1396 ハルマゲドン(52)
ジェルマ少年は悪夢の中にいた。
眠りが深くなったためか、『識閾下の回廊』に居るという自覚を失くしているようだ。
「こ、ここはいってえ、どこなんだ?」
ジェルマは本能的に、ここが中原とは異なる世界だと感じていた。
周囲は瓦礫だらけで、いがらっぽい臭いが立ち込めている。
と、再び空から轟々と腹に響く音が聞こえ、真上からヒューッという甲高い別の音がしたかと思うと、凄まじい破裂音と共に、横殴りの強い風が吹き付けて来た。
「やべっ!」
ここに居ては危険だと咄嗟に判断し、ジェルマは走り始めた。
が、まだブスブスと燻っている焼死体が何体も転がっており、とても前に進めない。
足元がフラついたところに、ダダダッ、ダダダッという連続音がし、後ろの斜め上から、何か小さくて速いものがヒュンヒュンと音を立てて迫って来た。
「だ、駄目だ、このまんまじゃ殺られちまう。誰か、誰か救けてくれ!」
救いを求めたところでこのような異世界に知り合いがいるはずもなく、ジェルマが絶望しかけた時、「こっちよ!」という女の声がした。
一瞬、魔女ドーラではないか、との疑念が頭を掠めたが、選択の余地はなかった。
声のした方にある家屋の焼け跡の床に四角い穴が開いており、下へ続く階段のようなものが見えた。
ジェルマは躊躇わず、そこへ飛び込んだ。
「下へ降りるのよ!」
先を進んでいるらしい女の声に促され、階段を駆け降りた。
階段の天井には所々小さな丸い硝子玉が吊り下げてあり、ランプのように光って下を照らしている。
階段は途中何度か折れ曲がり、かなりの深さのところで部屋のような場所に着いた。
先程の硝子玉と違う、棒状の光るものが天井にあり、昼間のような明るさで室内を照らしている。
そこに若い女が立っていた。
銀に近い金髪を男のように短く刈り、動き易そうな服を来ているが、その身体つきは女のものである。
いや、何よりもそのキリリと整った顔立ちは、絶世の美女と云ってよいだろう。
そして、その瞳の色は、魔女ドーラと同じ限りなく灰色に近い薄いブルーであった。
が、同じ美女といっても、ドーラのような艶っぽさはなく、商人の都サイカのライナのような凛とした容貌である。
その声も、キビキビとしていた。
「坊や、扉を閉めるから、もっと奥へ入ってちょうだい」
「あ、ああ」
ジェルマが移動すると、女は鉄板で出来た扉を閉め、船の総舵輪のようなものをグルグルと廻した。
「ここを閉めると自動的に階段の照明が切れるの。空襲が終わったら、もう一度地上に行って入口を隠蔽しなきゃ。でも、今は無理ね」
まだ茫然としているジェルマに、女は「言葉、わかる?」と聞いた。
一応安全になったことと、瞳の色は同じでも、相手がドーラではないらしいと確信し、ジェルマは少し笑顔になった。
「知らねえ言葉もあるけど、大体はわかるよ。ってか、あんたは誰だい?」
女も微笑んで答えた。
「わたしはナターシャよ」
一方、アルゴドラスと話すうちにドーラの真の狙いに気づいたクジュケは、一気にリープしてエオスの大公宮に戻って来た。
現在ゾイアの身体を預かっている姉ウルスラと、本来の自分の肉体に戻った弟ウルスは、ギータやシャンロウと共に、大公宮の奥に設置された特別室に居るという。
ニノフが首席工兵ヨゼフに命じて壁材に鉛の薄板を挟み込ませた部屋であり、クジュケも一度案内されたことがある。
入口には見張り役としてシャンロウが立っており、「両陛下とギータさんは中にいるだあよ」と言いながら扉を開けてくれた。
狭い室内には小さな丸テーブルがあり、正面にウルスとウルスラが、左側に子供用の高椅子に座ったギータがいた。
長距離の往復リープで、さすがに消耗した様子のクジュケだったが、ウルス・ウルスラの変わらぬ様子にホッとした顔になった。
「早速沿海諸国での首尾をご報告させていただきますが、ゲルヌ殿下は帰国されたのですか?」
その問いには、代表してギータが答えた。
「うむ。一旦エイサに戻り、カールの弔いをするそうじゃ。遺体はないが、それもまたカールらしいと言うておった」
「そうですか」
主君に仕える魔道師という同じ立場の人間として、クジュケもその場で瞑目し、合掌した。
目を開いた時には有能な官僚の顔に戻り、三人がいる丸テーブルに自分も座って、ツイムの監視船での出来事を簡潔に説明した。
聞き終わったウルスラは、祖母と同じ限りなく灰色に近い薄いブルーの瞳を、悲しげに伏せた。
「すると、お祖母さまは、聖剣と共にこのゾイアの身体も奪おうとしているのね」
「恐らくは」
クジュケが更に意見を述べようとした時、入口の方で、シャンロウの「今クジュケさんがご報告中だあよ。後にしてけろ」と制止する声と、それに圧し被せるような強い口調で「緊急事態なのだ!」と告げるニノフの声が聞こえた。
クジュケはすぐ席を立ち、扉を開くなり、「何があったのですか、ニノフ殿下?」と尋ねた。
普段冷静なニノフが珍しく興奮した声で答えた。
「ガルマニア合州国で内戦が勃発したそうだ!」
「え? 内戦? 誰と誰の軍ですか?」
突然のことに度を失うクジュケを見て、ニノフは逆に落ち着きを取り戻した。
「一方的に攻め込まれているのは大統領ヤーマンの軍だが、攻撃しているのは腹心の部下であったコロクスという男と、お祖母さまの軍だ。しかも、お祖母さま、いや、魔女ドーラは、前線に立って自ら軍を指揮しているらしい」




