1377 ハルマゲドン(33)
何処とも知れぬ場所で監禁されているウルス。
しかし、そのまま何事もなく数日が過ぎ、拉致された当初の恐怖が和らぐと、退屈を持て余すようになった。
首輪で寝台に繋がれているため、自由に動くこともできず、話し相手は白魔の代理人にされた監督官ユーダのみ。
そのユーダも、脳に入っている極小端末の影響で精神に異常を来しているようだ。
何とか読書だけでもさせて欲しいとドゥルブに頼み、本を持って来るのを待っていると、近くで笑い声がした。
「え? 誰?」
左右を見回したが、誰もいない。
と、囁くような声が聞こえた。
「お静かに願います、ウルス陛下」
「あ、その声はカールさん?」
「はい。もう少しお声を小さめにお願いします。隠形していても、話し声で気づかれてしまいます」
「ごめんね。でも、よくここがわかったね」
「陛下の消息が途絶えた浄水場から徐々に捜索範囲を拡げ、スカンポ河東岸には痕跡が見つからなかったため、恐らく対岸であろうと目星をつけました。その場合、陛下が腐死者に襲われたりせぬよう、ドゥルブが何らかの対策をしているはずと考え、上空からそれらしい施設を捜したのです。すると、周辺を掘で囲んだ廃屋が見つかり、その堀にザリガニが飼われておりましたので、ここだと確信いたしました」
「へえ、そうなんだ。でも、さっきはなんで笑ったの?」
「おお、すみませんでした。どんなにか怯えていらっしゃるだろうと想像しておりましたので、意外に平然とされているご様子に、つい安堵してしまいまして」
ウルスもつられたように笑った。
「だろうね。ぼくも最初は物凄く怖かったんだけど、一つは慣れちゃったのと、何となくドゥルブの気持ちがわかるようになってさ」
「ドゥルブの気持ち、とは?」
「うーん、上手く言えないんだけど、以前北の大海で対決して、母上の真似をしてぼくを騙そうとした時のような、身も凍るような恐怖を感じないんだよ。人間臭いと云うか、俗っぽいと云うか。まあ、悪いやつには違いないんだけど」
「おっしゃることは何となくわかりますが、かと言って、油断は禁物だと思いますよ」
「うん、それはぼくもわかってる。大物の悪党より、却って街の破落戸の方が質が悪いってこともあるからね。あっ、そうか。ゾイアから聞いたことがあるけど、暗黒都市マオロンにドゥルブが現れた際、マルカーノっていうやくざ者の親分と合体していたって。その影響もあるかもね」
「で、あれば猶のこと、用心するに如くはありません。わたくしが段取りをつけますから、準備ができ次第、ここから脱出」
フッとカールの声が途切れ、同時に気配も消えた。
直後、部屋の扉が開き、白い顔のユーダが本のようなものを抱えて入って来た。
「この男の持ち物を調べたが、土地台帳ぐらいしかなかった。それでもいいか?」
「いいね、ありがとう。ぼく、そういうのが好きなんだ」
「ふん。変わったやつだな。じゃあ、ここへ置いとくぞ。ん?」
白い顔のユーダは、ハッとしたように周囲を見回した。
「気のせいか? 何者かの気配を感じたような気がしたのだが。まあ、念のため、建物周辺に電磁障壁も張っておくか」
そそくさとユーダが出て行くと、カールの切迫した声がした。
「陛下、逃げるなら今です。さあ!」
空中からカールの手の部分だけが現れ、ウルスの首輪に掛かっている錠を外した。
ところが、ウルスはすぐにはベッドから動かなかった。
「でもさ、まだ土地台帳を読んでないんだよ」
「ならば、持って行きましょう。急がないと、あの男が戻って」
また不意にカールの声が聞こえなくなり、揺らめくようにして手も消えた。
と、バーンと扉が開いてユーダが入って来た。
顔が白い平面ではなく、本来の草臥れた中年男のものに戻っており、その手に抜き身の長剣を握っていた。
灰色の長い髪を振り乱し、薄い灰色の目を異様にギラつかせ、ブツブツと何か言っている。
「……ほら、見ろ。首輪を外してやがるじゃねえか。何か話し声が聞こえた気もするし、間違いなく魔道師が入り込んだんだ。バリアとかいう結界を張ったから、いずれにしろもうここからは逃げられねえ。さあ、おれがわれらがおれがわれらがおれが始末してやるぜ。出て来い、魔道師野郎!」
自分を表現する際、一瞬ごとに白い平面と元の顔がクルクルと入れ替わったが、結局元の中年男の顔で止まり、滅茶苦茶に剣を振り回しながら迫って来た。
「おやめなさい!」
姿を見せると同時にカールの掌から波動が打たれ、ユーダの身体が弾かれたように後方に飛んで、背中から壁に激突した。
「がはっ!」
ユーダが白眼を剥いて気絶し、ガランと音を立てて剣が床に落ちた。
危険回避のため剣を拾おうとしてか、カールがユーダに近づいた、その時。
ユーダの手だけが独立した生き物のように素早く動いて剣を掴み、目にも留まらぬ速さでカールの胸に向けてそれを投げつけた。
「うぐっ」
カールの背中から、血塗れの剣先が突き出していた。
それを目にしたウルスは、声を限りに絶叫した。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だああああああーっ!」
床に倒れていたユーダが顔を起こすと、白い平面に戻っている。
その切れ目のような口の両端が吊り上がり、笑みの形になっていた。




