1385 ハルマゲドン(41)
ジェルマが船長室に行くと、クジュケと話しているらしいツイムの大きな声が響いていた。
「おれもそう思う。あの歯抜け爺さんは信用ならねえと、前々から思ってたんだ」
「トラヌス伯爵のこと?」
そう訊いたのはジェルマである。
振り返ったツイムは、苦笑して「すまねえ」と詫びた。
「あんなでも、おまえの親戚だったな」
「ふん。あんなやつ、親戚なんて思っちゃいないよ。父ちゃんに意地悪ばっかりしてさ」
まだ悪口が続きそうだと見て、クジュケが話を引き取った。
「あくまでも可能性がある、ということです。まだ、今回の連続誘拐事件の黒幕はわかっておりませんから」
事件と聞いて、ジェルマが不安げに尋ねた。
「父ちゃんも攫われたの?」
クジュケは気の毒そうに「ええ」と頷いた。
「東方魔道師数名がいきなり現れ、強引に連れ去ったそうです。わたくしも現場へ行ってみましたが、既に航跡は消えておりました。しかし、ご心配なく。こんなこともあろうかと、助っ人を呼んでおりますので」
と、船長室の大きな硝子窓が、外側からコンコンと叩かれた。
窓の向こうでモジャモジャの髪を潮風に靡かせながら笑っているのは、魔道屋スルージである。
ツイムが「おお、待ってたぜ」と窓を内側から開くと、スルージはスルリと中に入って来た。
「現場はもう見て来やした。間違いなく、東方魔道師たちの航跡はトラヌス伯爵の館へ続いてましたぜ」
「やっぱりな」
ツイムが納得するのを横目で見て、本来の依頼主であるクジュケは多少ムッとした顔で割り込んだ。
「で、他にわかったことは?」
「へえ。お察しのとおり、東方魔道師たちよりぶっとい航跡が一本ありやした。飛んで来た方角からみて、恐らくあの婆さんでやんしょう」
ツイムが怪訝そうな顔で「婆さん?」と言ったため、クジュケは一瞬説明しようか迷ったようだが、「詳しい話は後でいたします」と話題を変えた。
「ともかく、今は一刻も早く囚われている長命族の人々を救出しなければなりません。スルージさん、案内してくださいな」
「合点だ。直接館に行くと危ねえかもしれねえから、近くの安全そうな場所を見つけておきやした。座標は」
スルージは長い数字の羅列を教えた。
そのまま跳躍しそうな二人に、ジェルマが声を掛けた。
「父ちゃんのこと、頼んだよ」
防護殻に包まれながら、手を振る二人の姿が、フッと消えた。
思わず溜め息を吐くジェルマの肩に、ツイムが掌を置いた。
「心配すんな。クジュケは嫌味な野郎だが、魔道の腕は確かだ。それにスルージもついてる。きっとおまえの父ちゃんを無事に救け出してくれるさ」
「うん」
しょんぼりと部屋に戻って来たジェルマは、仄かな香りに気づいて「あ」と声を上げた。
「すまねえ、テレシア。おめえの着るものを持って来るのを忘れてたよ。ちょっと待っててくれ」
テレシアは姿を見せぬまま「後で良いですわ、ジェルマさま」と応えた。
「それより、元気がありませんね。何かあったのですか?」
相手の素性を全く疑っていないジェルマは、「実はさ……」と事のあらましを話した。
テレシアは依然として姿を見せず、声だけが聞こえた。
「まあ、それはご心配ですわね」
同情というより、企みがバレずにホッとしたような声音であったが、固よりジェルマには知る由もない。
逆に強がってみせた。
「いや、心配なんかしてねえよ。クジュケのおっさんたちが行ってくれたし、ああ見えて父ちゃんは潜時術も使えるから、いざとなりゃ、自力で逃げるさ」
「潜時術……」
相手の声が微妙に変わったことに、ジェルマは気づかない。
「時の隙間に潜る技さ。おいらもできるっちゃあできるけど、上手く行くかどうかは、やってみなくちゃわからねえんだ」
またテレシアの声に戻り、ジェルマを煽てた。
「ジェルマさまは凄いお方なのですね」
「まあな」
すっかり元気を取り戻したジェルマに、テレシアが提案した。
「せっかくですから、先程仰っていた香木を焚いてみてはどうでしょう? 一層気分が落ち着きますわよ」
「あ、それいいね。どうせ結果がハッキリするまでは、ここで待つしかないからさ。じゃ、香炉を準備するから、ちょっと待って」
バタバタと準備するジェルマが目を離した隙に、空中から現れた女の手が、香炉の上からパラパラと黒い粉のようなものを撒いた。
が、ジェルマが振り返った時には、もう手は消えていた。
「よし。じゃあ、火を点けるよ」
香木からスーッと細く白い煙が立ち昇ったが、途中からその色が濃い紫に変わった。
「あれ? 変だな? こんな色、見たこと……」
言いながら目を瞑って倒れそうになったジェルマを、空中から出て来た女の腕が支えた。
その腕から徐々に全身が露わになったが、同じように美しい裸身ではあっても、若いテレシアよりもふくよかな身体つきをした美熟女姿のドーラであった。
「おお、さすがに本場マオールの魔香、少量でも良く効くぞえ。先に厳重に結界を張っておいたから、邪魔が入る心配もない。さあさ、添い寝をして進ぜる故、いい夢を見てくりゃれ。『夢の通い路』、即ち『識閾下の回廊』に繋がる夢をのう」
北叟笑むドーラの腕の中で、すっかり眠り込んだジェルマは「母ちゃん……」と呟いた。
「ふふん。強がっても所詮はガキよのう。よしよし。安心してお眠り、坊や」
ドーラは、堪え切れずに声を上げて笑った。




