1393 ハルマゲドン(49)
ジェルマ少年と共に『識閾下の回廊』に侵入した魔女ドーラは、擬似人格のサンサルスによってジェルマから引き離され、別の回廊へと移動させられた。
海没前のダフィニア島のような場所で待っていたのは、死んだはずのサンジェルマヌス伯爵であった。
が、サンサルスの例もあってドーラももう驚かず、寧ろ皮肉な笑みすら浮かべて礼を述べた。
「これはこれは、態々のお出迎えご苦労に存知まする。サンサルスといい、おぬしといい、余程この世に未練がおありのようじゃな」
サンジェルマヌスは溜め息を吐いたが、その意味はドーラの想像したものとは違っていた。
「相変わらず美しいのう、アルゴドーラ。千八百年前に死んだと聞いた時には胸が潰れるような思いをしたが、生きておったとはなあ」
薄っすらと目を潤ませているサンジェルマヌスの年老いた顔を不審げに見つめていたドーラは、「千八百年前?」と首を傾げた。
「計算が合わんのう。ふむ。しかも、死ぬ前よりも老けて見えるぞえ」
サンジェルマヌスは苦笑した。
「この擬似人格を遺した後、わしの本体は消魔草を飲んだようじゃな。世捨て人のような暮らしに魔道は要らぬし、肝心の時にヨボヨボでは、この世界を救う役には立てぬからのう」
因みに、魔道の力を封じるために飲ませる消魔草の煎じ汁は、副作用として若返りの効果がある。
相手が二百年前のサンジェルマヌスの擬似人格とわかり、ドーラは鼻を鳴らした。
「そういうことか。ならば、その後のおぬしが如何にわたしの邪魔をしたかも知らんのじゃな。能天気に褒めてもらわずとも、自分の美貌ぐらいわかっておるわさ。さあ、おぬしに用はないのじゃ。あの生意気な小僧はどこにおる?」
「信じてはもらえぬじゃろうが、わしは知らぬ。聖剣を捜すため、別の回廊へ行くと言うておったがのう」
ドーラは嫌な目つきでサンジェルマヌスを睨んだ。
「手懸かりぐらいあろう?」
サンジェルマヌスはまた溜め息を吐いたが、今度こそ落胆によるもののようであった。
「あったとしても、教えられぬ。現代のジェルマから、色々とおまえたち兄妹の悪行を聞いたでな」
「ふん! わたしも兄も、この乱世を一刻も早う終わらせるために奔走しておるのじゃ! 世捨て人? ふざけるな! おぬしが昼寝しておる間にも、戦争は続いておったのじゃぞ!」
サンジェルマヌスは悲しげに項垂れた。
「返す言葉もない。わしは無力であった。ケルビムのおっさんが到来するのを待たねばならぬことを言い訳に、怠惰な毎日を送ったであろうと責められても仕方あるまい。が、わしなりに努力はしたのじゃ」
ドーラは口を歪めた。
「サンサルスのプシュケー教団かえ? 間に合わんわい! そんな迂遠な方法を採らず、サッサとわたしの手に聖剣を渡せばよかったのじゃ。さすれば千年の戦乱は立ちどころに終息し、恒久平和が訪れたものを」
サンジェルマヌスはゆっくり首を振った。
「自由のない、墓場のような平和が何になろう? それに、白魔はどうする?」
「決まっておろう、隙を見て中和するわさ。それで五百年は静かにしておるじゃろうて。言霊縛りとて、絶対ではあるまいからのう。おっと、こちらの話であったな。まあ、わたしが死んだ後のことを考え、寿命が尽きる前に魔道神が聖剣を使えるようにしておこうかの。子孫たちより、まだしも信用できるぞえ」
「バルルか。成程のう。その手が……いやいや。それは無理であろうな。使い手を限定するには、肉体が必要になる。ケルビムのおっさんのような身体であったとしてもだ。バルルやドゥルブは、肉体を持たぬ。謂わば、今のわしのようなものだ。ふむ。そう考えると、ケルビムのおっさんの身体も、元は人間と同じものなのじゃろうか?」
考え込むサンジェルマヌスに、ドーラは苛立った声で告げた。
「そのような繰り言に付き合う暇はないのじゃ。協力する気がないなら、もうよい。自分で捜すぞえ。さあ、そこをどきゃれ!」
押し退けて行こうとするドーラの腕を、サンジェルマヌスが掴んだ。
「もう諦めよ。聞けば、孫は理想的な為政者らしいではないか。任せてはどうじゃ? おお、そうじゃ。アルゴドラスとて、かつては聖王と称えられた男。あやつならわかってくれるのではないか?」
腕を掴まれたまま、ドーラは鼻で笑った。
「残念じゃのう。実は最近、兄と意見が喰い違うことが多くてな。今回も、『識閾下の回廊』に来たのはわたし一人ぞえ。兄は肉体の方に残っておる」
「ほう。おまえたちは同型の両性族と思うていたが」
「わたしもさ。こんなことなら、ゾイアの身体を乗っ取って独立したいくらいぞえ。ん?」
ドーラの顔に魔女の笑みが甦った。
「なんと迂闊な! 聖剣を発見したとして、どうやってこの回廊の外へ出ればよいのか悩んでおったが、出る必要などないぞえ。このまま回廊を進み、ゾイアの身体に入ればよいではないか! 孫娘を追い出してのう。さすれば、不死身の身体と無敵の聖剣の両方がわたしのものじゃ。おお、こうしてはおれぬ!」
そのまま自分の手を振り切って行こうとするドーラを、サンジェルマヌスは必死で止めた。
「待つんじゃ! 兄のアルゴドラスを棄てるつもりか!」
ドーラは嘲笑うように告げた。
「是非もないぞえ!」




