1373 ハルマゲドン(29)
王都バロンの双王宮で秘書官ラミアンにウルスの件を伝えたアーロンの使者は、そのまま龍馬を長駆させ、翌日には商人の都サイカに到着し、情報屋ギータに会った。
使者から一通りの経緯とアーロンの依頼を聞くと、ギータは皺深い顔に薄く微笑みを浮かべて頷いた。
「わしもでき得る限りの協力はすると、アーロン閣下にお伝えくだされ」
「忝い」
ホッとした様子の使者を、ギータは笑顔のまま表通りまで見送ったものの、その姿が見えなくなると大きく息を吐いた。
「どうしたんだい? らしくもない溜め息なんか吐いてさ」
笑いながら声を掛けて来たのは、サイカの実質的支配者ライナであった。
相変わらずキリッとした美貌で、颯爽と歩いて来る。
ギータはさりげなく左右を見回し、再び笑顔を作ると「茶でも飲んで行かぬか」と自宅へ誘った。
ライナも何かあったと察し、「いいともさ」と軽い調子で受けて一緒にギータの家に入った。
屋内に入るとすぐに表情を改め、「何があったんだい?」と訊いた。
ギータは「少し待ってくれ」と告げると、居間の内側に結界を張った。
「まあ、こんなもんじゃろう。取り敢えず座ってくれ」
ライナが小さな丸テーブルの前の席に着くと、ギータは手早く薬草茶を淹れてカップに注いで出した。
その間、焦れたように待っていたライナは、カップに口を付ける前に改めて尋ねた。
「大事かい?」
「うむ。恐らくはのう」
ギータは使者から聞いたことを手短に話した。
聞き終えても、ライナは暫く黙っていたが、ポツリと呟くように「無事だよ、きっと」と言った。
ギータも頷いた。
「わしもそう思う。じゃが、事は慎重を要する。いつものように情報屋仲間に人捜しの依頼状を廻すようなことはできん。口止めしたところで、こういう噂はすぐに広まるからの」
「どうするの?」
「わし一人で動く。ともかく現地へ行き、情報を収集するよ。何にせよ、情報が少なすぎる」
「じゃあ、サイカの緊急用の龍馬を使っておくれ」
「おお、有難い」
「いいんだよ。それぐらいさせておくれ。後、何かしてあげられることはないかい?」
ギータは少し考えたが、すぐに首を振った。
「寧ろ、なるべく普段どおりにしていてくれ。できれば、わしがいないことも伏せて欲しい」
ライナはギータの目を真っ直ぐに見て、声を低めて頼んだ。
「何か目星がついているんなら、教えておくれよ。決して他言しやしないからさ」
ギータも囁くような声で応えた。
「事故ならば、必ず何らかの痕跡が残るもの。ここまで何も残さずに人がいなくなるのは、誘拐以外に考えられぬ。しかも、できたばかりとはいえ、あの生真面目なアーロンどのが管轄する新辺境伯領の中じゃ。つまり、通りすがりの野盗などではなく、最初からウルスを狙った犯行じゃよ」
「犯人は誰だと思う?」
「魔女ドーラじゃろうな」
「何のために?」
「決まっておる。聖剣を奪うためじゃ」
意外にも、ライナはホッとした顔になった。
「それなら、殺される心配はないね」
が、ギータは首を振った。
「わからん」
「え? だって、ドーラにとっては実の孫じゃないの。聖剣さえ渡せば、ちゃんと無事に返してくれるよ」
「いや、その後の危険を考えてウルスラが聖剣を渡さぬだろうし、たとえ渡したとしても、ウルスを生きて返す保証はない」
「じゃあ、どうすりゃいいのさ?」
「まず、詳しい情報を集めるのが先決じゃが、ドーラが誘拐したと確定すれば、密かにウルスを救い出すしかあるまい」
「できるの?」
「わしには無理じゃ」
珍しくライナがきつい口調で問い質した。
「あんたじゃ無理なら、いったい誰ならできるっていうんだい?」
既に腹案はあったらしく、ギータは即答した。
「あの男しかおるまい」
ギータの推理は一部間違っていたが、その結論は、奇しくもゲルヌ皇子と同じであった。
そのゲルヌは、中原中央部に近い緩衝地帯の礫砂漠の上空を飛んでいた。
「確かこの辺りだったと思うが、この地域一帯の座標が乱れているから、毎回迷うな」
と、前方から大規模な砂嵐が近づいて来るのが見えた。
「むう。いかんな。迂回してやり過ごそう。ん? あれは?」
砂嵐の中からチカチカと点滅する光が見えた。
「有難い。向うから誘導してくれるようだな。よし、行くぞ」
光に向かって飛ぶゲルヌの身体が、嵐に巻き込まれる寸前、空間に呑み込まれるように唐突に消えた。
次の瞬間、ゲルヌの周囲の世界は劇的に変化した。
肌がヒリつくように乾燥していた空気が、しっとりと湿気を帯び、眼下の砂だらけの景色も、緑溢れるものに一変している。
その前方の空中に、地味な顔の魔道師が微笑んで待っていた。
「ようこそ霊癒族の隠れ里へ、ゲルヌ殿下」
それは、ガルマニア皇帝家直属魔道師のカールであった。
「怪我の方はもう大丈夫なのか、カール?」
「お蔭さまで。わたくしのことより、殿下こそ、お身体の具合でもお悪いのですか?」
「いや、治療してもらいに来たのではない。おまえに頼み事があって来たのだ」
「わたくしに?」
「ああ。おまえにしかできぬことだ」
カールの特徴のない顔に困惑の表情が浮かんだ。
「ともかく、下で詳しいお話を聞かせてください。どうぞ、こちらへ」




