1374 ハルマゲドン(30)
霊癒族の隠れ里の領域内に入ったゲルヌ皇子は、皇帝家直属魔道師カールに出迎えられた。
病気などの治療のためでなく、自分に用があって来たというゲルヌに困惑しながらも、カールは案内するため空中で身を翻した。
それに続いてゲルヌも少し高度を下げた。
緑の草原が眼下に広がっている。
「そういえば、ザネンコフやジョレはどうしている?」
先行するカールに、ゲルヌはかつての家臣たちの消息を尋ねた。
カールは首だけを少し後ろに向けて答えた。
「ザネンコフさまは癒しの技を身に付けられ、施療院の職員として生き生きと働いていらっしゃいます。一方、ジョレさまは」
苦笑して言葉を濁すカールに、ゲルヌも笑って手を振った。
「よいよい。大体のことは想像がつく。まあ、元気であれば、それでいいさ。ところで、兄上はどうされている?」
二代皇帝であった際に自分の暗殺指令を出した次兄ゲルカッツェを、ずっと憎んでいたゲルヌがサラリと兄と呼んだことに、カールは目を潤ませた。
「はい。親子四人、いえ、五人と申すべきでしょうか、皆さま息災に暮らされておりまする」
因みに、カルス王の忘れ形見であるレウス王子は両性族であり、同体の妹はレイチェルである。
「そうか。新しい甥が生まれたのだな。何という名だ?」
「ゲルカッツェさまが、レンブランと名付けられました」
「ほう。レナの方に寄せたのか」
「ええ。同じ日に誕生されたウルフガンクさまもそうですが、ガルマニア皇帝家とは一線を画したい、とのお気持ちかと拝察いたします」
ウルフガンクは、長兄ゲーリッヒの長男である。
兄二人のことを考えているのか、ゲルヌは暫く黙っていたが、独り言のようにポツリと呟いた。
「わたしとて、疾うにガルマニアを出た人間だ。現在わたしのいるエイサの『神聖ガルマニア帝国』という名は、兵士たちを鼓舞するために言ったことだが、実態にそぐわないからいずれ変えようと思っている」
カールは縋るような目でゲルヌを振り返った。
「エイサのことはわたくしなどが口出しすべきことでもありませぬが、ガルマニア本国については、いずれ殿下が」
「いや。そのつもりはない。今のヤーマンの国家運営が良いとは思わぬが、それ以前より悪いとも言えぬ。本音を言えば、ハリスが何とかしてくれるのではないかと期待しているのだが」
更に何か言いたそうなカールに、ゲルヌは話を逸らすように「お、あれだな」と前方を指した。
草原の真ん中に、小さな森に囲まれた大きな建物が見えて来た。
木造だが、大きな屋根に明かり採りの天窓があり、無数の薄い色硝子が嵌め込まれ、キラキラと宝石のように輝いている。
真上まで来ると、建物全体は四角い穴の開いた正方形のような形で、中央の中庭には人工的な小川が流れていた。
「エマさまにはご了承を得ていますので、直接中庭に降りましょう」
「わかった」
二人が降下して来るのが見えたらしく、責任者のエマが出て来た。
孫のニノフに似たキリリとした美しい顔に、微笑を浮かべて見上げている。
二人が着地すると、静かに歩み寄った。
「ようこそ隠れ里へ、ゲルヌさん。でも、病気ではなさそうね」
ゲルヌは微苦笑した。
「はい。実は、折り入ってカールに頼みたい仕事があって来ました。申し訳ないのですが、今は内容を明かすことはできません。二人きりで話させてもらいたいのですが」
「勿論構わないわ。カールさんは患者さんだし、面会をお断りするような重症でもないから。と、いうより、もういつ退院してもらってもいいぐらい元気になったから、この機会に退院させましょう。あ、でも、その前に話す部屋を用意しないとね。良ければ、わたしの応接室を使ってちょうだい」
「有難うございます」
先に立って案内するエマについて歩きながら、ゲルヌはチラリと周囲を見回した。
近くに知り合いがいないか、いや、兄のゲルカッツェがいないか気にしているのだろう。
それに気づいたのか、並んで歩き出したカールが「お兄さまは育児休暇中でございます」と小声で教えた。
「ほう。兄らしいな」
子煩悩で、実子ではないレウスでさえ溺愛していたゲルカッツェが、自分の初めての子であるレンブランの世話に掛かり切りであることは想像に難くなく、ゲルヌも嬉しげに笑った。
その笑顔を見てまた泣きそうになったカールであったが、これから話されるであろう難題を思い、表情を引き締めた。
三人は廊下の奥に進み、突き当りの部屋の前でエマが振り返った。
「この部屋よ。椅子とテーブルしかないけど、自由に使ってちょうだい。中からカールさんが結界を張ると思うけど、わたしの方でも誰も立ち入らないようにするわ。それから、ゲルヌさんが来たことはまだわたししか知らないけど、一応皆には内緒にした方がいい?」
一瞬躊躇ったゲルヌだったが、小さく頷いた。
「ええ。お願いします。育児休暇中だという兄はともかく、ザネンコフやジョレに会うかどうか考えていたのですが、やはり今は会わぬ方がよいと思います」
「わかったわ。じゃあ、ごゆっくり」
中に入ると、早速カールが入念に結界を張った。
「これで大丈夫です。どうぞ、お話しください殿下」
「うむ」
ゲルヌは淡々と経緯を説明した。
聞き終わったカールの顔は、さすがに蒼褪めていた。
「そうですか。相手は白魔とドーラさまなのですね。これは生命懸けの仕事となりましょう。固より自分の生命を惜しむ気持ちはありませぬが、失敗は許されません。慎重に準備を進めます」
「頼む」
深々と頭を下げるゲルヌの両手を握り、カールは「どうぞ、お顔をお上げください」と笑った。
「わたくしは果報者です。亡きゲール陛下のご恩に報いるべく、何があっても三皇子をお護りすること、との御遺命を果たすことができました。唯一つ心残りなのは、ゲルヌ殿下のお子を見れそうにないことでございます」
先に目を潤ませていたカールより早く、ゲルヌの目から涙が溢れた。
「そんなことを言うな、カール! わたしの子も必ず見せてやる!」
涙を零しながらも、ゲルヌの脳裏には、何故かウルスラの顔が浮かんでいた。




