1382 ハルマゲドン(38)
千年の戦乱が漸く収束へ向かいつつある中原と異なり、峻険なスーサス山脈によって隔てられた沿海諸国は、国家間の大規模な戦争を経験することなく平和を謳歌して来た。
唯一の悩みは、叩いても叩いても出て来る害虫のような海賊たちで、一時期減少していた被害が、東廻り航路の再開に伴って急激に増加して来ている。
それを見越したウルスラたちの提案で、バロードの海軍大臣ツイムがカリオテ大公国に派遣され、兄ファイムと共に連合警備船団を率いて取り締まりを強化していた。
今しも、監視船の船橋に立って陣頭指揮を執っているツイムの横に、幼い子供が並んで前方を見ている。
「なあ、ツイムのおっさん、やっぱり家に帰らなきゃ駄目か?」
不満そうに口を尖らせているのは、ジェルマ少年であった。
ツイムは浅黒く焼けた顔と対照的に真っ白な歯を見せ、ジェルマを宥めた。
「ゾイアとの約束だからな。竜騎兵の生き残りを無事マオールへ帰してくれたんだから、役目を果たしたおまえをちゃんと実家に戻さなきゃ、おれが叱られる」
「でもさ、ゾイアのおっさんはまだ冬眠中なんだろ?」
ツイムの顔が曇った。
「らしいな。この前ラミアンから来た手紙じゃ、すっかり女王陛下の姿に馴染んでしまって、元はゾイアの身体だってことをみんな忘れるくらいだって書いてあったよ」
当然のことながら、弟のウルスが誘拐されたことも、その結果、ゾイアの身体は姉のウルスラからウルスへ入れ替わったことも、まだツイムには知らされていなかった。
ジェルマは「冗談じゃねえ」と怒り出した。
「いくら女王さまだって、ゾイアのおっさんの身体を盗られてたまるかよ」
ツイムは苦笑した。
「こらこら、言葉を慎め。別に盗んだ訳じゃねえよ。寧ろ、子供みてえになっちまったゾイアじゃ危なっかしいから、護ってくださっているのさ」
ジェルマは鼻を鳴らした。
「本心はどうだかね。もしおいらだったら、絶対そのまま返したくなくなるよ。だって、地上最強の戦士だぜ。しかも、何にでも好きな姿に変身できて、おまけに不死身とくらあ。そう考えると、ゾイアのおっさんって、ホントに凄えよな。あれで野心満々だったら、この世界は全部おっさんのものにできただろうに」
ツイムも感慨深い顔になった。
「全くだ。その意味では、ゾイアが最初に合体した相手がタロスだったのは、この世界にとって、本当に幸運なことだったと思う。例えばおれなんかだったら、もっとえげつない性格のゾイアになっていたかもしれんぞ」
ジェルマはニヤリと笑った。
「それはそれで悪くねえな。タロスのおっさんほど堅物じゃなかったが、ゾイアのおっさんも、糞真面目だったもんな」
「おいおい。それじゃまるで、おれが不真面目みてえじゃねえか」
二人が顔を見合わせて笑っているところへ、蒼褪めた顔の船員が駆け込んで来た。
「ツイム閣下にご報告いたします! 寄港予定のダフィネ伯爵国から連絡があり、突如飛来した東方魔道師数名が、領域内の長命族を次々に拉致しているとのこと。危険が去るまで、メトス族の帰国は禁止するとの通達でございます!」
ツイムは「ご苦労」と船員を労った後、茫然としているジェルマに告げた。
「聞いてのとおりだ。幸いここ数日は天気が荒れる気配がないから、沖合に停泊して様子をみよう」
「でも、父ちゃんが……」
普段は文句ばかり言っているが、さすがに父親が心配らしく顔を曇らせるジェルマの肩を、ツイムはギュッと抱きしめた。
「心配すんな。きっと大丈夫だ」
しかし、実際には、ジェルマの父は既に攫われていた。
ジェルマの母からそれを聞いたのは、単身ダフィネに乗り込んだクジュケであった。
「さぞかしご心配でしょうが、先程お会いしたトラヌス伯爵も、全力を挙げて対応するとのことでした」
嘘ではなかったが、齢三百歳を超えるトラヌスは皺だらけの老人であり、最近前歯が抜けたらしく、フガフガと空気の漏れる不明瞭な発音で、話の半分も聞き取れなかった。
年をとっているのは元首だけではなく、ダフィネは国家そのものが古びていた。
原型となった植民都市ができたのはまだダフィニア島が海没する前の、凡そ三千年前であった。
初代の市長はボルドニクス、つまり、ジェルマ少年の祖先に当たる故サンジェルマヌス伯爵の父であり、今猶南海の海底に住まうゴーストでもある。
ダフィニア島の失われた十種族が中原各地に創った植民都市が、アルゴドラス聖王の中原統一によって消滅した頃、ダフィネは最初の沿海諸国となった。
以来、二千年、初代国家元首サンジェルマヌス伯爵の子孫が統治しているのだが、サンジェルマヌス自身がすぐに元首の地位を息子に譲って放浪の旅に出たこともあり、当初の国家形態のまま現在に至っている。
当代のトラヌスは、系統からいえば傍系の子孫であり、一般人との混血も進んでいるため、寿命もメトス族にしては短い三百年しかなく、潜時術は勿論、魔道は一切使えず、『識閾下の回廊』も繋がっていない。
その代わり強烈な権力志向の持ち主で、並み居る競争相手を押し退け、支配者となって早二百年という、老害そのもののような政治家であった。
(作者註)
トラヌス伯爵については190 小国の苦悩 を、ボルドニクスについては865 南海の秘密(11)を、ご参照ください。




