1390 ハルマゲドン(46)
ジェルマは果てしなく続く花畑を歩いていた。
「ったく、どうなってんだ、これ? サンサルスのおっさんは魔女ドーラに堂々巡りさせるって言ってたけど、おいらも同じじゃんか。歩くだけじゃ、どうにもなんねえや」
遂に立ち止まってしまったジェルマは、腕組みしてその場に座り込んだ。
「うーん。なんか方法があるはずなんだ。闇雲に動かないで考えなきゃな。おいらが最初にこの世界に入った時には、どうしたっけ? ああ、そうか。最初は、ドーラが化けた人魚に騙されて眠らされたんだ。そのまま暗示を掛けられ、知らぬ間に『識閾下の回廊』に入ってた。だから、あのギルマンに辿り着いたところまでは、ドーラの誘導だな。それに気づいたサンサルスのおっさんが救けてくれた。でも、どうやって?」
ジェルマはちょっと顔を顰めた。
「まさか、あのサンサルスもドーラが化けた偽者ってことねえよな。いや。おいらの直感じゃ、あれは本物だ。本物じゃないって可能性もなくはねえが、まあ、ここは本物として考えよう。そうしなきゃ、考えが先へ進めねえ。おいらを突き落としたドーラは、蛟の口が次の回廊への扉と知っているようには見えなかったしな。ん? そうか、扉か」
ジェルマは、座ったまま周囲を見回した。
「どっかに、次の回廊へ繋がる扉があるはずなんだが……」
試しに何もない空中を摘まんで見るとペロリと捲れ、灰色の空間が見えたため、慌てて元に戻した。
「ふう。危ねえ危ねえ。薄皮一枚の外は虚無だった。ったく、おかしな世界だぜ。だが、つまりは、外側じゃなく、内側へ進むしかねえ、ってことだよな。じゃあ、内側ってどこだ?」
腕組みを解き、少し地面を掘ってみた。
ごく普通の土で、特に変わったところはない。
「おいらが入れるほど深く掘るには、とても素手じゃむりだな。下は駄目か」
ジェルマは諦めてその場に寝転がり、空を見上げたが、抜けるような青空が広がるばかり。
「あの空を自由に飛べたら、気持ちいいだろうけどな。え? ええっ」
軽い眩暈のような感覚と共に、天地が逆転していた。
「うわっ!」
ジェルマは反射的に近くの花々を掴んだが、五歳児の体重とはいえとても支えきれず、根っこごとズボッと抜けた。
「あわわわーっ!」
底知れぬ青空に向かってジェルマは落ちて行った。
「んな、馬鹿なことが、あるかよーっ! 元に戻してくれーっ! うわお?」
落ちながら文句を言うジェルマの身体が、空中でクルリと反転した。
「わ、わわ、わわわっ!」
今度は間違いなく下へ向かって落ちているようであったが、足元に見えて来たのは先程の花畑ではなく、どこかの寂れた街のようであった。
「おっ、やったぜ! 次の回廊だ! にしても、この速度で落ちて、おいら大丈夫なのか?」
が、心配したようには加速せず、いや寧ろ、地面が近づくほど落下の速度は緩み、フワリと着地した。
「ふええ。変なの。けど、まあ、いいや。無事に次へ進めたみてえだし。ってか、ここはどこだ?」
放浪癖のあるジェルマは、生まれ育った沿海諸国だけでなく、中原各地を訪れたことがある。
「街の雰囲気から見て、どっかの国の外れの方か、緩衝地帯にある田舎町ってとこだな。まあ、直接聞いた方が早いか。おっ。あれは本屋みてえだな。あそこへ行ってみるか」
その店は、塔を模した尖った屋根の家であった。
全体に煉瓦造りであるが、随分煤けて黒ずんでいる。
入口の扉も、いつ掃除したのかわからぬほど木枠に埃が溜まっていた。
「もしかして留守かな」
扉をちょっと引いてみると、鍵はかかっていない。
意を決して、ジェルマが扉を開くと、耳を塞ぎたくなるような音で蝶番が軋んだ。
「うわっ、気持ち悪っ。こんなボロい家、人が住んでんのか?」
と、薄暗い店の奥から「どなたじゃな?」という、しゃがれた老人の声がした。
「あ、すまねえ。家が古いことを貶したんじゃねえんだ。ちょっと聞きたいことがあったんだが、別の家で聞くよ。じゃあな」
そのまま立ち去ろうとしたジェルマに、「まあ、待ちなさい」という声が聞こえた。
ギイッと椅子を鳴らして立ち上がる気配がし、コツ、コツという音がこちらに近づいて来た。
奥から現れたのは、枯れ枝のように痩せ細った老人であった。
脚が不自由らしく、杖を突いている。
高齢のため髪も眉も真っ白だが、瞳は焦げ茶色だから南方の出身のようだ。
「本が見たいんじゃろう。上がるがいい」
「でも」
断ろうとしたジェルマは、強烈な既視感に捉われた。
「あれ? 何だろう? こんなことが、前にもあったような。それに、この爺さんの顔、良く知ってるような気が……」
老人は気にする風もなく、穏やかに告げた。
「遠慮することはない。見てのとおり、閑古鳥が鳴いておる。久しぶりの客じゃで、冷やかしであろうが何であろうが、大歓迎じゃよ」
勧められるままジェルマが店内に入ると、老人はランプを灯してくれた。
見窄らしい店構えの割には、書架に並べられた本は充実していた。
魔道書の基本である『理気学入門』『識不識論』『波動形而上学』などを始め、あまり一般的とは言えない『呪詛力学』『大魔道師列伝』などまで置いてある。
「へえ。意外に凄えな」
ジェルマの興味津々な様子に、老人は「本だけではないぞ」と、さらに店の奥を案内した。
そこは、魔道に関する様々な物品で溢れていた。
魔道に使う小杖は言うに及ばず、マント、鞭、坩堝、薬草、隠し武器など、凡そ魔道師が必要とするものが揃っていた。
その中に、ジェルマが今まで見たことのない仮面のようなものがあった。
「これは何だい?」
ジェルマが尋ねると、老人は目を輝かせた。
「おお、それかね。よくぞ気がついたのう。それはダフィネの面といって、わしの母国であるダフィニアに昔から伝わるものじゃ。ちょっとだけなら、着けてみてもよいぞ」
「え? おいらもダフィネの出身だけど、そんなの聞いたことねえなあ」
ジェルマは迷ったが、仮面を着けるぐらいなら構わないだろうと、「じゃあ、ちょっとだけ」と手に取った。
そのまま、部屋の隅に置いてある姿見の前に行って、顔に当ててみた。
その途端、仮面はジェルマの顔に吸い寄せられたようにピタリと貼り付いたのである。
「げっ!」
(作者註)
ダフィネの面については、34 ダフィネの面 (まんまですね)をご参照ください。




