1384 ハルマゲドン(40)
海上に監視船を停泊させたツイムは、ジェルマ少年に甲板に出ないよう命じた。
「何でだよ!」
口を尖らせるジェルマに、ツイムは笑顔ながらキッパリと告げた。
「おまえを護るためさ。誰が何のために長命族を拉致しているのかわからねえが、当然おまえも狙われるだろう。安全が確認されるまで、二三日は船室内に居てくれ」
ジェルマの頬が膨れた。
「えーっ、そんなの嫌だよ。息が詰まるじゃねえか。見た目は五歳児でも、おいら本当は三十二歳なんだぜ。ツイムのおっさんとそう変わらねえ、立派な大人なんだ。退屈で死んじまうよう」
ツイムは苦笑した。
「だったら、おれをおっさんと呼ぶなよ。まあ、それは冗談だが、たとえ三十二歳でも、メトス族なら幼児であることに違えねえ。おっさんの言うことを聞きな」
「ちぇっ。じゃあ、せめて窓のある部屋にしてくれよ」
ツイムは一瞬迷った。
が、船腹の船窓は人間の顔ぐらいの大きさしかないことを思い出し、「まあ、いいだろう」と諒承した。
「その代わり、窓から顔を出すんじゃねえぞ」
「わかってらい」
そうは言ったものの、ジェルマは丸い硝子窓に鼻が付くほど顔を近づけ、飽かずに波を見ていた。
「やっぱり海はいいよなあ。河とか湖に比べて、波に色気があるよ。船乗りたちが綺麗な人魚がいると思ったのも無理はねえな。あれ? ありゃ、何だ?」
波間スレスレに何か灰色のものがヒラヒラと舞うように飛んでいる。
「鳥かな? いや、コウモリか。羽根でも怪我してるみてえな飛び方だな。お、こっちへ来るぞ。仕方ねえ、助けてやるか」
ジェルマは窓から顔を離し、窓枠の取っ手を掴んで丸い硝子部分を内側に引いた。
潮騒が高まると同時に磯の香りが流れ込み、ジェルマはうっとりとした表情になった。
その目の前に、ヒラヒラと灰色のノスフェルが飛び込んで来た。
「どれどれ。おいら、少しなら癒しもできるけど、ともかく捕まえて怪我の具合を見ねえとな。おい、ちょっと大人しくしてろよ」
ジェルマが窓を閉めて振り返った、その時。
灰色のノスフェルは空中でクルリと宙返りし、若く美しい女の姿となった。
しかも、全裸である。
目を逸らすこともできず、ジェルマが息を呑んでいると、女は嫣然と微笑みながら礼を述べた。
「ありがとうございます。わたくしはシレーネの一族の者ですが、人間に憧れ、海の魔女に頼んで魚のような尾鰭を二本の脚に変えてもらい、仲間のところから脱走し、人間の世界で暮らしていたのです。ところが、追っ手に見つかり、三叉の槍で突かれてしまい、仕方なくノスフェルに変身しました。何とかその場から逃れたものの、元々飛ぶことは苦手で、もう少しで海に落ちて溺れ死ぬところでした。あなたさまはわたくしの生命の恩人です。どうか、お側に置いてくださいませ」
「お、おいらはいいけどさ、ツイムのおっさんが、あ、いや、その、船長が何て言うかな」
「ご心配には及びませぬ。あなたさま以外の人がいらっしゃる時には、ほれ、こうして姿を消しておきます故、どうか他の方には内緒にしてくださいな」
女の姿が朧に揺れ、周囲の空気に溶け込むように消え、再びユラユラと姿を現して見せた。
ジェルマは、ともすれば豊かな胸に釘付けになりそうな自分の視線を引っ剥がし、相手の顔だけを見て言った。
「そ、そう。それなら、それでいいけどさ。あ、そうだ、怪我は?」
「大丈夫でございます。創口もすっかり塞がりましたので。どうです、もう痕も見えないでしょう?」
そう言いながら、これ見よがしに美しい裸身を晒した。
ジェルマは耳元まで真っ赤になって横を向き、「うん、そうだね」と頷いた。
「まあ、おいらはいいけどさ、その、後で着るものを持って来てやるから、それまで消えててくれねえか。目のやり場に困っちまう」
「お気に召すままに」
笑顔のまま女が消え、ジェルマがホッと息を吐いたところで、コンコンと部屋の扉が叩かれた。
「ジェルマ、ちょっといいか?」
ツイムの声であった。
ジェルマは素早く左右を見回し、女の姿が完全に見えないことを確認してから、「ああ、いいよ」と答えた。
扉を開けたツイムは、少し首を傾げた。
「ん? 何の匂いだ?」
姿を消していても、仄かに女の香りが漂っているのだ。
ジェルマは慌てて胡麻化した。
「気持ちを落ち着かせるために、ちょっと香木を焚いたのさ。匂いが籠らねえように暫く窓を開けたんだけど、まだ残ってたんだね。今度から気をつけるよ」
「そうか。まあ、火の元だけは気をつけてくれ。それより、上にクジュケが来てる。おまえに話があるそうだ。船長室に来てくれねえか?」
「うん。ちょっと荷物を片付けてから、すぐ行くよ」
「じゃあ、上で待ってる」
ツイムの足音が遠ざかるのを待って、ジェルマはフーッと息を吐いた。
「危ねえ危ねえ。匂いのことまで考えてなかったな。幸い、本当に香木は持ってるから、後で使っておこう」
と、ユラリと空気が揺れて、女が姿を現した。
「ごめんなさいね。わたくしもうっかりしていました」
「いいさ。それに、悪くない匂いだし。じゃ、おいらちょっと行ってくるよ。ええと、おいらジェルマってんだけど、あんたを何て呼んだらいい?」
「では、テレシアと。ああ、くれぐれも、ご内密にお願いしますね、ジェルマさま」
「ああ、わかってる。心配すんな、テレシア」
ご機嫌でジェルマが出て行くと、テレシアはニヤリと北叟笑んだ。
その顔がみるみる変化し、魔女ドーラになった。
「ふん。赤子の手を捻るとはこのことぞえ。しかし、こんなところまでクジュケが来るとはのう。まあ、何とかなるであろう。何しろ、ジェルマの心はガッチリ掴んだからのう」
ドーラは声を殺して笑った。




