1394 ハルマゲドン(50)
船室でジェルマに添い寝する全裸の魔女ドーラが、苦しげに呻きながら寝返りを打った。
と、その肉体に異変が起きた。
ふくよかな曲線を描く裸身に、ゴリッ、ゴリッと筋肉がうねり、腹筋が割れて行く。
豊かに膨らんだ胸が急速に萎んで平板になり、逆に胸板が厚くなる。
長く艶やかな銀髪の毛が抜け落ち、地肌が透けて見え始める。
美しく華奢な顎の線がゴツくなり、エラが張り出して来る。
ゾワゾワと金色の体毛が伸び、腕や脛や胸板を覆って行く。
すっかり筋骨隆々たる偉丈夫に変わったところで、パチリと目が開いた。
その瞳の色は、鮮やかなコバルトブルーであった。
「アルゴドーラめ、勝手な真似をしおって」
苦笑混じりに呟くその声は、完全に兄アルゴドラスのものであった。
アルゴドラスは半身を起こし、隣でスヤスヤと眠り続けるジェルマを見た。
「ふむ。こっちはまだか。が、アルゴドーラが余の肉体から去った以上、結界の効果もすぐに切れよう。どうしたものかな」
結界とは、その周辺にいる人間に心理的な影響を及ぼし、近づいたり聞き耳を立てたりする気持ちを失くさせることによって、その内側を防御する技である。
が、それを維持するためには、術者が時々理気力を補充し続けねばならない。
その施術をしたドーラがいなくなり、殆ど魔道を使えないアルゴドラスだけが残された以上、効果が消えるのは時間の問題であった。
アルゴドラスが懸念したとおり、間もなく船室の扉が叩かれた。
「ジェルマ、起きてるか? クジュケたちが戻って来た。おめえの親父さんも無事に救出したそうだ。……ん? どうした、具合でも悪いのか?」
返事がないことを不審に思い、「開けるぜ」と言いながら扉を開いたツイムは、ウッと息を呑んだ。
備え付けの寝台に横たわるジェルマの手前に、擬闘士と見紛うような体格の初老の男が全裸で座っていたのだから、驚くのも無理はない。
「あ、あんたは……」
「ご苦労。おまえは確か、海賊上がりのツイムであったな」
まるで自分の上司のように振る舞うアルゴドラスに、ツイムの動揺が一瞬にして怒りに変わった。
「てめえ、ジェルマに何しやがった!」
アルゴドラスは苦笑した。
「別に何もしておらぬ。小僧はぐっすり眠っておるだけだ」
「じゃあ、どうしてここにおまえがいる? あの窓から入って来たとでも言うのか?」
ツイムは人間の顔がやっと入るほどの丸い船窓を指差したが、無論、そんなことはないだろうという皮肉のつもりであった。
が、アルゴドラスは「そうだ」とあっさり認めた。
「まあ、入る時にはアルゴドーラがコウモリに変身していたから造作もなかったが、今の余には、ちと無理だな」
アルゴドーラと聞いて、ツイムはハッとした顔になった。
「そうか。では、長命族を狙っていたのは、やはりあの魔女だったのだな。いやいや、ということは即ち、おまえが犯人じゃねえか。神妙にしやがれ!」
アルゴドラスは鼻で笑った。
「無礼なやつだな。おまえもバロード王国の禄を食む家臣であろう。聖王家の長たる余には、もそっと口を慎め」
「ざけんな!」
更に激越な言葉を投げつけようと大きく息を吸ったツイムの背後から、「お待ちなさい」という統領クジュケの感情を抑えた声がした。
気勢を削がれ、黙り込んだツイムの横をすり抜けるようにして、クジュケと魔道屋スルージが入って来た。
アルゴドラスの裸体を直視せぬよう気遣いながら、クジュケは小声でスルージに「何かお召しものを持って来てくれませんか?」と頼んだ。
それが聞こえたらしく、アルゴドラスは「無用だ」と告げた。
「古来より、貴人は裸を恥じぬと云われておる。まあ、おまえたちが気になるなら、予備の敷布でも巻いておこう。暫し待て」
アルゴドラスは手近にあったシーツを、長衣のように羽織った。
その間に、気を利かせたスルージがクジュケとツイムのために椅子を二脚持って来て、アルゴドラスが腰掛けているベッドに向かい合うように置き、自分は見張り役のように入口近くに立った。
準備が整ったところで、クジュケが努めて穏やかな声でアルゴドラスに話しかけた。
「お話を始める前に確認させてください。ジェルマ少年は無事でしょうね?」
アルゴドラスは、筋肉が盛り上がった肩を竦めた。
「気になるなら、自分の目で見るがよい。寝ているだけだ」
「では、失礼して」
半身になって避けるアルゴドラスの横から覗き込んだクジュケは、首を傾げた。
「確かに眠っていますね。しかし、これだけ周りが騒がしいのに目醒めぬとは。ん? この仄かな香りは……魔香じゃありませんか!」
アルゴドラスは鼻を鳴らした。
「ああ。アルゴドーラが極微量を使った。が、それはこの小僧に大人しく寝てもらうためで、他意はない」
クジュケは目を細め、改めてアルゴドラスを見た。
「ふむ。成程。どうもあなたさまの言い方が他人事のようでおかしいと思っていましたが、ドーラさまの気配がございませんね。どうされたのですか?」
アルゴドラスは自嘲するように笑った。
「余は、妹に見限られたのだ」




