回廊』から出ていないはずですし、肉体は今アルゴドラスさまとしてツイム大臣の監視下にありますから」
ギータが皺深い顔をツルリと撫で、呻くように呟いた。
「ならば、ドーラに成りすましておるのは、恐らく白魔じゃろうな」
ウルスラがキッと顔を上げた。
「援軍を送りましょう! このままでは、ガルマニア全土がドゥルブのものになってしまうわ!」
クジュケが渋い顔で「しかし」と言いかけた時、また入口の方で、シャンロウの「今ニノフさんがご報告中だあよ。後にしてけろ」と制止する声と、それに圧し被せるように「冗談じゃねえ、暢気に会議なんかしてる場合かよ!」と叫ぶロックの声が聞こえた。
入口近くにいたニノフが扉を開け、「どうした?」と訊くより早く、血相を変えたロックが飛び込んで来た。
「監視船から報告があったぜ! 対岸で腐死者が動き出した! 火矢を打って近づけねえように応戦してるが、数が半端ねえ! 早く何とかしねえと、みんなやられるぞ!」
ガルマニア内戦の情報を齎したニノフも、顔色が変わった。
「わかった。今はともかく、ンザビを一体も渡河させないことが先決だ。全軍に特別火箭を手配し、同時に陛下が造ってくださった薬を配布する。取り敢えず、おれも現場に急行する。ロック、案内してくれ!」
「おお!」
慌ただしくニノフとロックが出て行くと、ウルスラがウルスに「あなたも行ってちょうだい」と頼んだ。
「え、ぼくも?」
「そうよ。ゾイアの身体にいるのは、今はあなただから。お得意の冷気をンザビにお見舞いしてやって。ああ、けれど、深入りは駄目よ。きっと罠が仕掛けてあるわ」
ウルスは生唾を飲んで「う、うん」と頷いたが、その喉の辺りから抑揚の無い声が応えた。
「……心配ない。非位相者の電磁障壁の特徴は把握した。接近し過ぎなければ、危険はない……」
ウルス自身も「任せて!」と告げると、部屋を飛び出して行った。
それを心配そうに見送って、ウルスラは改めてクジュケに尋ねた。
「とてもガルマニアに援軍を送るような余裕はなさそうね。どうしましょう?」
クジュケは少し考えたが、何か言いたそうなギータの顔を見て、「宜しければ、意見をお聞かせください」と珍しく弱音を吐いた。
「うむ。わしの見るところ、この両方の事態は決して無関係ではあるまい。あまりにも時期が一致し過ぎておる。それを繋ぐ線は勿論ドゥルブじゃ。わしらがンザビ対策だけに力を注げばガルマニア全土を征服し、ガルマニアへ援軍を送ればンザビを渡河させるじゃろう。つまり、わしらは両面策戦を取らざるを得んのじゃ」
クジュケも覚悟が定まったらしく、ウルスラに向き直った。
「現状でスカンポ河西岸にいる軍勢でンザビを喰い止めている間に、王都バロンに残っているタロス大臣に軍勢を率いてガルマニアへ行ってもらいましょう。但し、とても間に合わないでしょうから、これは陽動のための威嚇です。そうですね、一万もいれば充分でしょう。できるだけ派手に、後続もあるぞ、と見せかけて」
「え? じゃあ、本軍は?」
クジュケは大きく溜め息を吐いた。
「あのお方に頼むしかありません。わたくしは苦手ですが、そうも言っておれませんから」
「ああ、ヨルム猊下ね。そうね、プシュケー教団に軍を出してもらうしかないわね。わたしが行きましょうか?」
これはギータが止めた。
「いや。ウルスラはここにおった方がよい。出口を求めて彷徨うドーラがゾイアの身体に辿り着かぬよう、できれば見張っていてくれ」
ウルスラは困惑の表情になった。
「そんなことできるかしら?」
「できずとも、努力してみてくれ」
「そうね。やるしかないわね」
ウルスラの決意が固まったところで、クジュケは跳躍の態勢に入った。
「一先ずバロンへ行き、タロスどのとラミアンに指示を与え、その足で聖地シンガリアへ飛びます。では!」
クジュケには、そのタロスに異変が起きていることなど、知る由もなかったのである。




